第15話 再び城へ

 翌朝、マイラは寝椅子で眠るモリーに声をかけた。


「目を覚ましな」


 モリーはゆっくりと目を開けて、目の前の老婆に焦点を合わせた。


「あれ……? おれ……」


「……ついてきな」


 マイラはモリーの体の中にヒラクがいることを確かめると、そのまま外に出て行った。

 ヒラクはわけがわからないまま、モリーの体でマイラのあとについていった。


 外には四頭立ての立派な馬車があった。

 薄闇の中、石畳の鋪道が左右に伸びている。

 降り積もった雪は青白く浮び、少し離れた場所には赤い屋根の家々が見える。

 マイラの家だけがぽつんと離れた場所にあり、森を背景にしている。

 鳥の声が遠くに響く。


 身なりのいい御者が乗り口のドアを開け、乗り込もうとする老婆を手助けした。

 ヒラクがマイラにつづいて乗ると、すぐに馬車は出発した。


「どこに行くの?」ヒラクはマイラに尋ねた。


「城だよ。女王陛下のお呼び出しさ」


「なんでおれも一緒に行くの」


「城に残してきた自分の体のことを忘れたのかい?」


 老婆に言われて、ヒラクは自分が今モリーの中にいることを思い出した。


「早くしないと自分の体に二度と戻れなくなるよ」


 ヒラクはぎょっとした。


「戻れなくなるってどういうこと?」


「あまり眠りすぎると夢から帰ってこられなくなるってことだよ」


「……これは夢?」


「肉体から意識が離れている状態ってことで夢見の状態と同じといえるねぇ」


「う~ん……」


 ヒラクは腕組みをして考え込んだ。


「あまりむずかしく考えるんじゃないよ。なんにしても、おまえの本当の体は魂の抜け殻だ。女王も扱いに困っているのさ」


 マイラは頬にたまるしわを広げて笑う。



 まもなく馬車は森と町を区切る城壁の門を抜けた。


 ヒラクは馬車の窓から外を見た。

 朝もやの立ち込める森のそこかしこに、黒い布を身にまとう女たちの気配が感じられた。


             ○                 


  城では、ジークとハンスが、眠ったまま目を覚まさないヒラクの状態を案じていた。

 とくにジークは、自分がそばを離れていた間にヒラクが姿を消したということに責任を感じていた。


「私さえ、そばについていればこんなことには……」


 眠るヒラクのベッドのかたわらで、ジークは眉間に深いしわをよせ、苦しそうに言葉を吐いた。


「まあ、まあ、おれもその時はいなかったし、おまえだけのせいじゃねぇよ」


 気楽に言うハンスをジークはにらみつける。


「そうだ。そもそも、おまえはどこで何をしていたんだ」


 ハンスは鼻の頭をかきながら抜け目のない目でジークを見る。


「誰かさんたちの思い出話を聞かせてもらっていたのさ。まあ、おまえがいなくならなきゃおれもいなくなってねぇってわけだ」


 ジークはロイとの会話をハンスに聞かれていたことに腹を立てながらも言い返すことができなかった。


「大体、今さらそんなこと言ったってしょうがねぇ。それより勾玉主に何が起こったかってことの方が重要なんじゃねぇのかい?」


 ハンスが言うと、ジークはベッドのそばで心配そうにヒラクをみつめているユピに目を移した。


 ヒラクを探していたジークとハンスは、人を呼びに行こうとしていたユピと合流した。

 ジークはユピから聞いた地下牢にすぐに入ったが、みつけたヒラクはすでに目を覚まさない状態で、何が起こったかはユピも知らなかった。


「こうなると、オーデル公だけが頼りだぜ」


 ハンスが言ったちょうどそのとき、ロイが部屋に入ってきた。


「どうだ?」ジークがロイに尋ねた。


 ロイは静かに首を横に振る。


「オーデル公は何もご存じないそうです。ただ、勾玉主様の前で気を失って、気づいたときには勾玉主様が目の前に倒れていたとおっしゃっています」


「オーデル公の気を失わせたのは勾玉主様か?」


「さあ……どうもそのへんがあいまいで……」


 ロイは困ったようにジークを見た。


「それより、今夜、女王陛下が勾玉主様との謁見を望まれていることが問題です」


「何もこんなときに……」


 ハンスは軽く舌打ちした。

 ジークも納得がいかないように言う。


「今までも謁見の機会はあったはずだ。よりにもよってなぜ今夜なのだ」


 ロイは困ったような顔をして、ふと窓の外に目をやると、意味ありげにつぶやいた。


「今夜は、満月ですから……」


             ○                 


 城に着いたヒラクとマイラは奥の城館にある女王の部屋に通された。

 ヒラクがオーデル公の記憶の中で見た場所だ。

 そのとき女王の隣にいた老婆が同じようにその場所にいることに、ヒラクは不思議な既視感を覚えた。


「マイラ様、よくおいでくださいました」


 すその広がった濃紺の絹のドレスを床にすべらせながら、女王が老婆に近づいてきた。

 女王は、きつい目元を細めて、血の気のない口元にかすかに笑みをたたえた。

 だが、かたわらにいるヒラクを見ると、女王はすぐにいつもの冷たい仮面をかぶり、マイラにそっけなく尋ねた。


「この者は?」


「モリーといって、私の助手みたいなもんさ」


「……そうですか」女王は眉をひそめた。


「心配しなくてもいつものやつに差し障りはないよ」


「いつものやつ?」


 ヒラクが思わず口を挟むと、女王は鋭い目でヒラクをにらんだ。

 先ほどから、女王とマイラはルミネスキ語で話しているが、モリーの意識に同調しているヒラクは知らないはずの言語を自然に使いこなしていた。


「まあ、なんにしてもそれには時間も早いようだね。ここへ呼んだ理由は他にあるんだろう?」


 そう言いながら、マイラは絹張りの椅子にちょこんと腰を下ろした。


「何かあったのかい?」


 マイラはすべてお見通しのような目でにたりと笑った。


「実は……」


 女王はうとんじるような目でモリーであるヒラクを見るが、ヒラクはまるで意に介さず、興味津々で話に耳をかたむけている。

 女王は完全に無視することを決め込んで、マイラに向き直った。


「例の者が現れたことはすでにご存知かと思いますが……」


「例の者? ああ、おまえが長年待ち望んだ勾玉主のことかい?」


 マイラは声を上げてヒラクをちらっと見た。


「このことは内密のことですので……」


「ああ、すまないねぇ」


 ぴりぴりと張りつめた様子の女王に対して、マイラは気が抜けるほどのんびり構えている。


「わたくしは、その者が真の勾玉主であるかどうかを確かめたいのです」


「勾玉を見れば済む話じゃないのかい?」


「いいえ。勾玉を持っていたからといって、信じられるものではありません。信じれば、私が信じたすべてがくつがえされる……」


 女王は険しい顔つきで言った。


「すべてをくつがえすとは、どういうことだい?」


 マイラは関心を示すように目を見開いた。


「……その者は、女だというのです」


「ほほう」


 マイラの興味の目はヒラクに向けられた。


 ヒラクは、自分が女だということにそれほどの自覚があるわけではなく、どこか他人事のように話を聞いていた。


「一体どういうことなのでしょう」


「それは、月の女神にでも聞いてみないとわからないねぇ」


 女王の言葉をマイラはこともなげにあしらう。女王は不安をあらわにする。

「わたくしは、満月を迎える今日のこの日まで、勾玉主と名乗る少女を城にとどめておきました。ですが、今日という日になって、その勾玉主が目を覚まさないというのです。一体何が起こっているのでしょうか。月の女神の怒り、悲しみが、勾玉主に向けられたのでしょうか」


「まあ、そう憶測であれこれ言うんじゃないよ」


 自分とは感情的な温度差があるマイラに女王は苛立つ。こらえるように押し黙る女王にマイラは気楽な調子で尋ねる。


「勾玉主はどこにいるんだい?」


「滞在中の部屋で眠ったままの状態だそうです」


「モリー、勾玉主の様子を見ておいで」


 突然、自分に向けられた言葉にヒラクは戸惑った。


「え、なんで……」


「私の助手なら様子を見て、どういう状態かぐらい確かめられるだろう。うまくすりゃ目覚めさせることもできるさ」


 マイラはヒラクの言葉をさえぎり、椅子から立ち上がると、心に忍び込むような灰銀の瞳でヒラクをじっと見た。その目を見ると何を言わんとしているかがわかり、ヒラクは大きくうなずいた。


「この者にはそのようなことまでできるのですか」


 女王は今初めてマイラが連れてきた助手の存在を認めたかのように言った。


「では、勾玉主のもとまで案内させよう。ロイ」


 女王が呼ぶと、いつから部屋に控えていたのか、ロイが姿を現した。


「どうぞ、こちらです」


 ロイにうながされ、ヒラクは女王の部屋を出た。



             ○     

            


 ロイと二人で城館の中にある様々な肖像画の連なる長い廊下を歩きながら、ヒラクはオーデル公の記憶の中で見た少年の頃のロイのことを考えていた。


「ロイは、子どもの頃、月の女神の生贄だったの?」


 ふと思い出したようにヒラクは唐突に尋ねた。

 ロイは思わず足を止め、驚いてヒラクを見た。


「なぜそのことを……それにその言葉……」


 ヒラクは思わず神語で話しかけたことをごまかすように早口で言う。


「いや、神官様相手だからつい……それにおおっぴらに言えないことだからさ。満月の夜に女たちが集まって月の女神に生贄を捧げるなんて……」


「なぜそのようなことをあなたが……」


 ロイは怪しむようにモリーの姿のヒラクを見る。


「そりゃ、あのばあさんの助手だからさ。何でも知ってるよ。満月の夜は森の湖に黒い布をかぶった女たちが集るんだ」


 ヒラクはあわてて言った。

 すべてオーデル公の記憶の中で見たものだ。

 だがロイはヒラクの言葉に敏感に反応した。


「それは事実ですか?」


「えっ、たぶん、昔、本当にあったことだと思う」


「あなたは何もかもご存知なのですか?」


「何もかもってわけでもないけど……」


「では、太陽を飲み込む月については? あれは実際にあったことなのですか?」


 つめよるロイにヒラクはたじろぐ。


「……すみません。失礼しました」


 そう言ってロイはヒラクから体を退けたが、それでもその場に立ち止まったまま、歩き出そうともせず、うつむき加減で何か考えこんでいる。

 そして意を決したように顔をあげてヒラクを見た。


「私についてきていただけないでしょうか。勾玉主様のところにはあとで必ずお連れしますから」


 ロイに言われてヒラクは少しだけ考えた。

 あまり長いこと自分の体を離れると二度と戻れなくなると言ったマイラの言葉が思い出される。いつまでもモリーの体を支配しているわけにもいかない。

 だが、好奇心には抗えない。


「ちょっとだけならいいよ」


 ヒラクはモリーの体のまま、ロイのあとについていくことにした。


 前世の記憶が交差して、湖上の城に眠る記憶が再び呼び覚まされていく。

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