第7話 相方に恋をした結果、恋愛ネタしか思い浮かばない件
電車で移動すること四十分。
駅から徒歩十分のところに杏子の家はある。
杏子いわく、「今日はパパもママも出かけていて夜まで帰ってこないの。邪魔が入らないから安心してネタ作りできるね!」とのこと。つまり、今日は夜まで杏子と部屋で二人きりだ。
両親不在か……別に何が起きるわけでもないが、やっぱり緊張してしまう。好きな人が隣にいると、もうそれだけでドキドキしちゃうものなんだな。
「お邪魔しまーす」
家の玄関のドアを開けて中に入った。当然、返事はない。
「あはは。テツは律儀だなー。誰もいないって言ったじゃん」
「誰もいなくても挨拶するのが礼儀だよ」
「おっ、優等生発言。つまらないなぁ。芸人なんだからギャグくらい言いなよ」
「………………ど、泥棒でーす! 金品を頂きに参りましたー!」
「考えてそれ? やばーっ! ねえ、どこで笑ったらよかったの?」
「ほっとけ!」
スベったギャグをイジるのやめて、恥ずかしいから……。
落ち込みつつ、二人で杏子の部屋に入った。
室内はごく一般的なものが置かれている。勉強机に本棚、ベッド、テレビ、クローゼットなどだ。
枕元にぬいぐるみがあったり、カーテンの色がピンクだったりと、女の子らしさが随所にある。一般的な女子と違うのは、漫才の関する本やDVDが本棚に並んでいる点くらいだろう。
……前に来たときよりも、女の子の部屋っぽく見えるな。
いかん。意識したら、急に緊張してきた。
あまり室内をジロジロ見るのも失礼だよな。
どこに視線を向ければいい?
というか、どこに座ればいいんだ?
「テツ。そのへんに座って?」
「お、おう……お構いなく座るでござる」
訳のわからないことを口走りつつ、カーペットの敷かれた床に腰を下ろす。
「あ、そこ座るの? ベッドにでも腰かけたらいいのに」
ベッド……?
こやつ、自分がいつも寝ている場所に座れと申すか……!
「いや、いいよ。俺、床好きだし」
無理だ。座れるわけがない。
ドキドキしてネタ作りどころじゃなくなる。
「床が好き? なはは、テツは変わってるなー」
笑いながら、杏子は机の上にあるPCを立ち上げた。
ディスプレイを見ながら、マウスをカチカチと鳴らしている。
「テツ。エントリーできたよ」
「さんきゅ。あとは新ネタだな」
「だねっ! というわけで、早速ネタ作りしよ?」
杏子はクローゼットから折り畳み式のテーブルを持ち出した。そして、二人ぶんの紙とペン、それからスマホをテーブルの上に置く。
俺たちはテーブルを挟んで向かい合って座った。
「テツ。三十分でいい?」
「うん。いいよ」
俺たちがネタ出しをするときは、まず時間を区切る。
その時間内にネタのアイデアをできるだけ出すのだ。
そのあとでお互いのネタを持ち寄り、今度は二人でアイデアを出し合う。
これを納得のいくネタが出るまで延々と繰り返す。
このネタ出しの段階で、だいたいいつも二本まで絞り込むことができる。そしてお互いが気に入ったほうのネタを持ち帰り、脚本に落とし込む。後日、脚本を見せ合い、面白かったほうを採用する、という流れだ。
一番大事なのは、このアイデア出しの時間だ。
いくら脚本を上手に書けたとしても、肝心のネタ自体が面白くなければ意味がない。
先ほどまでとは違い、ピりついた空気が室内を支配する。今まさに真剣勝負が始まるかのような緊張感だ。
「テツ。スマホのタイマー、セットしたから」
「了解。俺はいつでもいけるよ」
「じゃあ、はじめよっか……せーのっ!」
杏子がスマホをタップする。
次の瞬間、俺たちは紙にペンを走らせた。
まずは何でもいい。思いついたギャグ、シチュエーション、パワーワードなどを並べていく。閃きは次のフェイズに任せてもいい。とにかくアイデアの種を量産する。
俺たちの間に会話はなかった。それどころか、見向きさえしない。こんなに近くにいるのに、まるで違う部屋で作業しているみたいだ。それくらい、お互いこの作業にのめり込んでいる。
しばらくして、ピピピピッという電子音が室内に鳴り響く。ネタ出し終了の合図だ。
杏子はスマホをタップしてタイマーを止めた。
「ふぅー。三十分が早く感じたな」
「はぁー……私、のどカラカラだよぉ」
二人で盛大に息を吐く。今まで呼吸を忘れていたかのように苦しい。たぶん、杏子も似たような状況だろう。
「どうする、杏子。休憩するか?」
「いや。このまま一気にやっちゃおうよ。鉄とテツは熱いうちに打てってね」
頭を酷使した反動なのか、ダジャレがしょうもなさすぎる。
ダジャレは聞かなかったことにして、杏子とアイデアの書いた紙を見せ合った。
紙を見ながら意見交換をしてアイデアを掘り下げていくフェイズだ。
開始早々、杏子が不思議そうに首を傾げる。
「なんかさぁ、今回のテツのネタ、恋愛ネタが多くない?」
「ぎくっ」
鋭い指摘におもわず硬直する。
杏子の言うとおりだ。作業中、「恋愛ネタを捻ったら面白くならないだろうか?」と、そればかり考えていた。相方に恋をすると、ネタの方向性まで変わってしまうらしい。
別に恋愛ネタが悪いわけではない。
ただ、そればかりではネタの選択肢が狭すぎる。
……さすがにダメか。
「俺のアイデア、バリエーション少ないよな。杏子も真剣にネタ出ししているのに、こんな体たらくでごめん」
「謝る必要なくない? 別に恋愛ネタ自体は悪くないじゃん」
「でも、自分の中で許せなくてさ」
「なははっ。お笑いに対してはストイックだなぁ、テツは。そこがテツのいいところだし、私の好きなところでもあるけどね」
「杏子……ところで、なんだけどさ」
「元気だせよー。さっきも言ったけど、ネタ自体は悪くないって。ほら、このネタなんか面白そうじゃん」
「いや、その……なんか杏子も恋愛ネタ多くない?」
「ぎくぎくっ」
急にだらだらと汗を流し始める杏子。
妙に俺に優しいなと思ったら、自分も同じ状況だったんかい!
「いやー、まいったね。テツと同じで『観ルネ』で恋愛ネタの影響受けすぎちゃったみたい」
「今日、恋愛ネタやっていた芸人いたっけ……?」
「それは、その……アーーークセルッ!」
「くるまドライブで誤魔化すな!」
仮にも芸人なら、オリジナルの一発ギャグでも披露してほしいところである。
「ま、まあ? 今日はお互い調子が悪かったってことでね」
「共倒れのこの状況はヤバい気がするけど……俺たちスランプなのかな?」
「だいじょーぶ! 恋愛ネタ自体は悪くないって言ってるじゃん。もうちょっと考えてみようよ。ね?」
そう言って、杏子は再び俺のネタのメモを見始めた。
真剣な表情でメモを見つめる杏子を見て、ふと疑問が浮かぶ。
どうして杏子は恋愛ネタばかり浮かんだのだろうか。
俺の場合、片思い中の恋心が無意識にネタにまで影響を与えてしまった。
だが、杏子はそうではないはずである。
もしかして……杏子、そういうことだったのか?
「俺、杏子が恋愛ネタばかり思いついた理由がわかったよ」
「へっ? な、なんのこと?」
杏子は誤魔化すように笑った。心なしかその頬は赤い。
この反応……やはり俺の推理は正しいようだ。
「杏子。俺に内緒にしていることあるだろ」
「ふえっ!? い、いやまぁあるけど……テツには言えないよ」
「なんでだよ! 恥ずかしがらずに告白しちまえよ!」
「私、まさか告白の恐喝されてる!?」
「ごめん。告白って言い方が大げさ過ぎたよ。教えてほしいだけなんだ」
「お、教えてほしいって……こんな雰囲気で言えるわけないじゃん! ばかぁ!」
「いや言えるだろ! 最近読んだ恋愛漫画にハマったことくらい!」
「……え? れ、恋愛漫画?」
「だって、そうじゃなきゃ杏子が恋愛ネタを書くはずがないからな。どうせ恋愛漫画の影響を受けたんだろ? さあ、教えてくれ。ハマった漫画はオススメし合うってコンビ間のルールじゃんか」
「あー、うん……また今度ね。今はネタ作りに集中しようよ」
「おう。約束な」
「はぁ……早とちりしちゃったじゃん。ばか」
杏子はがっくりと肩を落とした。
あれ? 俺、なんか落ち込ませるようなこと言ったかな?
よくわからないけど……ひとまずネタ作りに集中するか。
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