第20話 芸人失格

 放課後、杏子の家にやってきた。

 もちろん、遊ぶためではない。脚本の打ち合わせをするためだ。


 部屋に入り、例によって床に座る。

 前と同じように杏子はテーブルを用意してくれた。


「よいしょっと。じゃあ、はじめよっか」


 そう言って、杏子は俺の隣に座った。


 いや普通は向き合って座るんじゃ……まぁいいか。脚本を見ながら話すから、同じ向きのほうが話しやすいし。


「テツ。脚本は間に合ったの?」

「間に合わなかった……けど、大まかにはできたよ」


 俺はルーズリーフの束を杏子に見せた。そのうちの一枚は企画書。ネタのコンセプトや大まかなあらすじの書かれたものだ。その他の紙は書きかけの脚本である。


「へえ……大学生になったら家庭教師のアルバイトをやりたいっていう導入ね……」


 それだけ言って、杏子は無言でルーズリーフを読む。


 今の発言だけでは、イマイチ感触がわからない。


 いつものことだけど、相方に脚本を見てもらっている時間って緊張する。

 ダメ出しされることのほうが多いから、未だに慣れないんだよなぁ……。


 しばらくして、杏子は俺に顔を向けた。


「テツ……すっごくいいよ、これ」

「本当に!?」

「うん。まず家庭教師のアルバイトって時点で被りにくいでしょ。んで、私が家庭教師役だから女家庭教師じゃん? もう絶対被らないよね」

「だよな! ありそうなんだけど、男女コンビだから活きる設定だよな!」

「それでいて、教師と生徒という設定もボケのバリエーション作りやすい。あと女家庭教師という設定を活かして少しエッチなネタ入れるのもいいよね。『正解したらご褒美をあげるわ。ちらっ』みたいな……あっ」


 べた褒めしていた杏子だったが、急に声が小さくなる。


「杏子? ダメな部分があったら正直に言ってくれ。直すから」

「……ずい」

「ん? なんて?」

「エッチなネタやるの、ちょっとはずい、かも……」


 頬を赤らめて、もじもじし始める杏子。

 いやエッチなネタ入れるって自分で言ったんじゃん。照れるなよ。


「なんでだ? 杏子、別にこの手のネタ嫌いじゃないだろ? むしろ、ノリノリじゃん」

「そ、それは……最近、ちょっと恥ずかしくなってきた」

「は? なんで?」

「い、いろいろあるのっ! とにかく、エッチなネタは保留ね! 他にも何か設定が活きるボケがあるはずだから!」


 杏子は俺の肩をぽかぽか叩いた。


 うーん。納得できないんだが……。

 とはいえ、女の子相手に「エッチなネタしろ!」と強制するのもどうなんだろう。

 いや、でもお笑いには妥協したくないし……困ったな。


「とりあえず、ネタ自体はこれでいくわ。あとは杏子の脚本とどっちで行くかだけど……」

「テツのでいこう」

「え? 即答だけど……いいの?」

「うん。私のは癖が強いから、ちょっと人を選ぶと思うの。テツのネタのほうが万人受けしそう。コンテストなら絶対こっち。てか、普通に面白いし」


 マジか。そこまで断言されるとは……期待に応えられるように頑張らなきゃ。


「というわけで、テツの脚本に決定!」

「あざーす!」


 二人で拍手しながら「いえーい!」と盛り上がる。やっぱり自分の脚本が採用されると嬉しいし、気合いも入る。


「じゃあ、俺は脚本の続きを書くよ」

「えへへー。頼りにしてるぞ、テツ」


 杏子はごろんと横になった。


 ……俺のひざに頭をのせている。


「何してるの?」

「えへへー。ひざまくらだよん」

「知ってるよ。なんでやってるのか聞いてるんだ」

「テツにやる気を出してもらいたくて」

「俺を喜ばせるなら、普通は逆じゃないの?」

「どうだね、私の後頭部は。いい形してるでしょ?」

「……気が散るからどいてくれ」

「むぅ。テツのけちんぼ」


 文句を言いながら杏子はどいた。


 けちんぼで結構。杏子がひざまくらしてきたら、ドキドキして脚本どころじゃないっての。


 しばらくの間、俺は脚本作りに没頭していた。


 杏子も黙って漫画を読んでいたのだが、ヒマになったのか俺にちょっかいを出してくる。


「テツ。進捗どう?」

「ん。まぁまぁ順調かな」

「そっか……ゲームする?」

「しない。初稿が完成するまでは無理」

「そっか……えいっ」

「ちょ、やめろ。わき腹を突くな……あの、一人でゲームしてていいよ?」

「ぐぬぬー……つまんない! つまんない、つまんない、つまんなーい!」


 かまわなかったせいか杏子がキレた。

 子どもか、お前は。


「テツが冷たい! もっと私にかまえー!」

「無茶言うなよ……約束しただろ。二人でお笑いのテッペン取るって」

「したけど、一緒に楽しんで取らないと意味ないもん!」

「ええー……」

「テツのお笑いばか! 私とお笑い、どっちが大事なんだよー!?」

「そりゃお笑いだろ……あっ」


 今のは失言だった。

 お笑いと杏子、比べることなんてできないのに、即答してしまうなんて……。


 反省したところでもう遅い。

 杏子の顔は引きつっていた。


「そう、なんだね……」

「ごめん、違う! 正確には、杏子と一緒の夢を叶えるのが一番大事なんだ! 別に俺、杏子のことを蔑ろにしているわけじゃ……え?」

「ううっ……ううー……!」

「な、泣いてるのか? ごめん。本当、今のは言い過ぎた。もう少し待ってよ。あとで必ずゲームするから。な?」

「……ぷっ」

「え?」

「あはははっ! な、泣いたら急に優しくなった! きもーっ!」


 悲しそうな顔をしていた杏子だったが、今はもう大笑いしている。


 まさか……泣き真似だったのか!?


「お前ぇぇぇ……! 杏子! 今日という今日は許さん!」


 俺は杏子の肩をがっしりと掴んだ。


「ちょ、押し倒さないでよぉ!」

「変な言い方するな! ご近所に誤解されるだろ!」

「テツのえっち!」

「うるさい! この小悪魔め!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、俺たちはじゃれ合った。


 結局、脚本作りは全然進まなかったのだった。



 ★



 私がテツをからかった後、彼は「続きは家でやる」と言って帰ってしまった。


 さすがに邪魔しすぎて怒っちゃったかも……そう思って謝ったけど、どうやら参考にしたい漫才があるらしく、家で映像を観るのだという。私のワガママのせいじゃなかったみたいで安心した。


 部屋に一人きりになった私はベッドに腰かけ、枕をぎゅっと抱きしめた。


 あっぶない……マジで泣いちゃうところだったなぁ。


 冗談で言ったつもりだった。

 私とお笑い、どっちが大事なのかって。


 そんな二者択一、自分でも卑怯だと思う。答えなんてないもん。


 なのに、テツってば即答なんだもんなぁ……お笑いが大事って言われて、ちょっぴり傷ついちゃった。


 はぁ……なんかムカムカする。


 そんなにお笑いが好きなら、もうお笑いと付き合っちゃえよ。私はビジネスパートナーか。こっちは仕事のためにテツのそばいるわけじゃないんだよ!


 なんでよ……勝つのも大事だけど、楽しく漫才したいじゃん。


 ねえ、テツ。

 どうして私の質問に即答できたの?


 私、選べないんだけど。


 お笑いと恋、どちらも選んじゃ駄目なの?

 欲しいものを両方手に入れるのは子どものワガママ?


 私は……テツのこと大好き。

 この気持ちはあきらめなきゃいけないの?


 どうしてこんなに胸が苦しいんだろ。

 こんなことなら、コンテストに出るなんて言わなきゃよかったな……。


「芸人のくせに……私、ばかじゃん」


 いけない。漫才やるの、楽しまなきゃ。テツの信頼に答えるのが相方の義務だ。笑顔だよ、水原杏子。無理してでも明るくボケなきゃ。それがテツの好きな私なんだから。


 ……あれ?


 私ってば、テツのためにお笑いやってるんだっけ?

 自分のためじゃなくて、好きな人と繋がっていたいからボケてる?


 そんなことを考えている時点で、もうお笑いなんてどうでもよくて。

 好きな人のそばにいるためにお笑いをしている、歪な関係で。


 弱っちい私の脳裏に浮かぶのは、残酷な四文字。



 ――芸人失格。



 私は、ただの恋する女の子になってしまったのだ。

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