第23話 それぞれの思惑と邪悪な影

 黄金王が手に入れた鏡をみつけだすために旅立つことを決めたヒラクだったが、二週間近く過ぎても、女王からの呼び出しはない。


 すぐにも南に向かいたいヒラクは苛立っていた。

 ジークとハンスはもう二度と勝手に抜け出されることがないようにと目を光らせ、そばを離れることはない。


 ヒラクは、ユピの言う通り、前世の記憶に翻弄されている女王はマイラの思惑通りに動かされているだけだという事実をジークとハンスには言わなかった。

 そしてジークとハンスには地下牢で意識を失ったことについて「何も覚えていない」の一点張りで通した。

 それで二人は納得したわけでもないが、ハンスはそのうちヒラクから聞き出してやろうと今はあきらめ、ジークは今後同じことがないよう努めようと気持ちを切り替えた。


 ロイが言うには、女王は気を取り戻して以来、いつもどおりの様子で過ごしているという。

 それならなぜ自分に会おうとしないのかとヒラクは苛立ちをぶつけるが、ロイはただ丁寧に謝罪するだけだった。


 その日も同じことが予想され、ヒラクは部屋を訪ねてきたロイを見るなりふてくされた顔をした。

 それを見たロイは困ったように微笑みながらも、いつもとはちがう言葉をかけた。


「女王陛下が玉座の間でお待ちです」


 ヒラクは思わずロイのそばに駆け寄った。


「ほんと? 行く。すぐ行くよ」


「あ、お待ちください」


 勢いよく部屋から飛び出していったヒラクをロイはあわてて追いかける。

 当然のようにジークとハンスが後を追う。

 ユピは一人で部屋に残り、意味ありげに笑った。


             ○                 


 玉座の間には端然と佇む女王の姿があった。

 かたわらには小さく腰を屈めたマイラがいる。


 扉が開き、ヒラクが勢いよく飛び込んでくると、女王はかすかに眉を寄せたが、とくに何を言うでもなく落ち着き払った様子だ。


「やっと城から出られるんだね。南に行けるんだね」


 ヒラクは頬を高潮させ、うれしそうに言った。


「話は聞いている」


 女王は低い声でそっけなく言った。


「南の地に真の神を見出す鏡があるそうだな。その鏡を手に入れ、神帝を滅ぼし、この玉座に神を迎えるためにこの地に再び戻られよ。よいな」


 神を知りたいヒラクにとって鏡はその手掛かりであるものにすぎないが、女王はその鏡を使って神帝を滅ぼせば、黄金の玉座の真の主を迎えられると信じて疑わない。  


 ヒラクはマイラを見た。

 マイラはしたり顔で笑う。

 女王はまたマイラの言葉に操られているのだとヒラクは思った。


「なんか、嫌だな……」


 ヒラクはもやもやとした気分で言った。


「女王を利用して鏡を手に入れるって、なんか嫌だ」


「利用? かんちがいは困る。これは命令だ」


 女王は不快そうな顔で言った。


「だったらそれも嫌だ。人に指図されたくないし」


 ヒラクの言葉に女王はぴくりと眉をつりあげる。


 険悪な空気の中、ロイとジークとハンスが玉座の間に姿を見せた。


 女王はあご先をつんと上げ、背筋を正して改めて言った。


「人にはそれぞれ本分がある。鏡をみつけるは勾玉主の務め。それを果たせという言葉に何の不満があるのか」


 女王の威圧的な態度にヒラクはまったく臆することなく言い返す。


「誰かに言われてやるってことが気に入らないんだよ。おれは自分がそうしたいからするだけで、勾玉主だからとか何とかは関係ない」


 ヒラクがそう言うと、女王のすぐそばで、息を漏らすような笑い声がした。

 マイラである。


「まったくとんでもないだだっ子じゃ。この世界の広さも知らず、何でも一人でできるとでも思っているのか」


 マイラの灰銀の瞳は少しも笑っておらず、ヒラクに口ごたえをさせない凄みがある。


「この城を出て、南の地へはどうやって行くつもりだい」


「勾玉が示す方に向かってまっすぐ行くだけさ」


 ヒラクはマイラに言った。


「南の地がどんなところかわかってそんなことを言うのかい」


「わかんないけど、行けばわかるさ」


「話にならないねぇ」


 マイラがため息をつくと、見かねたようにジークが言う。


「南は多くの島が点在する多島海と呼ばれる海域です」


「まあ、まっすぐ行ったら海にドボンですね」


 茶々を入れるハンスを睨みつけてジークが言葉を継ぐ。


「つまり、船がないことにはどうしようもありません」


「その船をおまえはどうするつもりだい?」


 マイラがにやにやと笑ってヒラクに聞く。


「誰かに頼んで乗せてもらえばいいじゃないか」


 ルミネスキまで商船に乗せてきてもらったことを思い出してヒラクは言うが、マイラはまたおかしそうに笑い、ジークやハンスも困ったように笑った。

 女王はすでに怒る気も失せ、あきれたようにヒラクを見ている。


「なんだよ、何がおかしいの? おれ、何かへんなこと言った?」


 ヒラクはその場にいる全員の顔を見た。

 ジークは軽くためいきをついて言う。


「南は未開の地であり、メーザのような文明も栄えていません。この大陸とは分断された異界の地といってもいい」


「異界の地……?」


 ヒラクはちっともわからないといった顔をする。

 そんなヒラクをおどかすようにハンスは言う。


「何が起こるかわからない、こことはまるでちがう世界ってことですよ。命知らずな冒険家が南へ行ったきり帰ってこないなんて話はよく聞くことでさぁ。神帝国に行くよりよっぽど危険って言われてます。そんなところに行く船なんてありませんぜ」


 ヒラクはあ然とした。

 そんな場所に鏡があるとは考えてもいなかった。


「私なら船を何とかすることができる」


 その場を凍てつかせるような女王の鋭い声が飛ぶ。

 ヒラクは思わずうれしそうに女王を見た。


「ほんと? 船があるの?」


「海賊を動かしてやろう」


「海賊?」


「私の持ち駒の一つだ」


 女王は涼しい顔で答えた。


 ルミネスキがメーザ第一の国として栄えているのは、海上を制しているからである。

 貿易の中心地エルオーロのある西の半島付近の島々は多くの海賊の根城となっている。

 女王はそれらの海賊たちにルミネスキの認可のない船への掠奪行為を許可している。掠奪した金品の半分は女王に献上され、残りは海賊たちの戦利品となる。

 これによりエルオーロでの貿易は女王の統制下に置かれることになり、国の収益の一部は海賊たちに支払われ、傭兵としての役目も与えている。


「素直に頼んだらどうだい?」


 マイラはヒラクにやんわり言った。


「わかった。頼むよ。船を出しておれを南に行かせてよ」


 ヒラクの態度の豹変ぶりに女王は少々驚いたが、それでも表情には出さず、あっさりと承諾した。


「いいだろう。海賊たちと話をつけてやろう。準備が整い次第港へ向かえ」


 そうヒラクに言った後、女王はジークとハンスにも命じた。


「引き続き、勾玉主の警護にあたるように。準備が整い次第港へ向かえ」


 ジークとハンスは右手を胸に当てて片ひざをつき、女王の前で頭をたれて恭順の意を表した。


 女王の命令口調にもヒラクはもう反発はせず、おとなしく玉座の間を後にした。

 とにかく今は南に行くことが先だと思った。

 鏡がみつかれば、マイラの正体もわかり、女王の自縛も解けるかもしれない。


「まずは鏡を手に入れることだ」


 そう言って、ヒラクは両腕を振り上げてのびをした。

 後ろからついてきていたジークとハンスは、ヒラクが女王の命にはりきっているとかんちがいして首をひねった。


 ヒラクたちが部屋に戻ると、ユピの姿はなかった。


 その時ユピは玉座の間にいた。


             ○


「そこで何をしている」


 女王は玉座の間に姿を現したユピを見るや鋭い声で言った。

 ユピは動じることもなく、静かに微笑み、女王の目をじっと見た。

 ユピの瞳は怖いぐらいに青く深く透き通る。

 なぜか女王は背筋が凍る思いがした。


「鏡のこと、どこまであなたはご存知ですか」


 ユピは女王に尋ねた。


「そなたには関わりないことだ」


 女王はそっけなく答える。

 ユピは微笑を崩さない。


「僕はあなたの知らないことを知っています」


 マイラは警戒するようにユピを見る。

 女王はにわかに関心を示した。


「どのようなことだ」


「まずはあなたが何を知っているか聞きましょうか」


 女王はかたわらのマイラを見た。

 マイラは女王が語ることをうながすようにうなずいた。

 それを受けて女王が言う。


「鏡はかつて黄金王のものであったという。偽りの神を滅ぼし、真の神を見出す力があるとか。その鏡さえこの地に戻れば、真の神である太陽神を黄金の玉座にお迎えすることも可能だろう。その王の鏡をみつけられるのは勾玉主だけだそうだ」


「そうですか。鏡のことをここでは『王の鏡』と呼んでいるのですね。神帝国では『神託の鏡』と呼ばれています」


 ユピの言葉に女王よりも先に反応したのはマイラだった。


「なぜ神帝国の者が鏡のことを知っている」


 マイラはユピに言った。


「かつて神王は鏡によって神なる者として選ばれた。神帝もまた鏡により選ばれた者だと神帝国の民は信じている」


 ユピのこの言葉に女王は激高した。


「そのような馬鹿なことがあるか。真の神を見出す鏡がなぜ神王を神として選ぶのだ。そして神帝までもが神だと? そのようなことがあるわけがない」


「信じるも信じないもあなたの自由です。ただ、神帝が神王の生まれ変わりとされたのは、鏡の存在があってこそのこと。あなた方はなぜ神帝が神王の再来とされたのか、その理由をまったくご存知なかったようだ」


 ユピは自分の言葉を楽しむようにゆったりと笑う。


「では、鏡は今は神帝国にあるのか?」


 マイラはユピに尋ねた。

 女王は怪訝な目でマイラを見た。


「マイラ様、何を言うのです。勾玉は南の地を示したとおっしゃったのはあなたではないか」


「そうじゃ……だが……」


「第一、鏡は勾玉主にしかみつけられぬものなのでしょう?」


 答えに窮するマイラをおもしろそうに眺めながら、ユピは女王にもしっかりと聞かせるようにゆっくり言う。


「……神王は、勾玉主だった。そうですね?」


 ユピの言葉にマイラはしぶしぶうなずいた。

 女王は混乱する。


「そんな馬鹿な。どういうことだ。神を見出す者……いや、神そのものとなる可能性もあるのが勾玉主……」


「それならヒラクが神となる可能性もあるということになる」


 ユピは自分が望む言葉を引き出せたことに満足げに笑う。


「神は、太陽神である黄金王ただ一人だ」


 女王はそう断言するが、その胸には言い知れない不安が広がっている。


「鏡の所在が明らかになれば、それも確かめられるでしょう」


「鏡は神帝国か?」


 マイラは繰り返し尋ねた。

 ユピは困ったように微笑する。


「残念ながら僕も知らないのです。神託の鏡は神帝国にあるのか、それとも別な場所にあるのか、それとも……」


 ユピの青い瞳が鈍く光る。


「鏡はそもそも二つあるのか」


 マイラも女王も黙り込み、奇妙な沈黙が続いた。


 先ほどからずっと隅に控えていたロイは、重大な秘密を知ってしまったような恐ろしさを胸に抱き、息をつめて様子を見守った。


「おまえの目的は何だ」


 マイラはユピに尋ねた。


 ユピは大理石の階段の上に目をやる。


「その黄金の玉座」


 ユピの言葉に女王はさっと表情をこわばらせた。


「冗談です」


 そう言って、ユピはにっこりと笑った。

 だがその目は鋭く女王に向けられる。


「でも、それがヒラクならどうです? 先ほども言ったように、鏡をみつけた勾玉主が神となることもあり得るかもしれません」


「勾玉主は女だ。女がこの玉座に座ることはできぬ」


「それでは僕ならいいですか」


 ユピは今度は冗談だとは言わなかった。


「僕なら勾玉主であるヒラクを自由に動かすことができる。それはすなわち勾玉の力を自由に扱うことが可能ということだ。僕を王とするなら、神帝さえも滅ぼしてみせましょう」


「神帝を滅ぼす……」


 女王はユピの言葉をくりかえしつぶやく。


「それがあなたの望みではないのですか。かつて神王がしたようにメーザを恐怖に陥れるかもしれない神帝を滅ぼし、新しい王をこの国に迎えることが」


「だが、神帝にはそのような力はないのではないか」マイラが口を挟んだ。「たとえ神帝が鏡を持ったにしても、勾玉の力がなければ意味がない。神帝が勾玉主でないことは、この二十年の経過からみても明らか」


「僕が神帝に成り代わる者となれば話は別です。勾玉主であるヒラクを味方にしたこの僕がね」


 女王とマイラは絶句した。

 ユピは青い瞳を細めて笑う。


「女王陛下、僕はあなたの敵にも味方にもなれる」


 沈黙が続いた。


 ロイがそっと立ち上がり、白いローブの衣ずれの音がした。


「このことは誰に言っても無駄ですよ」


 ユピはやんわりそう言って、出て行こうとするロイを引き止めた。


「ヒラクは僕しか信じない。ヒラクにとって必要なのは僕だけ。他には誰もいらないんだ」


 自分に言い聞かせるようにつぶやくユピを見て、女王は初めてこの場でユピに会ったときのことを思い出した。

 ヒラクのために神帝国を捨ててもかまわないと言ったユピと今のユピは同じに思えた。

 神帝国の差し金でユピが動いているとも思えない。


 女王はしばし黙考してから言った。


「すべては鏡を手に入れてからのこととしよう。勾玉主には予定通り南に向かってもらう。だが、もう一つの鏡のことはこちらでも調べさせてもらう。神帝国に関して、おまえの知る限りのことを聞かせてもらおう。場所を変える。来るがよい」


 そう言って、女王はユピと連れ立って玉座の間を出ようとした。

 女王に目配せされたロイも後に続く。

 その場に一人残されようとしているマイラが思わず女王を呼び止める。


「お待ちください、女王陛下。その者を信じるのか。まさかその者を本当にこの国の王にしようなどとお思いか」


 女王はゆっくりと振り返りマイラを見た。その目には失望と落胆の色がある。


「私が何を信じるかは私が決めることだ。あなたこそ、鏡のことをなぜもっと早くに言わなかった。希求兵たちが捜し求めたのが勾玉主だけでなかったら、神帝の鏡について知り得たこともあったかもしれないものを」


 女王はそのままマイラに背を向け、二度と振り向くことなく玉座の間を後にした。


 ユピはマイラを一瞥すると、意味ありげな笑みを浮かべた。


 ユピの中にある邪悪さにマイラは気づいてはいるが、灰銀の瞳を持ってしても、その存在が何であるかはわからなかった。


             

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