第8話 こんなに近くにいるのに、俺たちの恋はまだ遠い

 俺は杏子のアイデアに目を通した。


「お、この恋の勘違いネタ面白そうじゃん。認識のズレで勘違いが生まれて、酷い誤解に展開していくヤツ。告白とか浮気とか、バリエーションも増やせそうだし。杏子はどう思う?」


 尋ねると、顔を赤くした杏子が頬を膨らませて「ぶーっ」と唸っている。


「やだ。やりたくない」

「えー、マジか。でもさ、たまにはこういう頭脳系な脚本も――」

「うるさーい! 勘違いネタは今後一生やらないよっ!」

「ええっ!? な、なんでだよ……」


 理不尽すぎる。せめて理由くらい教えてくれてもいいのに……と思ったけど、尋ねる勇気はない。がるるる、と杏子が唸って睨みつけてくるからだ。


 逃げるように視線をそらし、作業に戻る。


 ……しかし、お互い見事に恋愛ネタばかりだ。話をどう展開するか考えてみても、同じようなアイデアばかりが浮かぶ。


 たいして進捗のないまま、時間ばかりが過ぎていく。


 しばらくして、杏子は俺の隣に移動し、ネタのメモを見せてきた。


「ねえ。テツの考えたこのネタどうかな?」

「ん……ああ。告白ネタか。自分で考えておいてアレだけど、シチュエーションで味付けしないと面白くないと思うぞ?」

「定番ネタだからこそ、変幻自在に味付け可能、ってね。私はこれイジってみたいなぁ」

「そ、そうか……」


 返事こそしたが、うわの空だった。


 ネタ作りどころではない。

 何故なら、杏子がべったりくっついてきたのである。


 お互いの肩と肩が触れ合っているこの状況……杏子の体温が伝わってきて気が気じゃない。なんかいい香りまでする。まったく集中できないんですけど。


 しかも、杏子の顔が至近距離にある。

 大きな目も、ふっくらしたピンク色の唇も可愛すぎだ。


「あ、杏子。くっつきすぎだって。少し離れてよ」


 抗議すると、杏子はニヤリと笑った。


「おやぁ? もしかして、相方にくっつかれてドキドキしちゃった?」

「いや、それはだな……」

「ぬははー。テツも思春期だねぇ。どうする? もっとくっつく? うりうりー」


 杏子は悪戯な笑みを浮かべてすり寄ってきた。


 ここ最近、スキンシップ絡みのイジリが多い気がする。

 昔はそんなにしてこなかったのに……なんだ? こういうからかい方がマイブームなのか?


「ばか言え。今さら相方にドキドキしないっての。暑苦しいから離れろって意味」


 俺は強がりの言葉で迎え撃った。

 嘘です。本当はドキドキしています。思春期の俺には刺激が強いので離れてください。


 これくらいで勘弁してもらいたいところだが、杏子のことだ。もっと俺を辱めてくるに違いない。


 そう思ったが、杏子は力なく笑った。


「……なははっ。だよねー」


 悪戯がエスカレートするかと思いきや、潔く引き下がった。

 よくわからないけど、しょぼーんとしている。


「……杏子? どうかした?」

「べっつにー。からかいがないなーって思っただけ……もっとあたふたしてよ。けち」

「けちの意味がわからないんだが……」

「この話はおわり! ほら、早くネタ考える!」

「う、うん……?」


 納得する回答も得られないまま、俺は作業に戻った。


 ……最近、なんか相方の様子がおかしい。


 気のせい、なのかな?



 ★



 テツがネタ作りをしている間、私は頭の中でお笑いとは別のことを考えていた。


 ぐぬぬー……テツのばか!

 こんなにアピールしているのに、全っっ然意識してくれないんだもん!


 ううっ。デート服を褒めてくれたときは「イケる!」って思ったのに。それ以降はまったく脈ナシだった。


 例えば、ウチでネタ作りしようって言ったとき。「私と一緒に暮らすのも問題ないって意味?」って尋ねたら、それはボケだって……期待しちゃったじゃん。ズルいよ、人の気も知らないで。


 そもそも、ウチに呼ぶのだって緊張したんだよ?


 テツを好きになってからは家に招いたことなかったし……君にはわからないだろうけど、好きな人を家に呼ぶの、ドキドキするんだからね?


 さっきだってそう。くっついてアピールするの、すごく恥ずかしい。


 でもさ。そうでもしないと、テツは私の気持ちに気づかないでしょ?

 まぁ鈍感な君はアピールしても全然気づいてくれないわけだけど。


 あー……でも、さっきのは少し利いたな。


 テツは言った。「今さら相方にドキドキするわけない」って。


 そんなこと言わないでよ。

 そっちはそうかもしれないけど、こっちはずっと心臓バクバクしているのに。


 ……だけど、テツの主張もわからなくもないの。


 私たちはずっとコンビを組んできて、お笑いに真摯に向き合ってきた。

 他のことには脇目もふらず、お笑いに青春を捧げたのだ。


 それなのに、今になって好きになっちゃうなんて……テツの言うとおり『今さら』すぎるよねぇ……。


 一般的には、男女コンビの恋愛はなかなか上手くいかないとされている。それは私も理解しているつもり。


 でもでも、それって好きって気持ちをあきらめる理由にならないんだよなぁ。


 いいじゃん、べつに。相方のことを好きになっても。

 それで芸ができなくなるのなら、お笑いに対してその程度の情熱しかなかったってことでしょ。


 私もテツも、そんな半端な気持ちでお笑いやってない。


 だから……恋と芸、両方選んでも大丈夫でしょ?


 うん……そうだよ、大丈夫!


 私はテツと親友みたいにスキンシップも取れる。セクハラネタも全然へーき。「相方を異性として意識したら、接し方が変わって面白くなくなる」なんて嘘っぱちだ、都市伝説だー!


 そのはずなのに……どうして恋愛ネタしか浮かばなかったんだろう。


 ……あー。考えたってわからないや。

 やっぱり、お笑い以外のことで頭を使うのは苦手だ。


 なんかムカムカしてきたから、テツのわき腹をつんつんしてみる。

 テツは「あひぃ」と情けない声を漏らした。


「なははっ。テツってば、なーに感じてるの? きもーっ!」

「お前が急に突いてくるからだろ! だいたい、お前はいつもいつも――あひぃ!」

「だはははーっ!」

「俺の敏感な体を弄ぶな!」


 好きな人とじゃれ合っていると、悩みなんか吹き飛んじゃう。

 ほんと、テツと悪ふざけしている時間は楽しいなぁ。

 これからもずっと、こんな優しい時間が続けばいいのに。


 子どもみたいな考えだと我ながら思う。


 でも、私は本気だ。


 訳知り顔の大人たちが、恋と芸、両方は手に入らないと言うならば、私はそれに抗ってやる。


 私はどうせ子どもだけど……子どもにしかわからないことだってあるよ。

 パンクしちゃいそうなこの気持ちは、諦めることに慣れた大人たちにわかるもんか。


 だけど。


 どうして不安になっちゃうんだろうなぁ。

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