第16話 俺たちと先輩たちの、たった一つの決定的な違い

 放課後、俺と杏子は二年生の教室がある廊下にやってきた。まだ多くの生徒が残っており、みんな友達と楽しそうにおしゃべりしている。


 背の高い男子の先輩や、ばっちり化粧を決めている女子の先輩とすれ違う。

 一つしか歳は違わないけど、なんだか自分よりもずっと大人びて見えるから不思議だ。


「テツ。情報によると、先輩たちは一組だって」

「ああ……いや待て杏子。なんでサングラスかけてるの?」


 しかも、ハート形の面白グラサンじゃねぇか。


「素性を隠してるの。先輩たちに芸人だってバレたら面倒だし。最悪、調子に乗ってると思われてヤキ入れられちゃうかも……!」

「ないない。そんときは俺が守ってやるからグラサン外せ」

「えっ……守ってくれるの?」

「当り前だろ。てか、先輩に悪いイメージ持ちすぎ。普通に大丈夫だから」

「そっか。私のピンチには守ってくれるんだね……えへへー。テツのばーか」


 サングラスを外した杏子は俺の肩を嬉しそうにバシバシ叩いた。何を喜んでいるんだ、こいつは。


「とりあえず、一組の人に話を聞いてみようか」


 俺は二年一組のドアの前で話している先輩男子に声をかけた。


「あの、すみません。人を探しているんですけど、一組にお笑い芸人目指している人たちいますか?」

「ん? そんなヤツ、うちのクラスにいたっけ?」

「イケメンとふわふわ系女子のコンビだって聞きましたけど……」

「ああ。『チワワ』と『プリンセス』のことね」


 芸人コンビではなく、ペットと飼い主として認知されているらしい。いいのか、それで。


「たぶん、その方たちです。もしよかったら、どなたか教えてくれますか?」

「えっとね……教室にはいないみたいだ。もしかしたら、屋上かも。あいつら屋上によくいるし」

「ありがとうございます。行ってみます」


 先輩に礼を言い、その場を離れる。


「杏子。聞いたか?」

「うん。テーブルの上だね」

「卓上じゃなくて屋上ね。ギャグ言ってないで行くぞ」


 息をするようにボケる杏子を引き連れて廊下を進む。


 階段を上がり、屋上前の扉までやってきた。


 ドアノブに手を伸ばしたとき、扉の向こう側から声が聞こえた。男と女の声で間違いない。


「お。先輩たち、ここにいるっぽいな」

「……テツ。なんか変な声が聞こえない?」


 杏子は頬を赤らめながら、震える指で扉を指さした。


 変な声?


 たしかに元気のいい声は聞こえるけど、漫才の練習中なら驚くことではないだろう。杏子は何を焦っているんだ?


 不思議に思いつつ、耳を澄ます。

 すると、女性のくぐもった声が聞こえてきた。


「……一目惚れしてしまったのです。四六時中、あなたのことを考えています。お風呂に入っているときも、ベッドの中でも……わたくし、あなたに夢中なのです」


 こっ……告白タイムだとぉぉぉぉ!?


 なんとタイミングの悪い……うーん。さすがに二人の邪魔をするわけにはいかないな。


「杏子。今日は出直そう」

「いや突撃しよう!」

「メンタル強すぎか! 今の会話、聞いただろ!? 先輩、告白中なんだよ!」

「私も最初はそう思ったよ? でも、たぶんネタ合わせ中だと思うな。だって、先輩たちはお笑いコンビなんだし」

「あ、それはたしかに……」


 杏子の言うことは一理ある。先輩たちが告白ネタを一本持っている可能性は否定できない。


 ……様子だけでも見てみるか。判断するのはその後でも遅くはない。


 ドアノブをゆっくり回し、屋上に出た。


 目の前には地べたに這いつくばる男がいる。

 小動物系の顔立ちのイケメンだが、その顔は苦痛で歪んでいる。


 そして、彼を見下ろすふわふわ系女子が一人。

 彼女は恍惚の笑みを浮かべて口を開いた。


「あなたのことが好きです! わたくしの下僕になってください!」

「いやなんで!? そこは告白の流れでしょ!」


 男子が強めにツッコミを入れた。


「ワンコのような顔! 従順そうな綺麗な瞳! わたくしは運命を感じました……この方は、わたくしの犬になる人だって!」

「犬になる人って何!?」

「お願いです、あなたを飼わせて! ちゃんと毎日お散歩もします! おしっことうんちの世話もしますからぁ!」

「女の子が必死な顔でおしっことか言うな!」

「お手」

「するか!」


 イケメンは女子の手をぺちーんと叩いた。


 俺と杏子はその場に立ち尽くす。

 ネタか素かわかりづれぇぇぇ……!


 それくらい、あの女の子が役に入りきっている。演技力が抜群にいい。ふわふわした天然なお姫様のように見えて、実はドSというギャップ女子を見事に演じている。


 男子のほうもこなれている。こちらも演技だとしたらたいしたものだ。


「なぁ杏子……」

「うん。いろんな恋愛の形があるんだね」

「違う、そうじゃない」


 俺が聞きたいのは、話しかけていいかどうかだよ。


「あら? あらあら? お客さんかしら?」


 俺と杏子が揉めていると、女子の先輩に声をかけられた。

 もう隠す必要もない。俺と杏子は彼女たちに近づいて挨拶した。


「こんにちは。すみません、勝手に覗いちゃって。お取込み中でしたか?」

「いいのよぉ。ただネタ合わせしていただけだから」


 やっぱりネタだったのか。安心したわ。


「わたくしの名前は九重ここのえさくら。あちらは犬の西村大地にしむらだいちくん」

「わんわーん……ってモノマネさせるな!」


 大地と呼ばれた先輩男子がノリツッコミをする。犬の鳴き真似も想像以上に上手くて正直ビビった。


 あらためて二人を見る。


 さくら先輩はふんわりパーマの長髪が似合うガーリッシュな女の子だ。優しそうなたれ目で、おっとりした印象を受ける。間延びした喋り方もその一因だろう。一方で、背は女性にしては高めだ。170cmはあるかもしれない。


 大地先輩は可愛い小動物系のイケメンだ。たしかに犬っぽい顔つきかもしれない。一部の女子からはモテそうだ。


 俺と杏子も自己紹介をし、さくら先輩の厚意で雑談することになった。

 さくら先輩が用意したレジャーシートにみんなで座る。


「そっかぁ。哲史くんたちも男女コンビなのねぇ」

「はい。同じ学校に芸人志望がいるって聞いて、お会いしたいなぁって……な、杏子?」

「うん! あの、先輩たちに質問があるんですけど……さっきのってネタですよね?」

「あらぁ? それはどういう意味かしら?」

「その……さくら先輩が相方の大地先輩を本気でペット扱いしてるんじゃないかと……」

「そんなわけないだろ!」


 大地先輩がビシッとツッコミを入れる。隣でさくら先輩は大笑いしていた。


「あはははっ! そうですわね。さすがにネタですわ」

「で、ですよねー! よかったぁ。二人とも演技力が凄いから、マジなのかと思っちゃって」

「ふふっ。大地くんのことは客観的に可愛いけど、ペットだなんて一度も思ったことはないわ。もちろん、恋愛対象としてもね」


 その一言に、はっとする。


 この人たちは、お互いを異性として意識していないのだ。


 考えていると、先に杏子が切り出した。


「ってことは、お互いを異性として意識しているわけではないんですね?」

「そうねぇ。私見だけど、男女コンビで恋愛するのはよくないと思うわ」

「ど、どうしてですか?」

「相手を異性として意識した瞬間、面白いことが言いにくくなるわ。だって、そうでしょう? 好きな異性には、女の子として見てほしいわ。さっきのネタみたいに『おしっこやうんちの世話もする!』なんて、相方に恋をしていたら恥ずかしくて言えないわよぉ」


 さくら先輩の言葉が胸の奥にグサリと刺さった。


 この人、姉ちゃんと同じ意見だ。


 ……言っていることは正しいんだよな。俺も杏子の前で下ネタは言いにくいし、恥ずかしいと思ってしまう。


 やっぱり杏子に恋しちゃいけないのか?

 男女コンビ間で恋愛をしないことが、本気で芸を目指す者のあるべき姿なのか?


 事実、悔しいけど、先輩たちは俺たちよりも漫才が上手い。


 俺は……この人たちに比べて、どれだけ真剣にお笑いに向き合えているのだろうか。


「そ、そんなことはないと思います!」


 突然、杏子がさくら先輩に待ったをかける。

 その目は真剣で、本気で抗議しているように俺には見えた。


「あら? あらあら? 杏子ちゃん、ヒートアップしちゃってどうしたの?」

「あっ……いやー、その、男女コンビが恋愛していても面白い芸人さんっているんじゃないかなーって思っただけです」


 さっきとは打って変わり、杏子はいつものように「なははー」と笑った。


 ……なんだか杏子の挙動がおかしいな。


 そもそも、いきなり恋愛の話を聞くのも杏子らしくない。真っ先にお笑いの話をするかと思っていたのに……変なの。


「あらぁ……二人はそういう感じなのねぇ」


 さくら先輩は困ったように笑い、俺と杏子を交互に見た。


「あの、俺たち変なこと言いましたか?」

「ううん、何でもないわよぉ。そうだ。せっかくだから、新ネタ見てくれない? 芸人のあなたたちから意見をもらえたら嬉しいわぁ」

「え、いいんですか?」


 願ってもない提案だった。

 先ほど一部ネタを見たが、先輩たちは芸が達者だ。ネタを見るだけで、いい刺激になる。


「杏子ちゃんも、見てくれる?」

「もちろんです! ぜひ見させてください!」

「ありがとぉ。じゃあ、大地くん。準備をしましょう」


 二人は立ち上がり、小声で打ち合わせを始めた。

 準備ができたのか、俺たちのほうに顔を向けた。

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