第7話


「サッカーだけじゃなくて、喧嘩も弱いんだね」

「……ッ!」

 

 今度は空いた片方の拳で殴りつけようとする。

 

「よっと」

 

 私はそれを躱してからしゃがんで、相手に向かって両足蹴りを放つ。

 相手の身体は大きく吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられた。

 

「過剰防衛だったかな。まあ良いや」

 

 立ち去ろうとしたが、後輩が近付いて私に言う。

 

「ちょっ、ちょっと! 何やってるんですか!」

「いや殴られたからやり返しただけ。過剰だとか言われても知らないよ。だったら最初から殴るなよって話じゃん」

「いくら何でもそんな言い方……。そんなだから、キャプテンにあんな事言われたんじゃないんですか!?」

「アンタに何が分かるんだよ」

 

 私は呟く。

 

「こんな奴の勘違いに付き合ってる時間も余裕も、もう私にはない。頼むから……もう私に構わないで」

 

 その呟きの後、分かってくれたのか。

 それとも呆れたのか分からないが、虚ろな目で私の前から去っていく。

 

「……」

 

 そして倒れているキャプテンに近付き、保健室に運んで行く。

 

 正子は知ってるかも知れないけど、こんな風に私に突っかかってくる奴らの相手をするのが私の人生だ。

 努力が足りずに負けたのが悪いと言っているだけなのに、何故か激昂して、酷い時にはああして私に殴り掛かってくる。

 実に愚かだ。

 そんなエネルギーがあるのなら、私を超えるくらいのプレイを出来るように努力すれば良いのに、何故そっちの方向に行かないのか。

 世の中には世界を舐め腐った無能アイドルだっているというのに。

 努力すらせず人を恨んでばかりの奴はよくもこう……。

 

「ふーん、やっぱり貴女凄いわね」

「おわあッ!」

 

 私は驚いてひっくり返る。

 正子だ。

 まさか全部見ていたのだろうか。

 

「あれ、もう出来ないって話じゃなかったっけ?」

「……知らないよ」

 

 あの時は無意識だった。

 ボールが飛んできた瞬間身体が動いて、気付いたら昔に近いボール捌きをしていた。

 

「何の用? もう約束は果たした筈だよ」

「まあ確かにね。けど、そう言われて諦める私だと思う?」

「……思わない」

「だよねだよね」

「けど、あんなに酷いんじゃ教えるものも教えられない。何度でも言う。アンタらには無理」

 

 私はそう告げて立ち去る。

 

「変えようがないから、それが理由?」

 

 またも正子は私の図星を突く。

 

「けど、それを言い訳にしてつまんなそうに生きてる。貴女は自分の人生ですらそう。何で抗おうと思わないの?」

「……何それ、説教のつもり?」

「どうとでも受け取れば良いわ。けど、貴女はそのままで本当に幸せなの?」

 

 正子が告げる。

 私の答えは簡単だ。

 

「そんなわけないでしょ。好んで底辺高校なんて入るわけない」

「確かにそれは変えようのない事実ね。事故とは言え、貴女は一瞬の運を掴めなかった。けど……貴女はやり直す気は微塵もないの?」

 

 甘い。

 あまりにも甘すぎる言葉が、正子の言葉から飛ぶ。

 人生は何度でもやり直せる。

 取り返しのつかない失敗をした人間が、自分にはチャンスがあると誤魔化す為に使う言葉だ。

 私に言わせれば、人生にやり直しなど存在しない。

 一瞬一瞬が勝負の時で、一つでも負ければ全部が崩れる。

 そんなのが当たり前の人生を生きてきたのに、今更やり直しなど出来るわけがない。

 だからこそ思う。

 

「やり直せるもんならやり直したいけどさ。もう遅いんだよ」

 

 正子が反論する前に、私は問う。

 

「アンタはアマチュアアイドルを続けてどうしたい? プロになりたいのか?」

「そうよ。だから一生懸命……」

「頑張ってるんだろうけどさ、アンタ達があの程度のまま行くんなら、その内何も結果を出せないまま高校生活が終わって、アイドルの適齢過ぎて終わる。それでもやり直すなんてほざくの?」

「……」

 

 正子は少しばかり笑って俯く。

 それが少しばかり不気味だったが、私は構わず言う。

 

「出来ないだろ。志望校にも行けず、周りにも、やりたい事をやろうとすれば他の人が決まって何かを言う。今みたいにな」

「……」

「もうどうにもならない。やり直すなんてどうしたって出来るわけがない」

 

 正子は俯いたままだ。

 

「……」

「もう反論出来ないって事? なら、もう今度こそ」

 

「いや、違うわよ。だって、貴女言ったじゃない。やり直せるならやり直したいって」

 

 正子が顔を上げた。

 

「だから、何だってんだよ」

「なら、私のスカウトをチャンスだと思えば良いのよ」

「は? 何言ってんだよ。アンタらに才能がない事はハッキリ……」

「なら貴女のノウハウを全て教えれば良い。貴女はまだ私達の踊りと歌を見ただけで、何も教えていない。貴女だって最初から全てが出来たわけじゃない筈よ」

 

 正子は続ける。

 

「才能がないと思う私達にアクロバットを教え、有名グループにする。貴女が欲しいものとは少し違うかも知れないけど、十分凄い事をしてると思わない?」

「……馬鹿も休み休み言えよ」

「大真面目よ。もうサッカーは出来ない。こんな学校のテストで一位を取った所で何の自慢にもならない。そして貴女の身体はメンタルに強く左右されている。そんな状態の貴女が、誰かに称賛される方法を教えてあげてるの」

 

 称賛……。

 

「誰が称賛されたいって言ったよ?」

「じゃあ何で好きな事をやるのに誰かの言葉を気にする必要があるの? 結局貴女は、自分のした事で誰かから称賛されたいんじゃないの? だから、誰かの言葉一つにそこまで傷付ける。違う?」

「……」

「強がった所で、もう遅いわよ」

 

 言われなくても、分かる事だ。

 彼女は私をスカウトする為にやれるだけの事は全てやっている。

 自分はそうじゃないと思っても、もう彼女の方が、私の事を理解してしまっている。

 だから、あの時も自然な流れで部室に行ってしまった。

 また……彼女に言い負かされてしまった。

 

「貴女がどれだけ頑張ってきたかも、私は知ってる。アクロバットを極めて、サッカーでそれを活かせるようになって、誰にも負けない力を付けた。それは簡単な事じゃないって分かってるし、その努力を無視して皆が貴女を叩くのが辛いのも分かるわ。でもそれだけ頑張ってきたのに、ここで終わって良いの?」

「……」

「貴女のアクロバットは、貴女の全ては、皆に馬鹿にされたまま終える為にあるものなの?」

「……」

「貴女は私に約束したわね。才能がないと自分が判断したら教えないって。その約束は果たしたわけだし、今度は貴女に選ばせてあげるわ」

 

 正子は真剣な目で問う。

 

「さっきみたいな人に馬鹿にされた事を引きずって大人になるのか」

 

 永遠の停滞か。

 

「それとも自分が身に付けた力を他人の為に使うのか」

 

 無謀な賭けへの挑戦か。

 

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