6-3:呆気ない幕切れ、不完全燃焼は身体に悪く
6-3:呆気ない幕切れ、不完全燃焼は身体に悪く
料理というものは、作るのには手間をかけたり、時間をかけたりするものだが、食べ始めるとどれだけ味わおうと気付けば無くなっている-僕と彼女の恋愛は、言うなれば付き合う前が「料理を作る時間」であり、付き合った後が「料理を食べる時間」であった。三年も前に彼女が見つけた階段の正体は、二人で上って僅か二ヶ月で崩壊する大変脆く儚いものだったのだ。
崩壊の瞬間に彼女から伝えられた言葉の内容は、今でも笑ってしまうほどしっかりと記憶に残っている。あなたに対する「好き」は恋愛感情では無かった、尊敬の意味合いによるものだと気が付いた、恋愛感情で好きになれる人と出会えたから、終わりにしよう。との事であった。
納得がいかなかった僕は、せめて会って話を、と伝えたものの、顔も見たくなかったか、合わせる顔も無かったか、ハッキリと拒否されてしまい、二人は出会いたての時よりも他人になったのだった。
今振り返ってみれば、三年も放置すればどのような業火でも鎮まってしまうだろう、だとか、僕がよくわかっていなかったように、彼女もよくわかっていなかったのは普通に考え得る話だ、というように自身の至らなかったところにも気が付けるし、初恋の難しさも知っているので仕方が無いと割り切れる。だが当時はそこまで頭が回るほど成熟しておらず、自身の心にはただ「浮気をされた」という思いだけが残り、他に何も考えられないぐらい悔しくてやり切れなかったものである。そもそも二人で上った階段が真の「大人への階段」で無かった可能性がちらつく中で、確実に浮気とも言い難いのが実際のところだというのに。
結局、実に情けない話だが、未熟な僕は多くの反省点を視界に入れられず、ただただひねくれるばかりとなった。まず尊敬の二文字に大いなる八つ当たりをした。凄くプラスな感情のはずなのに、そんな思いを抱かれるぐらいなら見下された方がマシだという態度になってしまったのだ。その上、人を信じなくなった。実際は上手くやればきちんと確固とした人間関係を築けるのに、どれもこれも薄っぺらくて頼りにならないと勝手に思い込んだ。それにより、異端者はより一層異端者としての道を歩み、正統からは更に遠のいていった。
ところが、中学との決定的な違いは道を踏み外す者に何と新たな出会いをもたらした。僕の通った高校は、一学年17~20クラスの非常に生徒数の多いところで、それが功を奏しこの異端者に集まってくれる人達がいたのだ。
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