ライラ ①

「おいおい九郎君! 聞いてないよ!」

 一日目の検証後、教室に入った際に真っ先に詰め寄ってきたのは青山だった。

 朝八時十五分という冷静に考えればサラリーマンでも早い到着時間にも関わらず、青山は興奮状態に陥っている。

「聞いてないって、何がだ」

「一昨日と昨日の君川さんチャンネルの動画だよ。何であの水色さんっていう先輩が主役みたいになってるのさ」

「水色さんの歌声、青山も聴いたのか! どうだった!」

「え、ちょっと、九郎君どうしたのさ。鼻息荒げて興奮するのはボクのキャラクター性じゃなかったっけ」

「いやー、水色さんの歌声、半端じゃなく綺麗だよな! 世界観が塗り替えられる!」

「世界観というか性格が塗り替えられているような……」

 青山は額に手を当てながら何かを考えていた。

けれども、「まあいっか。喜美さん以外のことはどうでも良いや」と割り切った後、話を続ける。

「とにかくさ、何でいきなり水色さんがフューチャーされるようになったのさ」

「河原で歌っているところに偶然出くわしたんだ。その瞬間、僕と喜美は水色さんの虜になってしまったという訳だ」

「ざっくりしすぎていて前後が繋がらない……まあ確かに綺麗な歌声だけど……」

「気になることでもあるのか」

「何かさ、君川さんが他の動画よりもテンション高い様に見えるんだよねえ。水色さんの歌声がきれいなのはわかるんだけど、そこだけに惚れこんでいるんじゃないような……」

「…………」

 完全に言い当てていて引いてしまった。

 校内限定のストーカーのレベルは段違いだったようだ。

そうか、よくよく考えてみると青山は知らない間に失恋してしまっているということになる。

それを言うべきか言わないべきなのか。

思わず考えあぐねてしまうところだった。

「まあ、うん、良いことあるさ」

「何その雑な励まし! やっぱり何かあったんでしょ!」

「いつかわかる時が来る。それじゃあ、僕は先に帰るとするよ。部活頑張ってくれ」

「ありがとう……いつか絶対に暴いてやる……」

 とぼとぼと青山は部活の用具をもって教室を出ていった。

 ちなみに現在の天気は大雨である。

こんな天気の中で野球部は何をするんだろうかと疑問には思ったが、それよりも何よりも解決すべき案件があるので僕はスマホの画面を立ち上げた。

 表示されたSNSのグループには僕と喜美と水色さんが所属している。

 水色さんから『今終わった。正門で待ち合わせしよう』というメッセージが来たのを確認して前を向いた。

 喜美が悲しそうな表情で僕を見ていた。

「水色さん、正門で待ち合わせしてくれるらしいぞ」

「うん……でもごめん、学級委員の委員会があってね……私、後からいくね……」

 絶望を絵にかいたような顔をしている。

 今にも泣きだしそうだった。

「いや、大丈夫だって。水色さんにはちゃんと言っておくから」

「抜け駆けしないでね」

「……何のことだ」

「私が居ないからってー、水色さんと一気に仲良くならないでねー」

 そこまで言われて気が付いた。

 確かにそうか、水色さんと二人きりの時間が舞い降りたということか。

 学校から倉庫までは二十分は最低でも歩かないといけない。

 邪魔――ではなく――喜美が居ない状態で水色さんと雨の中ずっと歩いていけるというのは幸せそのものでしかなかった。

「会議、長引くと良いな。ハハッ」

「絶対速攻で終わらせる! 秒で終わらせてやる!」

 恨み節に近い叫びを僕に吐き散らすと、一目散に教室を出ていった。一秒でも早く終わらせるつもりなのだろう。だが喜美が参加する委員会の会議が三十分以内で終わった日は確か無いはずだ。

 喜美には悪いと思う。動画投稿だけではなく学級委員もやっていて凄まじいとさえ思う。

 しかし、すまん喜美――至福の時間をひとまず堪能させてもらおう。

 下駄箱で靴を履き替えて正門に向かうと、ビニール傘を差しながら上を向いている絶世の美女が居た。雨の中でたたずんでいるだけなのに何故こうも視界が映えるのだろうか。水色さんだからとしかいえない事象に思わず見とれてしまいそうになる自分を諌めて、水色さんに声をかける。

「すみません。お待たせしました」

「大丈夫だよ。雨の中は苦じゃないから」

「苦じゃない?」

 どういうことだろうと思い水色さんが未だに見上げている視線の先を見ると、ビニール傘に一滴も水滴がついていなかった。

 水色さんの能力、雨にも適用できるのか。

 とことん規格外だなと思って圧倒されていると、水色さんから「喜美ちゃんはどうしたんだい?」と話しかけられた。

「喜美は今日、学級委員の委員会があるので遅れて合流するそうです」

「そうかい。喜美ちゃんには悪いが、ひとまず二人で向かおうか」

「はい、是非」

 左隣に水色さんが居る。

 冷静さを取り繕うのに必死だった。いざ二人きりになると何を話せば良いのかわからない。というか車道側を男が歩くというのは聞いたことがあるが、反対側が田んぼの場合女性を歩かせて良いものなのか。車道といってもほとんど車が来ない。何が正しくて何が正しくないのかわからなくなってきた。

「なんだか緊張するね」

水色さんがはにかみながら話しかけてくれた。

「実はこうして男子と帰り道に一緒に歩くのが初めてなんだよ」

「そうなんですか」

 真面目な表情で返答をしたが心底嬉しかった。

 水色さんの文言をそっくりそのまま信じるのであれば、水色さんにはこれまで恋人がいなかったということになる。

「何か、意外です。水色さんには当然恋人が居るものだと思っていました」

「いやいやいやそんな、恐れ多いよ。私はまだ何も成し遂げていないからね。彼氏を作る……そうだね、まだ先の話だね」

「告白されたりはしなかったんですか」

「数回、告白されたよ。でも、私は不器用だからね。夢に向かって頑張るのであれば、彼氏を作る余裕は無いし、お相手にも失礼だ」

 水色さんはとても誠実な人らしい。

 確かに放課後路上ライブを頻繁にやり、何曲も自作するのであればそれほど恋人に時間を割くことは出来ないだろう。

 この情報は嬉しい点もあったが、僕と喜美にとってなかなか難儀な点もあるということになる。

「九郎君はいつも喜美ちゃんと帰っているのかい?」

 どうしたものかと考え込んでいたら水色さんからおずおずと質問を受けた。結構勇気を出して切り出した感じがある。男女関係において本当に免疫がないのだろう。そんなところも魅力的だった。

「そうですね。家が隣同士の幼馴染ということもありますが、僕も喜美も帰宅部ですので、基本的に一緒に帰っています」

「男女の幼馴染……良い関係性だね……少女漫画だと王道のパターンだ……」

 うっとりしながら水色さんは語る。

 告白は全て断りながら、割と恋焦がれている様だった。

 よし。一つ前の情報は喜美に渡して、この情報は渡さないようにしよう。

 学級委員として頑張っている喜美には悪いが、これは真剣勝負だ。

 手加減をしたらそれこそ喜美のことだ、気を悪くするに違いない。

 自分の中で結論付けた後、未だにうっとりとした表情をしている水色さんに話しかける。

「幼馴染とは言いつつも男女の恋愛関係なんて一切ないですよ。腐れ縁みたいなものです」

「でも家が隣同士なんだろう? 満月が輝く夜に、二階の窓越しに話し合ったりしないのかい?」

「僕の家は一階建てです」

「おおぅ……」

「もっと言うなら喜美の家は三階建てで部屋も三階です」

「おっとぉ……それは窓越しでは話せないね……なかなか少女漫画通りにはいかないもんだ……」

 少女漫画に限らず、世の中の物事は漫画通りにはいかないだろうとも思いつつ――超能力は実際に存在してしまっているので何とも言えなかった。

 水色さんは少女漫画を読むのであれば、フィクションにも興味がある方なのだろう。

 それでも、あれほどまで強力な超能力を持ち合わせているのに何の欲もないのは素晴らしいと思った。

 僕がもし同じ超能力を持っていたら――

 何事にも挑戦できる代物を手にしていたら――

 ――そこまで考えて脳裏に浮かんだのは、今は亡き父親の姿だった。

「九郎君、大丈夫かい。表情が優れないようだが」

「いえ……何でもありません……」

「何かあったら遠慮なく言ってくれよ。元よりお世話になる身なんだ、遠慮される方が気味が悪い」

 胸を張って水色さんはこう述べてくれた。とても頼もしくてついつい乗っかってしまいそうになるが、あまりにも個人的なことだったので流石にはばかられた。

「……もっと仲良くなった時に相談させてください」

「おお、もっと仲良くなってくれるのか。それは楽しみだ」

 水色さんは微笑みを浮かべている。

 楽しみなのは僕も同じだったが、気恥ずかしくて言えなかった。

 代わりに、こんなことを聞いてみた。

「水色さんは何で歌手を目指そうと思ったんですか」

「あまり大っぴらにするものでもないが、質問されたら答える主義だ。お答えしよう」

 ゴホンと一つ咳払いをして、続ける。

「最初に両親に褒められたのが歌だったから。以上だ」

「シンプル! え、そんな感じなんですか!」

「ああそうだとも。嬉しかったぞー褒められたの。馬鹿の一つ覚えみたいにそれからずっと歌っていたら、両親以外にも歌を披露したくなってだな。しいては私の歌で誰かを幸せにできるのならば、それは私にとっても幸せなことなのではと思った次第だ」

「なるほど、そういう感じなんですね……」

 歌手という商業を夢見ているのであれば何かしらの過去があるものだと勝手に思っていた。僕があまり大層な夢を掲げていないからそんな偏見を抱いていたのかもしれない。

「僕が勉強を好きだから良い大学に入って良い職に就きたいっていうのと、本質的には同じなんですかね」

「何も変わらないさ」

「……堅実に生きたいんですよね。自分が好きなこと、得意なことで――あまりとんでもない夢を見たくないんです」

「まあ確かに、歌手という夢はリスキーだ。上手くいく確信もない。だが、目指してしまったものは仕方が無い。全力で夢に向かって走っていくさ」

 そう言い切る姿は非常に輝かしかった。

 僕の周囲は輝かしい夢に向かってまっしぐらという人が多い気がする。

 喜美もそうだし、青山だってプロ野球選手を目指していると確か言っていた。

 僕はというと何事にも堅実に行きたい性質で、真逆の生き方になるだろう。

けれども、夢を追いかけている人たちに囲まれているのは不思議と嫌な気分ではなかった。

「陰ながら応援させていただきます」

「ありがとう。頼りにしてるよ」

 そうこう言っている間にいつの間にか雨が止んでいた。曇り空は依然として広がっているが雨雲からは逃れることが出来たらしい。僕は車道側に傘の水滴を飛ばそうとしたのだが、一滴もついていなかった。

「ああ、九郎君の傘にも雨がかからないようにしておいたよ」

「……ありがとうございます」

 ずっと喋っていたのに平然とそんな気遣いをみせてくれていたのか。

「ちなみにずっと雨を意識して操作する感じなんですか」

「いや、オートだね。『私と九郎君の傘の上にかかる水は傘を避ける』という感じで能力を発動していた」

 一度能力を発動すれば水色さんの意思に関係なく発動し続けるのか。

 これはまた検証しなければならないと思った。

「しかし晴れないね。嫌な空色だ」

 水色さんが立ち止まって上空を眺める。確かに雨は止んだから良かったものの青空は見えないなあと僕も空を見上げた――その時だった。

 ふと、こんなことを思いついてしまった。

「曇って、水で出来ますよね。操作できたりしますか?」

 半ば冗談のつもりだった。

 まさかそんなことは出来ないだろうと思っていた。

 僕が軽々しく提案したことを軽々しく行えてしまうようならば、天候さえも自在に操れることになってしまう。

 どこかの映画で天気を晴れにする女の子の物語があったなあとぼんやり思いながら、「では行きましょうか」と水色さんに言おうとした――

その瞬間――

僕の頭上から――太陽の光が差し込んできた。

空を見上げてみると――曇り空の中に綺麗な丸の空洞が形成されていた。

どこからどう見ても文字通り不自然で、雲の中からその丸が削り取られたようにしか見えない。

誰がそんなことを可能にしたのか。

そんなものは、決まっているに決まっている。

「出来たね。雲に絵も描けそうだ」

 冷静な表情で淡々と言ってのける水色さんに僕は何も言えなかった。

 言葉が出なかったのだ。

冷汗が留まることを知らない。

これで確定した。

水色さんは天候を操ることも出来る。

どこかの映画の女の子は晴れにするだけだった。

水色さんは恐らく水さえあれば曇り空を作り出すことも出来る。

より自由度が高い能力を、ノーリスクで放つことが出来る。

「ほ、本当に、何も体に変化はありませんか。疲れていたり、体のどこかが傷んだり、そういく症状はないんですか」

「これがね、全く無いんだよね。私もちょっと怖くなってきたよ」

 傍らで目の当たりにしている僕はちょっとどころではない。

 どんな二の句を継ごうか悩んでいたところで、水色さんは「曇り空は気分が悪くなるから晴れにしようか」とこれまた淡々と言ってのけた。

「よっと」

 右の手のひらを空にかざし、一言呟くだけで――一瞬にして曇り空から青空になった。

 雲が一切なくなっていた。

「雲の水分を気化させたよ。私はこんなことも出来るんだね。我ながらすさまじいなアッハッハ」

「笑い事じゃないですよ水色さん……」

 実際僕は口元がひきつっていた。

 これ、もう検証しない方が良いのではないか。

 そんなことさえ思い始めてしまっている自分が居る。

 底が見えない水色さんの能力の底を知ることが、単純に怖くなってきた。

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