第22話 悲痛の涙
自分の体で意識を目覚めさせたヒラクは、マイラと会話後、滞在していた客室に戻った。
その姿を見た瞬間、ユピは駆け寄り、ヒラクを胸に抱き寄せた。
「ヒラク、どれだけ心配したか……」
ユピは声を震わせて、頬に涙をつたわせた。
「ごめん、ユピ……」
ヒラクはユピの背に手を回し、なだめるようになでさする。
ジークとハンスもヒラクの近くに寄ってきた。
「この二日、生きた心地もいたしませんでした」
ジークは心配を表に出さないように努めながら、かしこまった口調で言った。
「二日? そうか……たった二日か……」
ヒラクは少し驚いた。
様々な人間のそれぞれの前世をめまぐるしく体験したヒラクにとって、この二日は何年にも何十年にも値するほどの記憶を蓄積させるようなものだった。
「たった二日って言いますけどね、呼吸もほとんどしてないようだし、生気ってものがまったく感じられない状態で、死人のように眠ってたんでさぁ。どれだけ心配したって思ってるんです?」
「よせ、ハンス」
ジークに制止され、ハンスはおもしろくなさそうに腕組みしてそっぽを向いた。
めずらしく怒った様子のハンスを見て、ヒラクは自分がどれだけ周りに心配をかけたのか実感した。
「ごめん、ハンス。ジークも心配かけてごめん。ユピも……」
ヒラクはユピの目の下に影のようなクマがあるのを見て、申し訳ない気持ちになった。
ユピは笑顔を見せるが、その表情はひどくつかれている。
「一体、何があったんです? 女王陛下までお倒れになったと聞きましたけど」
ハンスはいつもの調子に戻って尋ねた。
「そもそも地下牢で何をしていたのですか」
ジークがおおいかぶせるように言う。
「明日全部言うよ。もう今日は休もう。おやすみ」
そう言って、ヒラクはベッドにさっさともぐりこんだ。
ジークとハンスは顔を見合わせ、あきれたようにためいきをついた。
二人が部屋を出て行くと、ユピがヒラクの潜り込んだベッドの端に座って声を掛けた。
「ヒラク」
「何? 眠いんだけど。ユピも早く休みなよ」
ヒラクは掛け布から顔も出さないで言った。
そんなヒラクの様子にユピはくすりと笑う。
「あんなに眠っていたのに?」
ヒラクは布から顔を出し、決まり悪そうにユピを見た。
憔悴しきった様子でもユピはやはり美しかった。
ユピは何もかもお見通しといった顔でヒラクをみつめている。
その青い瞳を細めてユピは優しく微笑んだ。
「本当は、疲れている僕たちを早く休ませるために自分から寝ようとしたんだよね。昔から、そういうところが不器用だ」
「半分はそうだけど、半分はちがう。さんざん話してきたあとだから、つづけてまた話すのがめんどくさかっただけ」
ヒラクは照れくささをごまかすように早口で言った。
「誰と話してきたの?」
ユピは鋭い視線を向ける。
壁から突き出す燭台のろうそくの炎が小さくなり始め、ユピの顔色を暗くする。
「いいから早く寝ようよ」
ヒラクはユピを気づかうように言う。
だが、ユピは口元に微かに笑みを浮かべたまま、表情を変えることなく、ただヒラクをみつめている。
その唇がゆっくりと同じ問いをくり返す。
「誰と話してきたの?」
ヒラクは観念して投げやりに言う。
「マイラだよ。女王といつも一緒にいるおばあさん」
「君を女王の寝室まで運ぶように指示した人だね。彼女が何を?」
「だから、それは明日みんなの前で話すって」
「みんな?」
ユピは悲しそうな目でヒラクを見る。
「僕はジークやハンスとはちがうよ。君にとっては一緒なの? それとも僕は彼らより信用ならない?」
「そんなことないよ」
ヒラクはベッドから体を起こしてあわてて言った。
ユピはヒラクの手をとって、琥珀の瞳をのぞきこむ。
「ヒラク、僕には何でも言って。君のすべてを受け止めるから。僕はいつでも君の味方だよ」
そこまで言われると、言わないことが信頼を裏切ることのように思えて、ヒラクは自分が体験して知った出来事のすべてをユピに打ち明けた。
かつて勾玉の光に導かれた黄金王がこの地に来て鏡を手に入れたこと、その鏡で土着の神であった月の女神を滅ぼそうとしたこと、その月の女神が宿ったのがマイラであること、マイラはそれ以来不死となったこと。
さらにそのマイラの孫だった黒髪の女は月の女神として処刑されたこと、その後ルミネスキの王ととして生まれ変わり太陽神信仰者となるが密かに月の女神を信仰していたこと、そして現在ルミネスキの女王として生まれ変わってもやはり前世の記憶に翻弄されていること。
そのルミネスキ女王を利用して、マイラは鏡を手に入れようとしていること、そのために勾玉主が必要であること、その鏡はマイラの存在の根源であるものが何か、さらには神が何かを知るための手掛かりになるものであること。
これらのことを、ヒラクは自分の言葉で思いつくまま、ユピに対して語った。
「……そう、そんなことがあったんだ」
ユピは、折り曲げた人差し指を唇に軽く押し当てて、考え込むようにして言った。
「とにかくおれは、王の鏡を探しに行く。神さまを探す手がかりだ」
「探しに行くっていってもどこへ? 南とだけじゃ漠然としすぎているよ」
「だいじょうぶ。おれの勾玉が行き先を示してくれるよ」
ヒラクは明るく笑った。
「ジークやハンスには何て言うつもり?」
「何って、今言ったとおりだよ」
ヒラクはきょとんとした顔でユピを見た。ユピは眉根を寄せて、何か考え込むような顔をする。
「何?ユピ」
「うん……ちょっと、それはどうかなと思って」
ユピはもったいぶったように言う。
「彼らは君のことを神帝を倒す勇者だと思っている。女王がマイラに動かされていて、鏡を得ることが目的であったことを知れば、混乱するにちがいない。
さらに君が女性であるという事実もある。勾玉主と結ばれることで玉座の主を生み出すという女王の目的さえ根底から覆されてしまった。
いずれにしても、君を勾玉主としてこの国に迎え入れたこと自体、間違っていたということになる」
「そんなの知らないよ。女王が勝手に思い込んでいたことじゃないか。すべてはマイラが仕組んでいたんだ」
ヒラクは口をとがらせた。
「事実はどうあれ、君は女王には望まれない勾玉主だ。ジークやハンスが勾玉主のための戦士という立場にあるのは、女王に忠誠を誓ったからだよ。君がすべてを打ち明けることで、彼らとの関係はこれまでとはちがったものになってしまう」
ユピは心配するような口調でヒラクの不安を煽るように言う。
「でも、そもそも女王が勾玉主を必要としたのは、前世からこだわっていた鏡を手に入れるためなんだし、そこまで勾玉主にこだわる必要もないってことを、ちゃんと言えばわかってくれるよ」
ヒラクは明るく言った。
「前世について、どう説明するつもり?」
ユピは冷ややかに笑った。
「君は君が持つ特殊な能力で、他人の前世を実際に体験した。だからこそ、生まれ変わりや前世を信じられるのだろう。でもたいていの人間はそうじゃない。自分が今の自分であるという認識しか持たない。生まれてくる前のことも死んだ後のことも考えないで生きていく。考えたくもないんだ……」
ユピは前髪をかきあげて、額を押さえ、目を伏せた。
「ユピは? ユピは前世を信じてる?」
「僕は……」
考えようとするユピの脳裏に赤いカーペットの廊下が浮かぶ。
同じものが見えたかのようにヒラクも思い出して言う。
「ユピ、よく夢を見ていたよね。赤い廊下の先に部屋があって、そこにある何かが自分を待っている……。それってただの夢かな?」
「どういうこと?」
ユピは頭が痛むのをこらえながらぎこちない笑顔を向けた。
ヒラクは真剣な表情だ。
「意識が人の記憶に溶け込んでいくのって、まるで他人の夢の中に入りこんでいる感じなんだ。夢を見ている本人と一体化して同じ夢を見ている感じ。もしかしたらみんな時々は夢で前世のことを思い出しているのかもしれない。朝になったら忘れちゃうだけでさ」
そう言うと、ヒラクはユピをじっと見て、そのまま目をそらさずに顔をゆっくり近づけていく。
「ねえ、前に言ったよね? ユピが夢で怖い思いをしないようにおれも夢の中に行けたらいいのにって。今のおれならそれができるかもしれない。ちょっと試してみない?」
そしてヒラクはユピの額に自分の額を押しつけた。
ユピはそんなヒラクを拒むように思い切り体をつきとばした。
ヒラクは驚いてユピを見た。
ユピはおびえたように顔をこわばらせている。
「二度とこんなことはしないでほしい……」
ユピはくちびるを震わせて言った。
ヒラクは反省しながらも、自分がしたことがそれほどいけないことなのかと納得できない思いでもいた。
ヒラクはふてくされるように、ユピに背を向けてベッドに横になった。
ユピは困ったような顔をして、ヒラクの髪をなでて言う。
「ヒラク、前世を知ることは怖いことでもあるんだよ。ただでさえ、人は愚かで過ちをいくつも重ねていく。過去に自分がどれほどの過ちを犯したかなんて知れば知るほど耐え難い苦しみとなる。今の自分で生きていくだけで精一杯なんだよ」
「そんなのおかしいよ」
ヒラクは体を起こしてユピに向き直った。
「そんなの、くさいものにふたをして、見ないようにしているってだけだ。それがまちがいで失敗だったって気づくことができたら、もうそれをくりかえさないようにするってこともできるじゃないか」
「そのために僕たちは今を生きているというの?」
ユピは暗い声で言う。
ヒラクは声を強めて否定する。
「ちがう! 過去のために今を生きているんじゃなくて、今を自由に生きるために過去を知ることも大事なんだ」
それが、ヒラクが様々な人物の前世を体験して確信したことだった。
「じゃあ、ヒラクは、今の自分に生まれてくる前の自分を知りたいと思う? それが今の自分とはまるでかけ離れた自分であっても?」
「おれはおれだし関係ないよ」
ヒラクの答えにユピは拍子抜けした。
「だって、過去の影響も含めて今のおれになったんだし、悩んだり失敗しても、そのたびに向き合っていけばいいんだ。それが前世からのくりかえしだったからって、乗り越える機会を与えられているのは今の自分なんだから」
「前世に自分が何者だったのかは具体的に知らなくてもいいってこと? なんだか矛盾しているね」
ユピは少し意地悪く言った。
ヒラクは頬をふくらませる。
「おれが言いたいのは、大事なのは今だってこと。もう寝る」
「ごめん、ヒラク。機嫌直して」
そう言って困ったように笑うユピはすっかりいつもの様子に戻っていた。
だが、その脳裏に浮かぶ赤いカーペットの廊下は、ユピを暗い心の深淵に引き込むように伸びている。
ユピは眠りが怖かった。
「ヒラク、もう少し話さない?」
ユピは声を掛けるが、すでにヒラクは横になり、目を閉じ寝息を立てていた。
「ヒラク、僕は僕自身であることさえ怖いんだ。君がいなければ、僕は僕さえ見失う……」
頭の奥から痛みが走る。
脳裏に浮かぶ赤い廊下がユピを誘う。
ユピは、無邪気にすやすやと眠るヒラクの寝顔をいとおしく思いながらも、ねっとりとした黒い液体が広がってこびりつくような嫌悪感を胸に抱いた。
「君は自分を好きでいられるから、過去さえ受け入れられるんだ」
ユピは頭の痛みに耐えながら、気づけば両手をヒラクの首に巻きつけていた。
のどにふれた親指に力をこめようとしたところで我に返ったユピは、解いた指で額をおさえてうなだれた。
ヒラクはまったく無防備で、目を覚ます気配もない。
ユピはほっとしながらも、耐え難い悲しみに襲われて、声を漏らさぬように口を押さえて涙した。
ユピの中にある複雑な感情にヒラクは気づくことはなく、ユピと一緒にいる夢を見て、眠ったまま笑みを浮かべた。
同じ夢を見れないことが、二人の距離を遠ざける闇を濃く深くしていった。
前世図
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