第5章 すれ違う『ヨンブンノイチ』な俺ら
第21話 恋に溺れた『きっず』から這い上がる『アダルト』な姉
朝のリビングの光景を見て、俺は目を丸くした。
身支度を整えた姉ちゃんがトーストとコーヒーを用意して俺を待っていたからだ。
あのズボラな姉ちゃんが早起き……?
しかも、パンツ姿じゃない。Tシャツにジーンズを履いている。髪の毛もセットしていて、化粧もバッチリだ。
俺と目が合うと、姉ちゃんは笑顔で手を振った。
「哲ちゃん、おはよー」
「お、おはよう……珍しいね。姉ちゃんが早起きするなんて」
「まーね。今日、稽古あるから」
「稽古なら夜でもできるじゃん。早起きする必要ないんじゃないの?」
「それがさー、相方が午後からバイトらしくて。午前中しか空いている時間がないんだよ」
「ああ、なるほど……えっ?」
ちょっと待て!
今、さらっと重大なこと言わなかったか!?
「姉ちゃん、いつのまに相方ができたの!?」
「そう、あれは忘れもしない記憶。姉ちゃんが古代エジプトにタイムトラベルしたときの話さ……」
「ありもしない記憶を捏造するな! こっちは真面目に聞いてるんだって!」
「あはは。相変わらずいいツッコミをするなー、哲ちゃんは」
ケラケラと笑った後で、姉ちゃんは説明を始めた。
「コンビを結成したのは先週かな。同じ事務所の先輩が、ちょうどコンビ解散して途方に暮れててさ。その人、めっちゃ面白いからコンビ組んでみようかなって思って」
「姉ちゃんから誘ったの?」
「うん。最初は断られたけどね。猛アタックして口説いたら、お試し期間を設けてやってみようかって話になったんだ」
なるほど。じゃあ、コンビ結成は仮決定というわけか。
「マジか……驚いたよ。おめでとう、姉ちゃん」
「ありがとう。まあ、まだ正式なコンビじゃないんだけど……このままじゃ終わらない。終わらせないよ」
「姉ちゃん?」
「やっとつかんだチャンスだから。里中ひとみが最高に面白い女芸人だって、仮の相方にわからせてやるのさ」
姉ちゃんはグッと親指を立てた。
「そっか……頑張ってね、応援してる」
「それよりさー、哲ちゃんは杏子ちゃんとどうなの?」
「はぁ? だから、俺と杏子はそういう関係じゃなくて……」
「いや、コンビ仲の話。最近、噛み合ってないんじゃない?」
なっ……どうして姉ちゃんがそのことを知っているんだ?
「おっ、図星だな? 最近、哲ちゃんの表情が曇ってるからさぁ。姉ちゃん心配してたんだぞ?」
「うぐっ。ま、まぁ俺の悩みはなんとかするから。姉ちゃんは姉ちゃんで頑張ってよ」
「そうはいかないよ。哲ちゃんの悩みは、姉ちゃんが原因なんだから」
「まだそんなこと言ってるの? それは関係ないって――ふぐっ!」
喋っている最中に、紙のようなものを口に押し当てられた。
「ふがっ、ふがっー!」
「というわけで、哲ちゃんにそれあげる」
「……ふが?」
俺は口もとにある紙のようなものを手に取り、それを確認した。
これは……お笑いライブのチケット?
「姉ちゃん、そのライブで漫才するから観に来てよ。哲ちゃんの呪いを解いてしんぜよう」
「は? いや、何言って……」
「あ、やば。哲ちゃんと話してたら、時間なくなっちゃった。姉ちゃん、稽古に行ってくるね」
姉ちゃんはコーヒーを一気飲みして、トーストをくわえてリビングを出て行った。
一人リビングで立ち尽くし、ぽかーんとするしかなかった。
呪いというのは、男女コンビの恋愛ジンクスの件だろう。
でも、どうして姉ちゃんの漫才を観たら悩みが解消されるんだ?
「意味わかんないし……てか、どのコンビだよ?」
コンビ名すら聞いていなかったなと思い、チケットの裏を見る。
そこには出演芸人の名前が一覧になっていた。
上から順に見ていくと、『とあるコンビ名』に目を奪われる。
「……ああ、このコンビか」
姉ちゃんに確認を取らずとも、わかってしまった。
きっとこれだ――『アダルト・デビル』。
かつて天才だった『きっず』は恋を知り、才能を腐らせた。
しかし『アダルト』になった今、あの輝く舞台に舞い戻ろうとしている。
「なにそれ……めっちゃアツいじゃん」
やっぱり姉ちゃんは俺の憧れだ。
俺も姉ちゃんに負けないように頑張らないと。
「よし。脚本、また見直すか!」
俺は姉ちゃんが用意してくれた朝食を取った。
コーヒーは少し冷めていて、ちょっと苦かった。
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