ファンファーレ ③
「聴いてくれてありがとう」
すっかり辺りが暗くなった中。
最寄り駅近くの公園の街頭に照らされながら、僕と水色さんは自販機の横のベンチに座っていた。少し離れたところに誰も遊んでいないブランコが見える。
「こちらこそありがとうございました」
「どの曲が良かったかい?」
「四曲とも素晴らしかったのですが、やはり一曲目のインパクトは心に訴えてくるものがありました」
そう、一曲目に関しては曲として勿論良かった。
けれどもインパクトに関して言えば、曲だけの話ではなかったように思える。
「……初めてお会いした時よりも、なんというか、輝いて見えました」
「ああ。それは喜美ちゃんのおかげだな。彼女、本当に凄いな。九郎君は良い幼馴染が居て幸せ者だ」
「動画の影響、凄かったですね」
「それだけじゃないぞ。効果的な発声トレーニングや衣装まで用意してくれた。プロデュースをしてくれるというからどこまでの範囲なのかと思っていたが、私の想像のはるか上を超えていた」
まさか、ここまでとは、思わなかった。
僕が能力検証と言う名目で水色さんの力になっている気でいた傍ら、喜美は水色さんに
ここまでの手助けをしていたのか。
無力感により俯いてしまった僕に向けて、水色さんは「喜美ちゃんが選んでくれた服、可愛いだろう?」と声をかけた。顔を上げると、どや顔の水色さんが真正面に立っている。半袖に半ズボンという単純な組み合わせではあったものの、艶やかな素肌がかなり露出されている。スタイルの良い水色さんの魅力を存分に引き出しているコーディネートと言えるだろう。
「素敵です」
シンプルにそう思ったから、何の引っ掛かりもなくすんなり言えた。
だが、恐らく、僕の表情は芳しくないものだっただろう。
「……どうしたんだい九郎君、元気が無いじゃないか」
水色さんにも簡単に見透かされてしまった。
言ってしまえばほんの一週間程度の付き合いだ。
水色さんとはそれくらいしか接していないが、間違いなく――喜美の方が僕よりも濃い時間を過ごしているとしか思えなかった。
「私で良ければ何でも聞くよ。九郎君には助けてもらっているからね」
優しい言葉をかけられて余計に悲しくなってしまう。そんな自分がたまらなくやるせない。それでも、この状況に向き合うしかないということだけはわかっていた。いつまでも喜美を凄いと思っているだけではいけない。僕も何か、水色さんのためになることをしないといけないと思っていた。
だからこそ、これだけは言わないといけないと思い、顔を上げて水色さんをまっすぐ見た。
「喜美と違って、あまりお手伝いできていなくて申し訳ないです」
この一言を受けて水色さんがどんな顔をするのか、見るのが怖かった。
それでも向き合わないといけない。
これまで自分のエゴで、夢への前進ではない部分でしかない能力検証に突き合わせてしまったところがある。
その贖罪の意を込めて水色さんに向き合わなければいけないと思っていた。
――水色さんは、きょとんとしていた。
「何のことだい?」
「の、能力検証に付き合わせてしまったというか」
「付き合わせてしまったってどういうことだい? 九郎君が提案してくれて私がお願いした案件じゃないか」
「でも、水色さんはプロの歌手になりたい訳じゃないですか。能力検証はそれほど重要ではないのに、並行してお願いしてしまっているなあと……」
「それは勿論、プロの歌手になる方が私にとっては優先順位が上だ」
「ですよね」
「でも、能力検証も同じくらい重要なんだろう? それを説いてくれたのは、他ならぬ九郎君じゃないか」
水色さんは一片の曇りもない笑顔で僕を見てくれる。
その純粋な視線を向けられて、思わず泣きそうになってしまった。
「迷惑じゃなかったですか」
「迷惑なんてとんでもない。明日もよろしく頼むよ。というか今日も図書館で色々調べてくれたんだろう? 調査結果、楽しみにしていたんだ」
「……ありがとうございます」
喜美ではなく――僕でも水色さんの役に立てることがある。
勉強くらいしか頑張れない僕が水色さんの助けになれるならば、それを全力で取り組もうとようやく思えた。
誰かのために頑張ろうと挑戦する――
僕は、否が応でも喜美と――父親の姿を思い浮かべてしまった。
一度水色さんの前で話すかどうか迷った内容だ。
でも、今は、真っ先に話したい。
「水色さん、少し身の上話をしても良いですか」
「お、もしかして雨の日には話してくれなかった案件かい?」
「それです」
「とうとう話してくれる気になったんだね! 待っていた甲斐があったよ」
見るからにウキウキしながら右隣に座ってくる。
じっと僕の顔を覗き込み、今か今かと待ち受けているようだった。
「大した話ではないですけど、僭越ながら話させていただきます」
あまり過度な期待はして欲しくなかった。
水色さんが期待するほど楽しい話ではないからだ。
「僕の父親は所謂社長でした。僕が産まれる一年前くらいに、務めていた会社を退職し企業しました。僕が四歳くらいの時には年収二千万円を超えていたそうです」
「おお、凄い」
そう、凄かったんだ。
僕の父親は凄かった。
けれども――「僕が五歳の時、父親は友人の借金を肩代わりすることになってしまいました」
「…………」
「元々聞いていた額は父親ならば余裕で返せる額だったそうです。友人は昔からの付き合いがあり何とか助けてあげたいと思ったそうです。ここまでは良かったんです。借金の額が、聞いていた額よりも遥かに高いものでなければ」
水色さんはここまできいたところで俯いてしまった。
「九郎君、興味本位で聞いてしまってごめん。辛かったら話さなくても良い」
「この話をするのは、喜美以外の人だと水色さんが初めてなんです。だから、最後まで聞いて欲しいです」
「……ありがとう」
お礼を言いたいのはこちらの方だった。暗いだけのこんな話を僕の身を案じながら聞いてくれる水色さんが聖母にしか見えない。好きな気持ちが久々に暴走しそうになるのを必死に抑えながら話を続ける。
「借金を返すために全財産を費やし、会社は破産しました。残ったのは僕と母親と、職を失った父親だけです。でも父親は何とか僕と母親が路頭に迷わないように頑張ってくれました。頑張った結果――過労死してしまいました」
以上が僕の身の上話だった。
母親が働いてくれているおかげでギリギリ何とか生計を立てられている。僕も勉強の傍ら時折短期のアルバイトをして家計の手助けをしている。本当は定期的にアルバイトをして母親の手助けをしたいけれど「学生は勉強が本分だから長期休暇以外は駄目」と許してくれなかった。
喜美も、ここまでは、知っている。
これ以上は、自分でも整理出来ていないから言っていない。
「・・・・・・・・・・・・」
水色さんは何も言わずに僕の手を握ってくれている。
他にも何かを話したいことを察してくれているのだろう。
水色さんの励ましを受け、意を決して言葉を紡ぐ。
「だから僕は、堅実な生き方を進むと決めたんです。父親のようにチャレンジをせず、ひたすら一つずつ積み上げていく。そのやり方で将来、母親に恩返ししようと思っているんです」
「九郎君、勉強頑張っているからな。喜美ちゃんから聞いているよ」
「喜美――そうです、喜美とは違うんです。喜美や父親のような生き方ではなく、堅実に生きる。それが僕の信条です」
「うん」
「…………でも」
「でも?」
水色さんはゆっくり頷きながら、僕の話を全て受け入れてくれている。手はずっと握ってくれている。本当だったら恥ずかしくてあまり言いたくない内容でも、水色さんになら言えてしまう――
「頑張る父親をずっと見てきたから、父親のような生き方にも、カッコいいと思ってしまう自分がいるんです」
言いながら僕は喜美のことを思い返していた。
白野先生は僕と喜美が支え合って生きていると言っていたけれど、それはお門違いだろう。
僕の方が、一方的に、喜美のことをカッコいいと思っているんだ。
僕はただ、喜美について行っているだけなんだ。
「だから九郎君は、喜美ちゃんのことが好きなんだね」
「そうです」
一度心中を吐露してしまえば後はもうどうとでもなれだった。
水色さんに何でも言えるようになっている状況が物凄く有りがたいと共に、水色さんが満面の笑みで僕を見ていることに気付いた。
「うん、良い関係だ。これは是非、喜美ちゃんの本音も聞いてみたいところだね」
「それはやめてください」
「アハハ。まあその機会があれば、私も混ぜてほしいと切に願うよ」
水色さんは僕の肩にポンと手を置きながら、話を続ける。
「とにもかくにもだ。私は九郎君にも喜美ちゃんにも支えられて本当に嬉しいんだ。ただただ歌が好きなだけの私が君たちに助けてもらえるなんて、これ以上ないほど幸せとしか言えない。それだけは、絶対に、わかって欲しい」
「……わかり、ました」
「よろしい」
水色さんは勢いよく立ち上がり、僕の方を改めて向く。
そうして目を閉じ、深呼吸を数回繰り返した後――目を見開き、口を開いた。
優しい歌声が、夜の公園に響く。
街頭と自動販売機の光が水色さんと僕だけを照らしていて、世界で二人しかいないような感覚を味わった。そんな中で聴こえる綺麗な歌声は――何物にも代えがたい代物だった。
――幸せだ。
真っ先に抱いた感情だった。
これまで二文字に散々悩まされたのが嘘の様だった。
確かに、生きる上で大変なことは死ぬほどある。皮肉としか言えないこのジレンマは文字通り一生付きまとうことになるのだろう。
でも、目の前の素晴らしい女性は、素晴らしい歌声を、僕なんかのためだけに捧げてくれている。
これ以上何を望めば良いのだろうか。
今後の人生で大変なことがあっても、このひと時と全く同じ状況になれば、何でも乗り越えられると思う。
――一方で、僕はわかっている。
このひと時をもう一度全く同じシチュエーションで味わえるなんてことは無いし、あったとしても既視感が最初に来てしまい初回ほどの感動は得られない。
この瞬間に匹敵するほどの幸せに包まれないと、もう満足し得ない体になってしまうのだろう。
そんなドライな未来予想図を描いてしまう自分が嫌になりつつも――『今』はひたすらに幸せだった。
たっぷり一曲フルに歌ってくれた水色さんに、惜しみない拍手を送る。
頬に冷たい感触が伝わったのは、間違いなく水色さんの能力によるものだった。
立ち上がり、深々と頭を下げた後――僕は水色さんにとある考えを伝えた。
それはこれまで能力検証をした中で生み出した一つの提案で――
水色さんを失わないために伝えなければならない、大切な一時だった。
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