第20話 王の鏡
「最初からどういうことか全部説明してよ」
ヒラクはマイラをにらみつけた。
ルミネスキ女王・聖ブランカの記憶に潜り込み、月の女神を探せと言ったのはマイラだ。
だがそのマイラこそが月の女神なのではないかと疑う場面をヒラクは見た。
「こわいねぇ、何を怒っているんだい?」
マイラはおかしそうに言う。
ヒラクはカッとなった。
「なんでこんな回りくどいことしたんだよ。最初から自分が月の女神だって言えばよかったじゃないか」
ヒラクの声で、ベッドの上の聖ブランカが眉をぴくりと動かした。
「全部話すからこっちにおいで。女王が目を覚ますと厄介だ」
そう言って、マイラは寝室を出て、つづく隣の部屋に姿を消した。
ヒラクもベッドを飛び降りて後につづく。
マイラはテーブルの上の燭台のろうそくの炎をつけて、窓辺の絹張りの椅子に腰をおろして湖にふと目をやる。
夜はすべて闇一色に外の景色を塗り替える。
それでも月が明るいのか、雪の降り積もる遠くの森がうっすらと蒼く浮んで見えた。
「さて、何から話そうかねぇ」
「どうしておれに月の女神を探せなんて言ったの?」
のんびりかまえるマイラの言葉をさえぎってヒラクが言った。
「おまえの勾玉の輝きで、真の私の姿を照らしてほしいと思ったからさ。月の女神としてではない、本当の私をみつけてもらいたかったんだ」
マイラの言葉にヒラクは首をかしげる。
「意味わかんないよ。本当の私って……月の女神でしょう?」
「私は月の女神として存在するずっと前からこの場所にいたんだ。いつ、どうして、存在することになったのか、私にはもう思い出せない。鍵となるのは、王の鏡だ」
「鏡? 鏡って、黄金王が湖から取り上げたやつ? あの鏡が何だっていうの?」
「さあねぇ。ただ言えるのは、私という存在の波動はなぜかあの鏡に引き寄せられるということさ。そこに私の存在がなんであるかという鍵があるのではないかと思うんだけどねぇ」
「だったらふらふら湖の上を飛んでないで、さっさとあの鏡を手に入れていたらよかったじゃないか」
ヒラクは青いエネルギー体のように見えた月の女神の姿を思い出して言った。
「あの鏡は私を引きつけてやまなかったが、同時に恐れを抱かせるものでもあった。近づきたいと思いながらも近づけない。そのくせ離れようと思っても離れられない。私はずっと待っていたのさ、あの鏡の謎を解いてくれる者がいないかとね」
「近づきたくて近づけなくて、離れたくて離れられない? なんかちっとも意味わかんないんだけど……」
「まあ、おまえの単純な頭じゃわからないだろうけどね」
「うん、全然わからない」
あっさり言うヒラクを見て、マイラはあきれたような顔をするが、それでも語気を強めて言う。
「わかろうとわかるまいと、おまえが私の待っていた者であることはまちがいない。鏡がおまえを導いた。勾玉は真の神を求める者に宿る。そして鏡は真の神を映し出す。この二つは同質のものなのだ」
「どういうこと?」
「勾玉と鏡の関係性についてはまだはっきりとしたことはわからない。だが間違いないのは、黄金王は勾玉に導かれて鏡に行きついたということじゃ。鏡に何が映し出されたのかはわからない。ただそのまばゆい輝きは、黄金王自身が太陽神であることを悟らせるものだった。
神の放つ光に呑まれ、私は実態を失いかけた。もともと月の女神というのは、この地の女たちの求めた姿にすぎなかった。光に呑まれ、自分という存在が消えていきかけたと同時に、私は私が何者であるのかを一瞬思い出しかけた。
だが、消えたくないと思う意識が私をその場から逃れさせたんじゃ」
「それで、今のその姿になったってわけか」
「そうじゃ。真の姿を知ることを望んだはずが、月の女神を求める者につなぎとめられてここにいる。そしてそのときから、王の鏡を取り戻すことを決めたのさ」
「真の自分を知るために?」
「さあ……正直、それを手に入れて、自分がどうしたいと思うのかはわからない。ただ、それが他の者の手の内にあることは我慢ならないことなのさ」
ヒラクにはマイラの言うことがどうしても理解できない。
それを見て取ったマイラがヒラクに言う。
「まるで理解できないって顔だねぇ」
「そりゃそうだよ。だって、知りたいって思うなら知ればいいじゃないか。おれは神さまが知りたいって思った。だから探しに出た。王の鏡に手がかりがあるっていうなら、今度はそれを探す。それだけさ」
そう言いながら力強く握ったヒラクのこぶしの隙間から、強い光が漏れ出した。
広げた手のひらの上にはまぶしい光を放つ水晶の勾玉がある。
「おまえの勾玉は何色にも染まらぬ透明で清らかな光を放つねぇ」
マイラはまぶしそうに勾玉を見た。
「さわらないの?」
ヒラクはマイラに言った。
「もう少し、この輝きを見ていたいのさ」
「もってみればいいじゃないか」
ヒラクはマイラの手に勾玉を握らせた。
それと同時に勾玉は光ごと形をなくした。
「え? なんで?」
ヒラクは不思議そうにマイラを見た。
マイラは目を細めてフッと笑う。
「おまえの勾玉は勾玉主であるおまえしか触れられないものさ。その輝きをなくすんじゃないよ。黄金王は神として王としてこの世界に君臨し、多くのものを手に入れたが、勾玉の輝きは二度と彼には宿らなかった」
「なんで?」
ヒラクは再びマイラに尋ねた。
「さあね。求めるものが変わったのだろう。永遠の命を求めて私のもとを訪れた黄金王に私は失望した。彼は神である自分の存在が永遠であることを願い、人々の崇拝を求めた。かつて己の存在を他人の望みの中につなぎとめようとした私とまるで同じさ。王の鏡はもう二度と、神の光を放たないだろうと思ったよ」
「それでもあんたは王の鏡を求め続けていた」
ヒラクは、鋭い眼差しでマイラを見た。
「そうだよ。そしてそのための協力者が必要だった」
マイラはヒラクに答えた。
「それって、今の女王のこと?」
ヒラクは非難するような目でマイラを見た。
「黒髪の女に鏡を盗ませたのはあんただな」
責めるようなヒラクの言い方にもマイラは平然としている。
「彼女には月の女神が必要だったのさ。私はその女神を演じてやった。そして彼女の祖母の中に宿った私が完全に月の女神として復活するには王の鏡が必要だと言ったんだ」
「でも結局最後は見殺しにしたじゃないか。そして黒髪の女を月の女神にして、偽りの神を作り上げたんだ」
ヒラクは自分が何に怒りを感じているかはわからなかったが、とにかくマイラのしたことは気にくわないと思った。
「彼女の願いどおり、月の女神は祈りの対象としての姿を取り戻したじゃないか。そして私は月の女神を演じることから解放された」
「自分の身代わりに黒髪の女を月の女神として縛りつけたんじゃないか」
ヒラクは、黒髪の女が大勢の女たちに運ばれていく光景を思い出しながら言った。
「縛りつけたのは彼女自身さ。そこから抜けようと思えば、いつでも簡単に抜けられた。すべては自由意志の選択なんだよ」
「でも全部あんたが仕組んだことだ」
ヒラクはとにかく何か言い返してやりたい気持ちでいっぱいだった。
「やれやれ、人の話を聞かない子だねぇ。聞きたがったのはおまえだろう?」
マイラはあきれたように言う。
ヒラクはぐっと言葉をつまらせる。
「……わかったよ。もう何も言わないよ。で、とにかく、黒髪の女は、その姿が月の女神とされたってことは忘れて、ルミネスキの王さまに生まれ変わったんだね」
ヒラクは話を戻した。
マイラはその先をつづける。
「人は完全に前世のことを忘れているわけじゃない。記憶は深く魂に刻まれているからね。ルミネスキ王はオロブリーラという黄金王が治める国の第三王子として生まれた。
黄金王不在のルミネスキには次期王として、ルミネスキに残した黄金王の妃の一人が産んだ第一王子がいた。この王子は月の女神信仰者だった。月の女神信仰は根強く、太陽神信仰を脅かすほどだった。これを危惧した黄金王は、第三王子をルミネスキの継承者とした」
「えーと、つまり……どういうこと?」
ヒラクは、マイラに聞き返した。
「つまり、黄金王の息子である王子がルミネスキにいたが、黄金王は別の息子を次のルミネスキの王にしたということじゃ」
「そのルミネスキ王子が月の女神を信仰してたからだね」
「ああ、そうじゃ。しかし太陽神の代行者として送り込まれたもう一人の王子もまた前世では月の女神の信仰者だった。そして多くの仲間を黄金王に殺された恨みを抱いていたが、今度は自分がそれと同じことをしてしまうことになる。
前世の記憶はないのだから、そんなことはもちろん本人にはわからないことだが、ルミネスキの新王となった王子は苦悩していた。なぜか黄金王への不信感は拭えないし、自分が太陽神の代理となることにも抵抗があった」
マイラの話を聞いて、ヒラクは、複雑な想いで黙り込んだ。
月の女神信仰者であった黒髪の女が、最も恨んでいた黄金王の息子として生まれ変わり、今度は太陽神信仰者として月の女神信仰者を迫害する立場になったのだ。
それをヒラクは悲劇ととらえていたが、マイラはどこかおもしろがるように口元に笑みをたたえている。
「黒髪の女が前世であることも知らず、ルミネスキの新しい王となった王子は苦悩していたねぇ。そんな新王に私は言ったのさ。
『月の女神と太陽神は再びこの地で結ばれて、新しい神を生み出すだろう』とね」
「それってどういうこと?」
ヒラクは怪訝な顔をしてマイラに尋ねた。
マイラはヒラクに説明する。
「ルミネスキの表向きの歴史は、太陽神が月の女神を妃神として迎えたところから始まる。私は新王を勾玉を失った黄金王の代わりとして太陽神の座につけ、鏡を手に入れようと思ったんじゃが、王は自分が神となることには抵抗を持っていたようだね。これも黒髪の女のときの前世の影響かもしれないねぇ」
だが、若きルミネスキ王は新しい神を向かえるために太陽神と同時に月の女神を信仰する許しを自分自身に与えた。
こうして新王はひそかに月の女神信仰にのめりこんでいく。
その求めた姿が実は過去の自分の姿であるとは気づかずに。
「でも結局、ルミネスキ王は自分が新しい太陽神となることを受け入れたんだよね。太陽が月に呑まれたあの日に……」
ヒラクはロイの前世であるシャロンの記憶の中で見た光景を思い出して言った。
「おや、それもおまえは見たのかい? そうさ、あの日、ルミネスキ王は、黄金の玉座に初めて腰を下ろしたのさ」
マイラはしてやったりといった顔で笑った。
「そして私は今こそ太陽神の証を手に入れる時だと言った」
「太陽神の証? それって勾玉じゃないの?」
ヒラクが聞くと、マイラは首を横に振り否定する。
「もうその頃には黄金王の勾玉は消え失せていたんじゃよ。代わりに証とされたのがあの鏡さ」
「鏡……?」
「ああ、鏡さ。私はいよいよそれが手に入るときだと思った」
マイラは当時を思い出してか、高揚したかのように一瞬目をぎらつかせた。
だが、その目はすぐに失望の色に変わる。
「……だがそれは黄金王亡き後はエルオーロの神殿に神像とともに安置されるということを聞きつけた。そうなるとますます手に入れにくくなってしまう。私はルミネスキ王をけしかけて、鏡を手に入れさせたんだ。前世から持ち越した黄金王への殺意を利用してね。望み通り黄金王の命を奪わせてやったさ」
「黄金王は息子のルミネスキ王に殺されたの?」
ヒラクは驚きで声を上ずらせた。
マイラはヒラクの問いにうなずいた。
「病に伏していた黄金王の命はその時にはもうすでに消えかけていた。私は薬草の調合でちょっと早めてやるだけのつもりだったんだけどね。
だがルミネスキ王の中で呼び起こされた殺意は、前世自分を殺した相手への恨みとなって増幅され、もう歯止めがきかなくなってしまったんだよ」
病床の父親をオロブリーラに見舞ったルミネスキ王は、思わず発作的に黄金王の首をしめて殺してしまった。
そのことが露見したルミネスキ王に逃げ場はなかった。
その当時のことを思い出しながら、マイラはさらに話を続ける。
「父王殺しの罪で処刑されることとなったルミネスキ王は、すでにルミネスキに持ち込む準備がされていた鏡を王妃シャロンに託した。鏡が手に入る頃にはもう自分の命はないことを知っていたからね。その鏡を湖に沈めるように頼んだのは、前世、黒髪の女の最期の記憶が影響してのことだろう。シャロンは亡き王の願いを叶え、鏡は再び湖水に戻った」
マイラの話を聞きながら、ヒラクはシャロンとして何か平たいものを抱えて湖の中に身を沈めたことを思い出した。
「願いどおり鏡はもとの湖に戻ったってわけか」
ヒラクが言うと、マイラは残念そうに首を横に振った。
「鏡があるだけではだめなのさ。勾玉の光がなければ……。神の光は私を照らしはしないんだ。だがそれから約150年後、再び勾玉主がこの地を訪れた」
「え? まだ勾玉主っていたの? 誰?」
ヒラクは驚きとともに興味を抱いた。
「神王さ」
マイラは低い声でそう言った。
歴史はさらに紐解かれる。
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