第5話 相方のこと可愛いって言っちゃった
『観ルネ』は待ち合わせ場所からすぐそばにある。
会話もそこそこに、俺たちは目的地に到着した。
劇場のある大きなビルを見上げながら、杏子は俺の肩をぱしぱし叩いてきた。
「やばいよ、テツ! 興奮してきた!」
「だな。俺もテンションあがってきたよ」
「だよね、だよね? ただいま、『MIRUNE4』! 会いたかったよー!」
杏子はビルに向かって手を振っている。
周囲の人がくすくすと笑っているが、杏子は気づいていないようだ。
複合型商業施設『MIRUNE4』。七階建ての建物だ。ファッション、雑貨、インテリア、レストラン等のテナントが入っている。ちなみに、お目当ての劇場は七階だ。
エレベーターに乗り、七階へ移動する。
あらかじめ購入したチケットで入場し、指定された座席に腰を下ろした。
入り口で貰ったパンフレットを見ながら、杏子はご機嫌だった。
「これ見て、テツ! 今日『くるまドライブ』出るじゃん!」
「杏子は好きだなぁ、くるまドライブ」
「うん、すっごく面白いもん! アーーークセルッ!」
杏子が両腕を広げてピン芸人のくるまドライブの真似をした。オチを言い終わった後にやるお決まりのポーズである。
「あんまりはしゃぐなよ? 周りの人の迷惑にならないように……」
と、言いかけたときにはもう遅い。
後ろの席からくすくすと笑い声が聞こえる。杏子のモノマネが微笑ましく見えたのだろう。
杏子はというと、ほんのり頬を赤くして照れ笑いをしている。
舞台上では無敵の彼女も、公共の場では多少の羞恥心はあるらしい。
「それで? 他にお気に入りの芸人は出るの?」
助け舟を出すと、杏子は再び目を輝かせた。
「いっぱい出るよ! えっとねー、『ぴょろぴょろ』でしょ。『ゴールデン・シルバー』でしょ。あっ、男女コンビだと『花とブタ』とか!」
花とブタ。年末の有名な賞レースの常連でもある、人気の男女コンビである。ボケ担当の女性が自意識過剰な美人キャラを演じ、それに男性がツッコミを入れる芸風が得意だ。
「いいね、花とブタ。今度ああいうネタやってみない? 杏子が美人キャラを自己主張して、俺がそれに反論する感じでさ」
「えー。それじゃあ、まるで私が美人じゃないみたい」
「すでに自意識過剰キャラになってるし……まぁたしかに美人系ではないか。杏子は可愛い系かもね。顔も小さいし、目もくりくりで……ん? どうかした?」
杏子は目を見開き、口をぱくぱくしながらこちらを見ている。顔も赤い。
「何言ってんだお前ぇぇぇ!」みたいなリアクションだ。
何言ってんだって、美人系というより可愛い系だなって……あっ。
しまったぁぁぁ……!
うっかり可愛いとか言ってしまったぁぁぁ……!
「ま、まあ可愛いっていうか小動物系ね。元気のあり余ったウサギみたいなね、うん」
「そ、そっか! うさちゃんね! なら納得!」
全然誤魔化せていないが、杏子は俺の意図を察してか全力で乗っかってきた。
……あぶないところだった。
好意が伝わるような発言は、コンビの仲をギクシャクさせかねない。今後は気をつけよう。
そして、再び周りからくすくすと笑い声がした。たぶん、両想いの学生にでも勘違いされているのだろう。
残念でしたー。男が片想い中のお笑いコンビでーす……ははっ。自虐ネタはしんどいウホねぇ……。
落ち込んでいると、ステージが暗転した。
「わあぁぁっ……! いよいよ始まるね、テツ!」
先ほどの恥ずかしさはどこへやら。杏子は、にへらっと嬉しそうに笑った。
「ああ。楽しみだな」
笑顔で返した直後、アナウンスが入る。挨拶、観劇の注意事項、そして大まかなタイムスケジュールが説明された。
そして、開演が告げられる。
『本日はこちらの芸人さんからスタートです!』
紹介アナウンスの直後、明転する。
舞台袖から出てきたのは、グラサンをかけた男性のピン芸人だった。
「ぬわーっ! いきなり『くるまドライブ』きたーっ!」
隣の席で大きな拍手を送る杏子。目をキラキラと輝かせ、ニコニコ笑っている。見ているこっちまで楽しい気持ちにさせてくれる、そんな素敵な笑顔だ。
くるまドライブのネタ中、俺も杏子もずっと笑いっぱなしだった。
やっぱりテレビで観るのとは違う。生きた空気……ライブ感、というのだろうか。劇場での笑いは、劇場でしか味わえない臨場感がある。
やっば。テンション上がるわ、これ。
ネタが終わり、盛大な拍手が沸き起こる。
くるまドライブが舞台袖にはけた直後、すぐに暗転した。
そして、明転する。
今度はトリオ芸人のコントだ。『銀行強盗から強盗する支店長』というシチュエーションが繰り広げられている。
ボケの銀行員と支店長に間に挟まれ、ツッコミの強盗犯がパニック状態。設定も面白いし、話が思わぬ方向に転がっていく。俺たちは終始笑っていた。
その後も次々と芸人たちのネタが披露されていき、気づけば閉演時間を迎えていた。
俺たちは席に座ったまま、ネタの余韻に浸っている。
ふと隣を見る。
杏子はうっとりした顔で誰もいない舞台を眺めていた。
「はぁー……すごいね、プロの芸人さん。私もあんな風に輝きたいな」
「だな。いずれ俺たちもこの舞台に立とう」
「うんっ! まずは学生のうちに実績を作らなきゃね! がんばろう!」
「ああ。賞レースに出場しなきゃだな」
学生のうちにお笑いコンテストに出て入賞すること。
コンビを組むにあたり、俺たちが決めた最初の目標だ。
残念ながら、まだ目標達成には至っていない。
でも、まだまだ時間もチャンスもある。学生お笑いコンテストでいい結果を残して、絶対に名を馳せてやるぜ。
「杏子。『観ルネ』に誘ってくれてありがとう。いい刺激をもらったよ」
「でしょー? どっちが面白い台本作れるか競争ね!」
「負けたほうが教室で一発ギャグな」
「いいの? 私は教室でよくやるけど、テツはあんまりやらないじゃん」
「馬鹿め。負けたときのことなんか考えてないわ」
「あはは、強気じゃん。これは面白くなってきましたなぁ」
楽しそうに杏子は笑った。
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