第17話 酒好きの魔の名は
峠道を一行は、のんびりと登って行く。
「お腹減ったね」
「なかなか出てこないから、飯にしませんか」
景色もいい、アンジェルの土地がずっと見渡せる、ということは結構高いところまで登ったようだ。
「一番近い道って言うけれど、この道って、結構女性には大変じゃない?」
「でも急ぎだとやっぱり、みんなここを通りたいって思いませんか」
シロイチとモモの会話にリンはどちらにも一理あるように思えた。
「実は、私もここを通るのは初めてなんです」
言われてみればその通りだろう、ジェネも女性だった。あえて魔と闘うつもりがない以上ここを通ることはない。
「うーん、どうだろう、本当に魔にさらわれた女性なんているのかなあ」
「そういえば、俺も効いただけで実際はわかりません」
「まあ、出てきてくれればわかりますよ」
ジェネは案外楽天家だ。
「これ旨いね、なんていう食べ物」
「おにぎりよ、私のもと暮らしていたところの食べ物」
「私も初めてですが、リン様がつくられたのですか?」
「うん、ベガ様のところからお米頂いて、モモに炊いてもらったの」
「アンジェルじゃあ作ってないですよね」
「うん、多分気候が合わないのかな、ベガ様はご自分用だけ栽培されているみたい」
「お館でもできますよ」
モモが言う。
「そうなの? つくろっかなあ」
「シロイチをこき使えば、いいのできますよ」
「なんで俺なんだよ」
「頑張ったらまたおにぎり作ってあげる」
「ほんとうですか」
やってみるかと思う、せんべいを焼くって手もあるなあ。それなら他国に売れるかも。
「あーあ、なんかピクニックだね、ここ公園にしたいなあ」
といったとたんに、風が吹き俄かに空が曇って来た。
「夕立?」
地球ならそうだがここは違った。
「久しぶりの酒と女だ」
黒雲の中から声がした、お待ちかねの相手の登場らしい。
ほんとに居たんだ。リンはちょっとほっとした。なぜなら魔の仕業でなければ、誰かが仕組んだことという話になるからだ。自国にしろ隣国にしろ、そんなことを企む人物がいるとは考えたくなかった。
空中から現れたのは、白髪の渋い老人だった。なかなかのイケメンで、着流しのような服がよく似合う。
ジェネと、モモが、『ぽかん』というよりどちらかというと『ぽーっと』した顔をしているのがおかしかった。
「小僧、痛い目に遭いたくなければその酒と女を渡せ」
服装もそうだが、セリフがまるで時代劇だ。
「いやだって言ったら」
シロイチの言葉が終わらぬうちに、彼は十メーターほど吹っ飛ばされた。
「シロイチ」
「だ、大丈夫です」
飛ばされただけらしい、鳥がケアってシロイチは身が軽い。
「お酒も渡します、我々も、あなたに従います、だから命ばかりは」
ここはとりあえず従うふりをして油断をさせねばならない、もともとの計画だ。
「そうか、そうか、聞き分けのいいことだ、じゃあまずは酒を」
一瞬にして風景が変わった。全員が、竹林の中にいる。丸いテーブルが置かれ、その上にグラスが置かれている。
「おい、そこの娘、樽からこれに酒を注いで、酌をしろ」
魔はジェネに柄杓を渡した。やっぱり魔も若い美人の方がいいんだ、とリンはちょっとだけ嫉妬した。
だけどジェネはやっぱり軍人だった。
魔がグラスに手を伸ばす瞬間に、ドレスをまくり上げると、太ももに忍ばせていたナイフをノールックで魔に突き立てた。
はずだったが、ジェネの手はナイフが刺さる寸前でつかまれ、彼女は魔に抱き寄せられるといきなりキスをされていた。
じたばたしていたジェネがおとなしくなる。
「威勢のいいことだ。酒のつまみにはおいしすぎるな、待っておれ。これを飲んだら、もっといい思いをさせてやる」
魔は酒を一口、口に含んだ。そのしゅんかんかおをゆがめ、吐き出した。
「まずい、何じゃこれは、ホルクのしょんべんか」
「お前ら、こんなまずいもの何処に売りに行くつもりだ」
試飲したリンには、ちょっと熟成が若いものの、それほどまずいものとは思えなかったが、魔には違ったようだ。
魔は、怒り心頭といった風情で、酒樽を蹴倒した。
「まずいってなによ。よくも私の造った、お酒を」
モモが珍しく真っ赤になり、怒鳴った。
「お前が造っただと、馬鹿もん、材料を無駄にしくさって」
魔がモモをぶとうとしたのか、柄杓を握り、腕を振り上げた、とたんその肩口をが貫いた。
矢が金色に輝く。
「お前、何者だ。ただの女じゃないな。この矢、破魔の矢か」
魔の身体は、矢があたった位置から白く変わっていく。
「私はこの国の領主の妻。魔よ、この矢につらぬかれ、消え去るか。私の力になるなら助けるが」
「なるほど領主の妻か。どうとでもしろと言いたいが、やはり消え去りたくはないな。しかし、わしが何の力になれるというのだ」
「まず、お前の名は」
「バッカス」
は、ギリシャ神話の酒の神か、ずいぶんふざけた奴だ。
「よっぽど消え去りたいのね、真面目に応えなさい」
リンは矢をつがえた弓を引き絞った。狙いは胸の真ん中、この距離ならば外しようがない。
「ま、待て、待ってくれ」
魔は慌てて手を振る、さすがに顔が引きつっている。死にたくないのは魔も同じらしい。
「何を言っている、わしの名のどこが気に食わんというのだ」
ほんとにバッカスなのか。ならばそれでいい。リンは矢を右手に持ちバッカスの肩に置いた。
「汝バッカス、神の御名において命じる。この国の領主リゲル及びその妻リンに仕え、酒を醸せ」
バッカスの身体が銀色に輝いた。
「酒を、酒を造らせてくれるのか、ならばそなたに従おう」
周囲が一変し、元ののどかな峠道に戻った。
「お主、いい女だな、どうだ、わしと付き合わぬか」
方の治療をしているジェネは、腕を振り上げた。が、先ほど同様に抱きかかえられ再び唇を奪われた。
傍で見ていたリンが驚くほどの早業だった。
じたばたしていたジェネの動きが停まり、その腕がバッカスの背中に回っている。
「シロイチ、モモ、子供の見るものじゃありません」
「ほら二人とも、反対はしないけど、帰ってからにして頂戴」
「みんな帰るわよ、お酒を造ります」
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