第6話 弓を射る

 何処に今までいたんだろう、親衛隊の兵士がわらわらと飛び出してきた。犬とキツネとクマ、それに猫。全部精霊さん? 刀や弓をもってジェネの指揮に従っている。

「ほう、お前がリゲルの嫁か、そんな奴を見限って魔王様の愛人の方が楽しいぞ」


 稲妻と風が、親衛隊を襲う。

「お二人を神殿の中に、結界の中なら」

 リゲルと、リンは親衛隊に守られ、神殿に向かって走りだした。長いドレスのスカートがちょっとばかり邪魔だった。だがそれが正式と言われスカートの下は何もつけていないのだ。裾をまくり上げるわけにはいかない。


「させるか」

 目の前に打ち込まれた稲妻に凛たちは立ちすくんだ。

 振り返ったリンの目に黒雲が渦巻き集まるのが見えた。

 声の主が、次第に実態を表しているのだ。


「お前は誰」

 リンは叫んでしまった。

「女、他人に名を尋ねるときは、まず自分の名からと教わらなかったのか」

「ばーか、私は領主の妻だ、お前なんかに名のるか」

 昔読んだ本に真の名は明かしてはいけないと書いてあった。


「ほう威勢のいい女だ、魔王様が気に入られるかもな」

「俺は魔王様の一の部下の、その三番目の部下の、その一番の部下であるキーン様の部下だ」


 頭が痛くなってきた、要するに。

「なんだ下っ端のカスじゃないの」

 黒雲は一瞬沈黙した。

「カ、カスだと」

「あ、怒る図星だったようね」

「気様」

 猛烈な風が、リンに吹き付けた。凛は神殿の扉にたたきつけられた。奇麗なドレスがめくれ上がり太ももまで露になった」

「痛ーい、このスケベ、なにすんのよ」


「リン」

「リン様」

 リゲルと、ジェネが叫ぶ声が聞こえる。だめだって名前を言っちゃ。

 大丈夫、背中は少々痛むものの、立ち上がることができた。

 リゲルたちがほっとする顔が見える。


「くっそー」

 凛の怒りに火が付いた。このままでは済まさん、と言って素手のリンには、どうしようもない。

 親衛隊の精霊たちが稲妻に追われ逃げ惑うのを見て、これじゃ領地の無事が守れるのかが、急に不安になって来た。相手は下っ端のカスなのだ。

 悔しさに奥歯を噛んだ時に。いきなり神殿の扉が開いた。

 ついさっき自分とリゲルが結ばれた神殿、その正面に一張りの弓が立てかけられていた。

 その弦が鳴っている。

 昔、高校の古典の授業で、魔を払うために弓を鳴らしたという話を思い出した。

 さらに横に立てかけられた矢が白く輝いている。


「おい、下っ端のカス」

 リンは大声で叫んだ。

「カスっていうな」

 あらあら随分幼い言葉だこと、リンは急に面白くなってきた。

「カスにカスと言って何が悪い」


「リン、そんな言い方はカスに可哀そうだよ」

 リゲル本気でたしなめるように言った。

「カスでも、あいつは頑張っているんだ」

 リゲルって、やさしいのか馬鹿なのか変わり者なのか。こっちも問題のような気がした。

「馬鹿野郎、みんなでカス、カスって言うな、俺はこれでも」


 リンは弓に矢をつがえると、弦を引き絞った。

 ひゅう、声の中心に向かって矢が空気を切り裂く音とともに放たれた。


「ぎゃあ」

 絶叫のような悲鳴が上がり稲妻と風が止まった。

 空から、胸を矢に貫かれたカラスが、いやカラスに似た鳥が降って来た。

 大きな鷲ほどもあるカラス、それが地面でのたうち回っていた。

「痛い、痛いよう」

 さっきまでの威勢は何処へやら、子供のように泣き叫んでいる。


「いまだ、こやつの首を刎ねよ」

 ジェネの命令で親衛隊のクマが刀を振り上げた。

「待って、助けてあげて」


 その場の全員が、リンの顔を見た。

「なんか、こいつカスじゃなくてガキなんじゃないかしら、ちょっとは能力がありそうだから、鍛えてこっちでこき使いましょう」

「ふざけるな、誰がお前らなんかに」

 ひゅん、矢が風を切る音がしてカラスの頭の横に矢が突き刺さった。

「じゃあ、死ぬ」

 リンはもう一度矢を弓につがえた。

「ま、待って、謝る、助けて」


「お前、名前は」

「名前なんてもらってない、『おい』とか『こら』としか呼ばれていない」

「リゲル様、どうでしょう、名前を付けてこいつを使いたいのですが」

「リンがそうしたいなら、いいと思うよ」

「ありがとうございます」

「じゃあ、お前は、シロイチ、私に仕えること、わかった」


「シロイチ」

 カラスがその名を口にしたとたん、その黒い体が一瞬で輝く白に変わった。

 どよめきが起こる。

「リン、君は一体」

「わかりません」


「お方様、やはりお方様は選ばれた方です。弓の腕前といい、ご領主さまと一緒にこの地を治めるために神に選ばれた方に違いありません。

 クルムが感極まって泣き出した。

 いやそれほどのものでも、弓は大学時代アーチェリー部だっただけのことなのに、ただそれは言わないことにした。


 館の外で民たちの歓声が上がる、ジュネが一部始終を民に伝えたのだ、この興奮に水を差す必要はなかった。












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