ペルソナ・プロムナード ②
「九郎―遅いよー」
正門に着くと喜美がふくれ面をみせながら待ち構えていた。
「すまない」
「白野先生と何話したの?」
恋バナとは口が裂けても言えなかったので、「生物の問題に関してだ」とだけ言って歩き出す。喜美はというと「ほんとかなー」とニヤニヤしながら僕の左横を歩き始めた。
「九郎と一緒に、楽しい楽しい寄り道だー」
「今日はどこに行くんだ?」
「一周回って河原に行きたいなあって思ってね」
「河原? 何も撮るものがないだろう」
「わかってないなあ。アイデアはね、予期せぬところに落ちているものなんですよ」
ドヤ顔でそう言ってくる喜美に対して僕は何も言うことが出来なかった。先述したクレープ屋の撮影は企画ありきのものではあったが、例えば単なる公園に行って撮影をしようとしたこともあった。その時には他の動画投稿者と何故か鉢合せをしてコラボ動画を撮影することが出来た。
喜美はそういう幸運を持ち合わせている。
どんなことにも好奇心をもって取り組んで、その結果何かが起きることが多い。
そんな喜美にとって、動画投稿者という職業は天性のものなのかもしれない。
「勿体ないな」
そこまで考えて、ふと、僕は呟いてしまった。
「もう、またそんなこといってー」喜美が若干悲しそうな表情を浮かべる。
「だってそうだろう。喜美は頭が良いんだ。その頭を使えば色々な人の手助けが出来るのに」
「それこそ何度も言ってるじゃん」
とてとてと僕の前を歩いていき、喜美は笑顔で振り返った。
「それは九郎の得意分野だよ。早く大成して、九郎のお母さんに楽させてあげなよ」
「……そうだな」
適材適所という言葉がある。
僕の適所は喜美の言う通り勉強を積み重ねていって良い大学に入って良い企業に入ることなのだろうか。
それとも、大学にいかずに早々に会社にはいるか――もしくは起業をすることなのだろうか。
一応そういう勉強もしてはいる。今は起業するならば資本ゼロから行える時代だ。後は何がやりたいかと、共に働いてくれる仲間さえいればどうとでもなる。
――何がやりたいか。
「勉強が一番やりたいことなんだが、これってどう思う」
「カッコいいと思う!」
喜美は満面の笑みを浮かべながら、カメラを僕に向けていた。
丸渕メガネの無表情がレンズの先に見えていることだろう。
「真面目な顔もいいけどさ、時には笑ってみなよ」
「笑えるような話をしてもらわないと笑えないな」
「むかーしむかし、あるところでゲーム好きの女の子とゲームをそんなにやらない男の子が付き合っていました」
「突然の昔話!」
「最近のゲームはネット対戦が主軸だけど女の子が好きなゲームはゲーム機とカセットが二つないと出来ないものでした。男の子はそのゲームとカセットをインターネットで注文をして届くのを待っていました。すると女の子から唐突にこう言われました。『そのゲーム、届いたら別の人とやってください』」
「長い上に笑っていいのかその話!」
「残ったのはゲーム機とゲームのカセットだけだったとさ。めでたしめでたし」
「何もめでたくない!」
くだらない話もしっかりふってくれるところが喜美のよいところだと思う。
けれどもそれで笑えるほど、僕は単純じゃなかった。
「むー、ちっとも笑ってくれない」
「すまないな」
「いつか心の底から笑える時が来ると良いね。――その日が来るのを願っているよ」
喜美はそう言うと、カメラを持って駆け出して行った。
慌てて僕も駆け足でついていく。喜美はスポーツも万能で、一方で僕はスポーツは不得意だったためほとんどついていけていなかったけれども。
そうして十分くらい走り続けて、河原にたどり着いた。
川の周囲には草むらが生えており、五人分くらいの急な坂がある。
「ゼェッ、ハァ」
「このくらいでへばってちゃ駄目だよー」
「いや、十分間全力疾走すれば、ゼェ、こうなるだろうが」
「えぇ、あれが全力……しょぼ……」
「本気で引くな!」
普段の喜美からはあり得ないほどのジト目を向けられてしまった。それほどまでにあり得なかったのだろう。しかし本当に全力だったんだ。女子に対してそれでもついていくのがやっとだった僕はこのままで良いのだろうかと思わないこともないが、運動に時間を費やすくらいなら勉強に時間を費やしたかった。
「ハァ、ちょっと、休憩……」
息切れを起こしながら川の方を向いて草むらに座る。喜美は「もうーしょうがないなー」と言いながら僕の右横に立った。こんな時間に河原に誰も居ないだろうと思っていたが――坂の下に一人、女子高生が居た。黒髪ロングで高身長だ。遠目ではっきりとは見えない上に後ろ姿ではあるものの、僕と同じ高校の制服のように思える。
「先客がいるとはな」
「綺麗な髪だねー。風になびいて素敵」
喜美はカメラのレンズを下に向けてそうつぶやいた。
河原にたたずむ女子高生というコンテンツはそこそこ興味をそそるものではあるものの、当人の了承を得ていないためカメラを向けていない。喜美は誰かを動画撮影する際、必ず許可をとってからするようにしている。好奇心に任せて突っ込みがちな喜美ではあるが、線引きはしっかりしている。僕は喜美のこういうところが好きだった。
――女子高生は、河原に向けて右手を伸ばしている。
何をしているのかわからないし、何をしようとしているのかもわからない。
けれども僕も喜美も、何故か彼女の一挙手一投足に視線が奪われてしまった。
まるで何かが起こる予兆のような、そんな感覚だ。
そして――何の音も立てないまま、唐突に事件は起きた。
川の水が、宙に浮かんだ。
お手玉レベルの大きさの水の固まりがどんどん川の水面から女子高生の右手に向けて浮かび上がっていく。しかし右手にぶつかることはなく右手の周囲をぐるぐると回り始める。十の塊が浮かび上がった直後、彼女が両の人差し指を指揮棒のように動かし始めた。その動きに合わせて十の塊が不規則に空中を動き続ける。
「何、あれ……」
喜美に聞かれたところで僕が答えられるはずがない。
これまで一生懸命勉強をしてきてはいたが、あんな現象、説明がつくはずがなかった。
恐らくこれから一生かかっても、今目の前で展開されている現象に対して理解は及ばない。
――ただ一つ、その光景において間違いないことがある。
遠目ではあったものの、僕は水と戯れる彼女を見て――『綺麗だ』と、そう思った。
「ごめん、撮らないから、撮らないから」
喜美はそう言うとカメラのレンズを水と戯れる女子高生に向けながら撮影の体勢に入る。スコープとしての役割で使用するということだろう。あえて言わなくても喜美が許可なく撮影しないことはわかっているが、あえて宣言するのが喜美らしいふるまいだった。
僕はというと、水と戯れ続けている彼女から目を離すことが出来なかった。
十の塊はいつの間にか全て繋がり、ベールのような形状になっている。
そこで何か満足したのか小さく頷き――小さく口を開けて何かを言い始めた。
それは歌声だろうか。
距離が遠すぎてどんな曲を歌っているのかわからないが、微かに届く声色だけでも綺麗で優しい曲を歌っていることがつかめた。
その歌声に呼応するかのようにベールは彼女の周囲をゆっくりと動き始める。水が舞台装置のような役割を果たしている。
――もっと近くで見たい。
ベールのような形状になっている水が宙に浮かんでいる様子ではない。
水を操りながら、楽しそうに歌っている彼女をもっと見たかった。
「とりあえず、声をかけてみよう」
歌が終わったであろう瞬間に僕はこう呟いて立ち上がった。
喜美が後方で「あ、待ってよー」と声をかけてくるが止まるわけにはいかなかった。急な斜面を可能な限り早く駆け下りていく。その間、僕は一時たりとも彼女から目を離すことが出来なかった。彼女は水のベールを引き続き楽しそうに動かしている。その度に水しぶきが彼女にかかることはなく、完全に水を掌握している様子を見てとれた。
坂を駆け下りた瞬間に、バッと――彼女がこちら側を向いた。
きらびやかな黒髪をなびかせながら、鋭い狐目が僕と喜美を射抜く。喜美が学校全体でみてもトップクラスで可愛いのは自然の理ではあるのだが、眼前の彼女は学年一綺麗といっても過言ではなかった。百七十センチはありそうな女性にしては高身長なところも印象深い。すらっとした体型で、どこかの雑誌でモデルをしていると言われても何の疑いもなく首を縦に振ってしまいそうだった。
なるべく音をたてないように気をつけてはいたものの音を完全に消すのは難しかったのだろう。
ただ、全く問題は無かった。
どちらにせよ僕は彼女に声をかけるつもりだったのだから。
「……見られたのかな、これは」
後悔の色を若干見せながら視線が更に鋭くなる。
「すみません、見てしまいました」
僕は素直に返した。
ここで嘘を吐いたところで仕方が無い。
「成程。――隣の彼女は?」
水を操っていた女性の人差し指は、喜美が持つカメラに向けられていた。
撮影されたと、思われているのだろう。
しかし喜美はそんなこと、一秒たりともしていない。
すぐに言い返してくれるものだろうと思い黙っていたら、何故か喜美は何も言い出さなかった。
まさか、僕に嘘をついて撮影をしてしまっていたのか――
そんなことを喜美がするはずがないと思いながら右隣を見ると――
何故か喜美は、右手で口を抑えながら顔を真っ赤にしていた。
「おい、どうした」
「わ、私たちさ、幼馴染じゃん?」
わなわなと震えながら喜美が呟き始める。
「九郎のこと大好きだし、一緒にいていつも楽しかったから、いつか誰かを恋愛的な意味で好きになるとしたら九郎なのかなって思ってたのー」
「お、おう。そう、だな、嬉しい……」
告白ともとれる直球の言葉の羅列を突然ぶつけられて思わず全てをプラスに受け止めてしまった。
けれども、最後に綴られた言葉にひっかかりを覚えた。
「『思ってた』って……何だ……?」
「違ったの……九郎じゃなかったの……貴女だった!」
最終的に叫んだところで、水を操っていた女性に向けて猛スピードで突っ込んでいった。
先述の通り喜美は尋常ではないほど足が速い。
そして勢いもすさまじかった。
「何だ何だ何だこれは! 止まってくれ!」水を操る女性がうろたえる。
「大好きです! 付き合ってくださいいいいい!」
「いや、ちょっと、何だ、落ち着いてくれ!」
「初恋を前に落ち着ける訳が無いじゃないですか!」
「わかった、落ち着かなくていい、止まってくれ!」
「無理です!」
「何だ君はぁあああ!」
喜美の突進に対して何とかしようと思ったのだろう。
水のベールを自身の目の前に動かし、水の形状を変形させた。
厚さはそれほど変わらないが、縦幅が大きくなり、女性を守る壁の様にそりたっている。
水の壁が、喜美の突進する先に展開されていた。
「ちょっと待て喜美! そのまま行ったら危なくないか!」
「九郎は部外者なんだから黙ってて!」
「さっきまで和気あいあいと話していたのに部外者扱いかよ!」
「恋の衝動はね、止められないのよおおおお!」
そう言いながら喜美は水に突っ込んでいった。
厚さはベールの時とそれほど変わらないため突き破れるのかもしれないと思ったが、結果として突き破られることはなかった。
まるでゴムのように喜美の勢いを弱めながら水の壁が伸び、喜美が女性に届くことはなかった。
「……粘性も変えられるってことなのか?」
何にせよ、はっきりした。
目の前でうろたえている女性は、間違いなく水を操ることが出来る。
しかも想像以上に自由度が高そうだった。
――しかし、今の僕にはそんなこと関係ない。
僕の中で一番印象に残ったのは――
「す、すまない、こんな、猛烈に告白されたことが無くてだな、しかも女子からだなんて、そんな、ああ、どうすれば良いのだろうか」
――喜美からの突然の告白に顔を真っ赤にしておろおろしている女性の様子だった。
ギャップ萌えというやつなのだろうか。
端的に言おう。
「死ぬほど可愛いですね」
「えぇえっ! き、君も何を言い出すんだ!」
更に真っ赤に様子がたまらないほど可愛かった。
なるほど確かに、喜美が言っていたこともわからないでもない。
僕も何故喜美を恋愛的な意味で好きにならないのか常々考えていた。
全てが繋がった。
この時この瞬間――彼女に会うためだったんだ。
僕は喜美の二の轍を踏まないようにゆっくりと彼女に近づく。
喜美は未だに水の壁を突破しようと必死になっているが、僕は遠回りをして彼女の横にたどり着く。
「僕の名前は黒谷(くろたに)九郎と言います。未だに水に突っ込んでいる彼女は君川喜美といいまして、僕の幼馴染で恋敵です」
「いや、恋敵ってそんな」
「色々話したいことはありますので、ひとまず――お茶でもいかがですか?」
目の前の女性は、逡巡しつつも、コクリと頷いた。
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