第2章 目指せ! ハイスクール漫才グランプリ!

第3話 あの日の夢、そしてデートの約束

 これは過去を俯瞰した夢。

 そう自覚できたのは、大切な思い出のワンシーンだったからに他ならない。


 ここは小学校の体育館の舞台袖。十歳の俺はそわそわしつつ、自分の出番を待っていた。


 当時の俺は、同年代の男子と比べても背が小さかった。坊主頭だし、今の容姿とは全然違う。変わっていないのは、お笑いにかける情熱だけだ。


『里中哲史くん』

「はい!」


 先生に名前をアナウンスされ、元気よく返事をした。


 この日を忘れるはずもない。

 俺の人生の転機となった記念すべき式典――『二分の一成人式』があった日だ。


 二分の一成人式とは、成人式の半分の年齢、つまり十歳の児童を対象とした学校行事だ。児童はみんなの前で『両親への感謝』や『将来の夢』など、何かしらのメッセージを発表することになっている。


 壇上に立ち、周囲を見回す。隅っこに立って並ぶ先生たちも、パイプ椅子に座る生徒たちも、みんな俺に注目している。


「将来の僕へ。四年一組、里中哲史」


 静寂に包まれる中、用意した原稿を読み始める。


「僕の夢は、日本一のお笑い芸人です」


 言った瞬間、どこかでくすくすと笑う声が聞こえる。クラスメイトたちだ。あの笑いには「またテツが変なこと言ってる」という含みがある。


 当時から俺は人を笑わせるのが好きだった。教室でもギャグばっかり言って、みんなを笑わせていたっけ。


 発表はつつがなく進行していき、原稿の最後の段落に差しかかった。


「二十歳の僕は夢を追いかけていますか? 子どもの僕にはわからない、辛いことがたくさんあると思います。でも、僕はそれ乗り越えて、最高の芸人になるって信じています」


 ――だって、僕はお笑いが大好きだから。


 その言葉で締めくくり、一礼する。


 拍手が鳴り響く中、俺はわざとその場に原稿を落とした。それを拾うためにしゃがむと、自然と演壇に隠れるような格好になる。


 これで俺の姿はみんなには見えない。


「やるぞ……作戦決行だ」


 小さく呟き、急いでズボンのポケットに手を突っ込む。中から水泳帽とゴーグルを取り出し、それを装着した。


 そして、素早く衣類を脱ぎ捨てる。


 海パン姿になった俺は、原稿を片手に演壇から離れる。舞台袖で待機中の先生が口をあんぐり開けて俺を見ていた。


 その瞬間、体育館は笑い声に包まれる。


「ちょ、なにあの坊主の子! なんで水着姿なの!?」

「あれ準備してたの? ウケるんですけど!」

「あははっ! おもしれー!」

「ぎゃはははっ! さすがテツ! アホすぎるー!」


 爆笑の渦の中、体が震える。


 ああ……人を笑顔にするの、すんげぇ気持ちいいや。


 当時の俺はかなり興奮していた。

 みんな、もっと熱い視線で見てくれ。この恥ずかしくて面白い姿の俺を!

 さあ、まじまじと!


 ……などと悦に浸っていたのは一瞬だった。すぐに男の先生に舞台袖に連れて行かれて説教を喰らってしまった。まあ仕方ない。どの時代でも優れた芸術とは理解されないものである。


 先生にお叱りを受けていると、突然、館内で笑い声が爆ぜた。

 さっきの俺のネタよりもウケている。空気が震えるほど大きな拍手笑いだ。


 視線を壇上に向ける。


 そこには少女がいた。ショートヘアで前髪ぱっつん。日焼けした小麦色の肌。遠くから見たら、少年に見えなくもない。


 あれは隣のクラスの人気者……小学生時代の杏子だ。


 杏子は全身白タイツ姿だった。ごついサングラスを装着し、ちょんまげヅラを被っている。そして、何故か右手には長ネギを持っていた。


 いかにも小学生が好きそうなお笑いセンスだが、体育館にいるのはその小学生だ。ウケないはずがない。この瞬間、杏子は誰よりも面白いヒーローになったのだ。


 笑い声に包まれる中、杏子は原稿を読み始める。


『将来の私へ。四年二組、水原杏子』


 それだけ言って、杏子は原稿を丸めて投げ捨てた。

 そして、ネギを竹刀のように構える。


「長ネギ一刀流! お野菜の舞ッ!」


 そう叫ぶと、杏子はネギを振り回して演武を始めた。


 あの原稿、名前しか書いてなかったらいらなくね?

 てか、長ネギ一刀流ってどこの流派?

 タイツとサングラスの意味ある?


 ボケの大渋滞にツッコミワードが次々と浮かび上がる。

 もう我慢の限界だった。

 俺は、ぷっと噴き出した。


「あはははっ! めちゃくちゃだろ!」


 不思議な感覚だった。


 隣のクラスの女子が俺よりも笑いを取っている。お笑い芸人を志す者としては、杏子に嫉妬くらいしそうなものだ。


 だけど、全然悔しくない。俺は杏子のまぶしい才能に夢中だった。


 一度笑ったら、もう止めるのは無理だった。

 俺は腹を抱えてゲラゲラ笑った。


「あははっ! おもしれーやつ! よくあんな格好で――あでっ!」

「里中ぁ! お前の説教はまだ終わっとらんぞ!」


 すぱーん、と頭を叩かれた。なんでだよ。先生もちょっと笑っていたのに理不尽すぎるぞ。


 そして杏子は俺と同じように先生に止められた。


 舞台袖に連行される途中、杏子は「私の夢はお笑い芸人! 未来の私! 絶対叶えてよぉー!」と舞台上で叫んだ。


 彼女の言葉を聞き、ふと思う。


 もしも、あんな面白い子とコンビを組めたら……俺の胸の中で、今まで芽生えたことのない感情が燃え上がる。


 その後、二人まとめて説教され、仲良く反省することになった。杏子はサングラスこそ外したものの、「武士の情け! 武士の情けー!」と喚き、頑なにヅラだけは取らなかった。


 解放されたあと、俺たちは体育館の外へ放り出された。


 この場に先生はいない。二人きりだ。俺はようやく杏子に話しかけることができた。


「水原杏子……だよな? お前、面白いのな」


 声をかけると、杏子は照れくさそうに笑った。


「ありがとう。君の途中から水着になるアイデアもすごくよかったと思うな」

「お、おう……そういう褒め方されたの、初めてだ」

「照れてるの?」

「てっ、照れてないわっ!」

「あはは! リアクションも面白いなぁ。えっと……名前は?」

「里中哲史。テツでいいよ」

「そっか。じゃあ、私は杏子って呼んで?」

「……なあ、杏子。俺と一緒にお笑いやらない?」


 気づけば、自然とそんな言葉を口にしていた。


「それって私とコンビを組みたいってこと?」

「うん。杏子さえよければ、だけど……どうかな? まあいきなり言われても困ると思うから、返事はいつでも――」

「おっけー。コンビ組んじゃお!」

「いや即答かよ!」


 普通はもっと考えることだと思うが、杏子はノリノリだった。


「あのね……実はさっき、私もテツとコンビ組めたらいいなーって思ったの」

「えっ! マジで?」

「うん。面白かったのもそうだったんだけどさ……真面目な発表会で、全校生徒の前で水着姿になる勇気。お笑いに全力じゃないと、絶対にできないことだと思う。君はただのお調子者じゃない。本物の芸人だ」

「本物の、芸人……」

「私、本気でお笑いやりたいの。コンビ組むなら、テツみたいにマジな人と組みたいな」


 彼女の瞳は真っ赤に燃えていた。

 射貫かれただけで火傷しそうな情熱の視線に、おもわず身震いする。


「テツ! 一緒にテッペン目指そう!」

「……ああ!」


 俺たちは誓いのハイタッチを交わした。


 その場に響く乾いた音は、コンビ結成を告げる祝福の音。じんっと痛む手は、夢を叶える同志ができた証だった。


 この日、俺たちは二人でお笑いの頂点を目指すことを約束する。


 コンビ名は『ニブンノイチ』。

 二分の一成人式がコンビ結成日の俺たちにピッタリだ。


 杏子と笑い合っていると、視界が徐々にぼやけていく――。


 ◆


「……ツ? テツってば。おーい、里中哲史くーん。朝ですよー」


 耳元で杏子の声が聞こえる。夢から覚めたのだ。


 もう少し夢の余韻に浸っていたかった気もするが、朝が来たのなら仕方ない。早く起きないと遅刻する……って、ちょっと待て!


 朝ってことは、ここ俺の部屋だよな?

 それなのに、杏子が耳元で囁いてくるこの状況は……!


「なななっ、なんで杏子が俺のベッドに!?」


 慌てて顔をあげる。


 すると、そこには見慣れた教室の風景が広がっていた。

 壁掛け時計を確認する。時刻は午後三時三十分。どう考えても放課後である。


「なははっ! テツ、爆睡しすぎ! てか、私と同じベッドで寝てる夢とかウケるー!」

「おまっ……またからかったな!」

「へへーん。引っかかるほうが悪いんだよーん」


 杏子は右足を軸にして、その場でくるくる回った。スカートが花弁のようにふわりと舞う。


 おい、転ぶなよ?

 ――と注意する前に、杏子の足首がぐにゃっと曲がる。


「杏子!」


 慌てて席を立ち、杏子を後ろから抱きとめる。


「危なかったな……大丈夫?」

「う、うん……」

「どうした? もしかして、足をくじいたとか?」

「そ、そうじゃなくて……抱きしめられちゃってますなぁ、と思いましてね。たはは……」


 その言葉に頬がかあっと熱くなる。

 俺は杏子から離れて距離を取った。


「い、今のは俺のせいじゃないよ? 不可抗力だ。やましい気持ちは一切ないからな?」


 どうしてだろう。めちゃくちゃ言い訳っぽくなってしまった。これはまたイジられるパターンでは?


 そう思ったが、何故か杏子は黙っている。

 恥ずかしそうにスカートの裾をきゅっと握り、もじもじしていた。


「……杏子?」

「その……テツってば、いつも私のこと見てくれてるなって。抱きとめてくれて、ありがとね」


 杏子は「なははー」と笑いながら、俺の肩をぺしぺし叩いた。


 もしかして、照れ隠しをしている?


 ……ま、そんなわけないか。杏子は俺のことを異性として見ていないんだから、抱きつかれても照れる理由がないもんな。


 などと思っていると、杏子はニヤニヤしながら俺に顔を近づけた。


「それで? 女子高生に抱きついた感想は?」

「いや別にないけど」

「えー。ほんとかなー?」


 楽しそうに笑う杏子。もうすっかりいつもの調子を取り戻したようだ。


 ……杏子は俺にスキンシップを取ってくるけど、よく平気だよな。俺だったら、異性の体にベタベタ触れるなんて緊張する……ああ、そうか。異性として思われてないのか。いいさ、いいさ。どうせ俺はボスゴリラ扱いだよ。悲しいウホねぇ……。


「ねえ、テツ。明日ヒマ?」


 一人で悲しみに暮れるゴリラになりきっていると、杏子が予定を聞いてきた。


「土曜日か……特に予定はないよ。新ネタでも考える?」

「それもいいんだけど、たまに気分転換しない? 『観ルネ・ザ・もとよし』行こうよ!」


 観ルネ・ザ・もとよしとは、新宿駅南口のそばにあるお笑い劇場のことだ。


 運営元は、あの天下の元好もとよし興業株式会社。数多くのタレントを抱えている企業だが、中でもお笑いに力を入れている。『観ルネ』は元好所属の芸人がネタを披露する場所だ。


「お、いいね。定期的にライブは観ないとな。いい刺激になるし」

「でしょー? ひさしぶりだよね、『観ルネ』。三年ぶり、四回目の観劇!」

「箱根駅伝の予選会通過みたいな言い方するな。あと一ヶ月ぶりだし、数えきれないくらい行ってるよ」

「あはは、そうだったね。あ、そうそう。チケットはもう押さえてあるから」

「お、準備いいじゃん……いやちょっと待て。俺の予定も聞かずに予約したのか?」


 相方に暇ゴリラだと思われていた。泣きたいウホねぇ……。


「なははーっ。ま、細かいことはいいの。楽しみだねっ、テツ!」

「うん……って、くるくる踊るな! また転ぶから!」


 慌てて杏子のダンスを止める。まったく懲りないヤツめ。


「んじゃ、あとでメッセージ送るよ。私、今日はちょっと寄るところあるから先帰るね」

「わかった。気をつけてな」

「うん! ばいばーい!」


 杏子は大げさに手を振りながら教室を出ていった。


 元気な彼女の背中を見送り、ため息をつく。


「はぁ……杏子と『観ルネ』かぁ」


 もちろん、行きたくないわけではない。『観ルネ』は楽しみだし、プロの芸を観るのは勉強になる。


 問題は杏子と二人きりで出かけるということだ。


 昔と違って、変に意識しちゃうんだよなぁ。休日に高校生の男女が出かけるとか、普通にデートだろ。


 どんな服を着ればいいのか。何を話せばいいのか。思春期の男子らしい悩みがぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 相方に恋をすると、本当に辛い。


「落ち着け……変に意識するな。いつもどおりでいいんだ」


 ぶつぶつと独り言ち、教室を出るのだった。

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