第25話 恋か、芸か、両方か。

 雨に濡れたまま、拳をぎゅっと握りしめる。

 好きな人を傷つけてしまった自分を許せなくて、苛立ちがつのる。


 その場に立ち尽くしていると、屋上のドアが開く音がした。


「あらら? 雨だわー。稽古はどうしましょうか、大地くん」

「急に降ってきたなぁ。空き教室でも探すか……ん? 君はたしか……哲史くん?」


 振り返ると、そこには『犬と姫』の二人がいた。

 そうか。すっかり忘れていたけど、屋上は二人の練習場所だったっけ。


「さくら先輩、大地先輩、こんにちは。じゃ、俺はこれで……」


 社交辞令的に挨拶をして帰ろうと思ったが、さくら先輩は許してくれなかった。

 がしっと腕を掴まれたのだ。


「えっと……さくら先輩?」

「杏子ちゃんと何かあったの?」

「ど、どうしてそれを……」

「たった今、泣きながら走っている杏子ちゃんとすれ違ったから……ケンカでもしたの?」

「いえ、その……」

「言えません、というのはナシよ? ライバルだけど、芸人仲間でしょ、私たち」

「さくら先輩……」


 相談したら、先輩たちにバレてしまう。

 俺の恋心も、ダサい自分も、全部。


 でも、そんなことを言っている場合ではない。

 杏子が俺の前からいなくなることに比べたら些末な問題だ。


 俺は覚悟を決めた。


「わかりました。あの、ここだと濡れちゃうので……」

「ええ。あちらへ行きましょう」


 さくら先輩は屋上の入り口を指さした。

 あそこには大きめの屋根がある。三人で立ち話をするには十分なスペースだ。


 入り口に移動したあと、俺は二人に悩みを打ち明けた。


 俺が杏子のことを異性として意識していること。

 そのせいで恋愛ネタばかり浮かび、脚本が今まで難航していたこと。

 結果、コンテストのことばかり考えて、杏子のことを蔑ろにしていたこと。

 少し前から様子が変だったのに、気づいてあげられなかったこと。


 それらを全部包み隠さず説明した。


 話し終えると、さくら先輩は困ったような顔をした。


「あらー。それでケンカしちゃったのね」

「はい……あの、この話は他言無用でお願いします」

「もちろんよ……それで? 哲史くんはどうしたいの?」

「……仲直りしたい。杏子と一緒じゃないと、駄目なんです」

「それは芸人として駄目って意味? それとも異性として?」

「……どっちも、です」

「そう。あなたはあえて茨の道を進むのね……大地くんはどう思う?」


 話を振られた大地先輩が興味なさそうな顔をして口を開く。


「あー……俺はどっちでもいいと思うけど」

「あらあら。後輩の悩みなのに、ぶっきらぼうねぇ」

「違う。哲史のやりたいようにやればいいって意味だ」

「俺のやりたいように……?」

「ま、俺のアドバイスをどう受け取るかは自由だ。でもな……これだけは言っておくぞ?」


 大地先輩は俺を睨みつけた。


「腑抜けたツラのまま舞台にあがったら許さないからな。お前みたいな中途半端なヤツがライバルだと思うと、こっちの士気に関わるんだよ」


 それだけ言って、大地先輩は屋上をあとにした。


「ふふっ。あの子、恥ずかしがり屋なのよ。あれでもアドバイスのつもりなの。気にしないで?」

「そ、そうなんですか?」


 怒っていたように見えたけど、あれは大地先輩なりのアドバイスだったのだろうか。

 相方のさくら先輩が言うのだから間違いないだろうけど、ちょっと意外だ。


「……哲史くん。前から言っているとおり、私は男女コンビでの恋愛はナシだと思っているわ。だけど……大地くんの意見には賛成よ」

「えっと、それってつまりどっちなんです……?」

「哲史くんが好きなように決めなさい。芸を取るのか。恋を取るのか。それとも両方か。あなたの人生はあなたが自由に決めるべき。厳しいアドバイスかもしれないけどね」

「さくら先輩……」

「それじゃあね。当日はお互い死力を尽くしましょう」


 そう言い残し、さくら先輩は去っていった。


 好きなように決めろ、か。


 俺は……いったいどうするべきなんだろう。


 考えても、すぐに答えはでなかった。

 それでも答えを出さなければ、前に進むことも戻ることもできない。


「姉ちゃんは……相方に恋をしたとき、どう思ったんだ?」


 ポケットに入っていた例のチケットを取り出して、ここにいない姉ちゃんに尋ねる。


 恋か、芸か。

 それとも両方か。


 決断のときは、今なのだ。

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