第14話 魔女の館

 奇妙なにおいが鼻につき、ヒラクはぼんやり目を覚ました。

 目覚めの気分は最悪だった。硬い木の肘掛椅子は、座り心地が悪く、背中が凝り固まっている。


(なんでこんなところで寝てたんだろう)


 ヒラクは燭台のろうそくの炎に照らされた薄暗い部屋の中を見渡した。

 ところどころ隙間のある板目の床に、口の細い花びんのような形をしたガラス容器、ポンプや管のようなもの、じょうごの形をした不思議な道具が転がっている。

 奇妙なにおいは大きな鉄鍋からで、かまどの火はすでに消えているが、鍋の中のどろりとした液体は、まだぐつぐつと煮えていた。


 ヒラクは鍋の中身を見ようと椅子から立ち上がった。

 そのとき、奇妙な違和感を覚えた。

 まるで何かの上に乗ったように目線が高く、急に背が伸びた感じがする。


 ヒラクはぎこちなく歩き、窓の外を見た。

 外は暗く、窓ガラスには明るい室内が映し出されている。

 ヒラクは窓に映る自分の姿を見て驚き後ろに飛びのいた。


「誰だ!」


 目の周りの陰影が濃く、頬がこけ、がい骨のようにも見える女が驚愕の表情でヒラクをみつめている。それがガラスに映った今の自分の姿だと、ヒラクはすぐにはわからなかった。


「何これ、誰の記憶? いや、ちがう、おれ、自分で動いているし、自分でしゃべってる!」


「やれやれ、騒がしいねぇ」


 薄暗い部屋に背の小さな老婆が入ってきた。灰色とも銀色ともいえない濁ったような瞳がヒラクを見る。


「ああっ、おまえ! おまえは……誰だ!」


 オーデル公の記憶の中で見た老婆は、今とまったく変わらない黒布にうずもれるような姿だった。まるで夢の中の人物が確かに存在したかのような驚きでヒラクは老婆を指差して叫んだ。


「いきなり、ぶしつけな子だねぇ」


 老婆はあきれたようにヒラクを見る。


「子ども……子どもって、今のおれは子どもじゃないじゃないか。何、この姿……おれは誰?」


 興奮してまくしたてるヒラクを老婆は落ち着き払った様子で眺めている。


「その体はモリーのものさ」


「モリー?」


「魔女のモリーだよ」


「魔女?」


「この国では気の触れた女のことをそうやって呼ぶのさ」


「あんたもその魔女ってやつ?」


「さあ、どうだかねぇ……。魔女たちが出入りする家だから、ここは魔女の館と呼ばれているけれど、私を魔女と呼ぶ者はいない。女王陛下のおぼえめでたき錬金術師マイラ様が魔女だなんて、めったなことじゃ言えないさ」


「錬金術師……マイラ……?」


 ヒラクは、オーデル公の記憶を思い出しながら老婆に言う。


「マイラ……確かにそう呼ばれていた。あんたは常に女王のそばにいた。そして女王がいなくても、あんたはいたんだ。今も変わらない同じ姿で……」


「そしておまえはそのときどこにいたんだい?」


「おれは……オーデル公の中にいた。オーデル公の記憶の中であんたを見た」


「ほう。くわしく話してごらん」


 マイラの灰銀の瞳が鈍く光る。その目にみつめられると、なぜか従わざるを得ない気分になる。


 ヒラクは灰銀の瞳のマイラに自分の能力と事の成り行きを説明した。

 

 すべて聞き終えたマイラは、納得したように何度かうなずいてみせた。


「……なるほどねぇ。勾玉をもつおまえなら、人の記憶に入ったり、過去を読み取ったり、まあ、そういうこともできるだろう」


「黄金王も人の記憶に入ったり、過去の出来事を読み取ったりできたの?」


 ヒラクはマイラに尋ねた。


「さあね、そんなことは知らないよ。ただ、私は勾玉を持たないが、それに近いことはできるよ」


「あんたが?」


「私だけじゃない。本当は誰でもできることなのさ」


「だったらみんなおれと同じものが見えるはずだ」


 ヒラクはマイラに言い返した。


「みんなが同じやり方というわけじゃない。要は意識をどこに向けるかだ。あんた、船に乗ってきたんだろう? そのときの海の光景を思い出してごらん」


 マイラに言われて、ヒラクはノルドからメーザに渡ってきたときのことを思い出した。


「波音は聞こえるかい? 潮の香りはするかい?」


 言われるままに、ヒラクはメーザまでの航海を思い出した。

 まるで海面すれすれにはう平たい巨大生物のように、海の表面がうねりながら迫ってきたかと思うと船を持ち上げ通りすぎていく。深い夜の色を閉じ込めたような海の水が船の側面にぶつかった瞬間、氷塊が砕け散ったような真っ白な飛沫に変る。そのとき感じた潮の香り、海風が髪にからまる感覚がよみがえる。


「今、おまえの一部はおまえが思い出した海の上にいるんだよ」


 マイラの言葉でヒラクは我に返った。一瞬で海の上にいる感覚は消え去った。


「そんなわけないじゃないか。今、おれはここにいるんだ」


「否定するのかい? そら、もう海の上にいるおまえはいなくなった」


 マイラは空想遊びでもするかのように言う。


「過去と現在と未来は、直線のようにつながっているわけじゃない。同時に存在している。私は自由に意識を飛ばして、そこに自分を存在させているだけさ」


「意味わかんないよ」


 ヒラクは困惑顔だ。


「これをごらん」


 マイラは大鍋を示した。中をのぞき込むとすでに沸騰もおさまり、液体の表面は白く滑らかだった。


「物質は変容する。この中で煮立てられたものは同じ変化をおこしてやがて一つのものに昇華するんだよ」


「一つのものって何?」


「この世界を形作る源みたいなものさ」


「何それ?」


「目に見える形あるものは、意識が生み出している。だからこそおまえは人の意識が生み出した神さえその目に見てきたのだろう」


 ヒラクはよくわからないといった顔でマイラを見る。


「すべてが意識から生まれているからこそ、意識の焦点を合わせることでこの身を過去に置くこともできる。まあ、おまえの場合は水という物質を媒体として己を変容させているようだね」


「もっと簡単に言ってよ」ヒラクは困ったように言う。


「つまり、おまえがオーデル公の記憶と一体化したのも、今のように、まったく別人の体に入り込むことができたのも、同じ原理というわけさ。もっとも、人の体の中にまで入り込めるということを、おまえの意識は否定しておるようだったから、私が手助けしてやったけどね」


「……何したの?」


 ヒラクは警戒するようにマイラを見た。


「私の意識に取り込んだおまえをこの鍋にうつして液体に変容させて、モリーに呑ませたんだ。意識が拡散して世界のちりになることも危ぶんだが、心配なかったようだねぇ」


「世界のちりって何?」


 ヒラクは嫌な予感がした。


「意識が世界に溶け込んで、自分が自分であるという感覚も失せ、肉体に意識を宿すこともない状態さ」


「それって死んじゃうってこと? なんてことしてくれたんだよ!」


 ヒラクはぎょっとしてあわてふためいた。


「まあ、落ち着きな。おまえのように自我の強い人間はそうはなるまいよ。実際、モリーの肉体を支配するほどおまえの意識の力は強い」


「……この人大丈夫なの?」


 ヒラクは急にモリーのことが心配になった。


「かえってちょうどいい薬になった。私が過去へ飛んでいるときに、ちょうどこのモリーが両親に連れられてここに来たんだ。いつもの発作が始まってね」


「いつもの発作?」


 ヒラクはモリーの髪が乱れ、髪留めが毛先にぶら下がっていることに気がついた。よく見れば、長いウールのドレスのすそも破れている。


「肉体の死を迎えても、意識はしつこく残るのさ。モリーは、過去の自分に支配されつづけているんだ」


「過去って、子どもの頃とか?」


「もっとさかのぼって、今の自分に生まれてくる前の自分だよ」


「生まれてくる前ってどういうこと?」


 ヒラクの鼓動が高鳴った。それは自分がずっと知りたかったことの一つだ。

 自分はどこから来たのか? そしてどこへ行くのか?


「意識がすべての物質を作っていると言っただろう? 肉体もそうさ。だからこそ肉体に意識が宿り、溶け込むことができる。ただし物質の状態でいられる期間というのは限られていてねぇ。肉体はもろい。人は意識を変えて肉体を自由に乗り換える。ちがう人間に生まれ変わるのさ」


「ちがう人間? じゃあ、おれは、おれに生まれてくる前は別の人間だったってこと?」


「そうかもしれないねぇ」


「そんなのうそだ。だって生まれてくる前のことなんて、ちっとも覚えてないよ」


「それが自然さ。生まれ変わりは一度や二度じゃないんだ。いちいち覚えていたらどうかしちまうよ。実際、過去の意識に支配されたために、厄介なことになることも多いのさ」


 そして老婆はヒラクをじっと見た。

 その目はヒラクではなく、ヒラクが入り込んでいる女性そのものをとらえている。


「モリーは、今の自分に生まれてくる前は、名もない絵描きの青年だった。貧しいが愛する妻と田舎で仲良く暮らしていた。

 親友もいた。その男はモリーの才能を誰よりも認めていた。そして妬んでもいた。親友もまた絵描きだったのさ。そしてとうとうしてはいけないことをしてしまった。モリーの絵を模写したものを自分の作品として世間に発表したんだ。その絵は思った以上の評価を受け、その親友も後には引けなくなった。最初は模写だったが、そのうちモリーの描いた絵そのものを自分の作品と偽って発表するようになった。

 モリーの絵をその男に流していたのは、モリーの妻だった。妻は、世事に疎く金にも無頓着な夫に愛想をつかして、親友の男の元へ走ったのさ。

 モリーは自分の作品ばかりか妻まで奪った親友が許せなかった。

 だが、もみあいの末、殺されたのはモリーの方だった」


「……かわいそうだね」


 ヒラクはしんみりと言った。


「ああ、だが悲劇は今も続いている」


「どういうこと?」


「自分を殺した親友が今のモリーの父親で、前世の妻が今の母親なんだ。

 モリーは父親に殺されるとおびえ、母親には不信感を抱いている。

 絵描きだった頃のモリーは、穏やかで平穏な家庭を望む気持ちが強かった。今世の家庭ではそれが可能だった。

 だが前世の不信感と憎悪が拭えないモリーは、父親に刃物を突きつけ、母親を罵倒しつづける。

 もちろん父親にも母親にも身に覚えのないことで、モリーは狂人扱いさ。今も家で暴れていたところを両親が引きずるように連れてきたんだ。自分たちが原因とも知らずにね」


「ひどい親だね」ヒラクは顔をしかめた。


「そうでもないさ。結局、問題の原因はモリー自身にある。モリーが彼らを許しさえすれば、モリーが絵描きだった頃に願った温かな家庭はすでに用意されているんだよ。そもそもの不幸は、自分で望んだものを見失ってしまうことに始まるのさ。オーデル公も同じだよ」


「オーデル公が? どうして?」


「オーデル公の記憶の中で、夜の湖にいたね」


 マイラの言葉にヒラクは大きくうなずいた。


「でも、あのときおれはオーデル公じゃなかったよ」


「記憶に深くもぐりすぎたのさ。オーデル公の前世までね」


「じゃあ、あの女は……」


「オーデル公の最近の前世での姿さ。あの娘は黄金王の城で暮らすことを願っていただろう? 生まれ変わって願いが叶ったというわけさ。それなのに、不平不満はおさまらない」


 マイラの話を聞いて、ヒラクは気になったことを尋ねた。


「誰でも自分が望んだとおりの人生を選べるの?」


「意識が世界を作るのさ。今いる場所も環境も自分の意識が作り出したものなんだ」


「……だけど生まれてくる前からこの世界はすでにあったんでしょう?」


 ヒラクは考え込むようにして言う。


「初めに世界を作ったのは誰?」


 ヒラクは食い入るような目でマイラをみつめている。

 マイラは灰銀の目でその目をしっかりと見返す。そして、たれさがる頬を引き伸ばすようにして笑った。


「私もそれが知りたいのさ。なぜ私は生まれ変わることなく生き続けているのか、そもそも私は何者なのか、世界の始まりを知る者ならそれがわかるはず」


「生まれ変わることなく……って、ずっと死なないで生きているってこと?」


 ヒラクは驚いて目を見開き、瞬きもせずに食い入るようにマイラを見た。


「まるで化け物を見るような目だねぇ」マイラはおかしそうに笑う。「おまえだって同じだろう。姿は変わっても、その魂は死なず、生き続けている。そう変わらないと思うけどね」


「全然ちがうよ。大体、自分がそんなに長く生き続けているなんて思えないし、今の自分以外の自分なんて考えられないし、とにかく全然同じじゃないよ」


「それなら同じになってみたくはないかい?」


 マイラは試すような目でヒラクを見た。


「同じになるってどういう意味?」


「その姿のままで生き長らえてみたいとは思わないのかい?」


「この姿のまま? ずっと死なずにいるってこと?」


 ヒラクは何か恐ろしいことを聞いた気がしてごくりとつばを飲み込んだ。

 マイラは目を細め、頬のしわを横にのばすように笑う。


「一度の人生は短いものさ。何かを成すにも残すにも、まったく時間が足りないとは思わないかい? たとえ何かを得たとして、死によってそれは奪われる。人生がはかなすぎるから、人は死を忌み嫌うのさ」


 ヒラクは、人生の短さなど考えたこともなかった。それでも、人生がはかないものであることはなんとなくわかる。予期せぬ死を目の前で見てきたからだ。

 死は一瞬でその先に続く道を途絶えさえ、引き返すことも許さない。


「だから死んだ後にずっと続く生活を望むのかな」


 ヒラクが生まれ育ったアノイの地では、死んだ後、人は地下の世界でそれまでと変わらぬ生活を続けると信じられている。

 地下都市セーカで暮らしていたプレーナ教徒たちはそれとは逆に、死後訪れる地上の楽園での暮らしを待ち望んでいた。


 永遠の平安というものに、ヒラクはどうしようもない絶望を感じる。

 どこにもたどり着かない道の真ん中に放り出されるような感覚だ。


「生まれ変わることなく長く生きるって、ずっと同じ生活を続けるってことと同じなんだよね。うまくいえないけど、それってなんかうんざりだな」


 思いもしないことをヒラクに言われ、マイラは少し驚いた。


「不老不死には興味はないというわけかい」


「もっと興味あることがある」


「何だい?」


 マイラが尋ねると、ヒラクは元気よく答えた。


「神さまをみつけたいんだ」


「自分が何者かを知るためかい?」


「知りたいのは神さまさ。理由なんてない。ただ会いたいって、それだけさ」


 きらきらと輝くその瞳以上の輝きが、マイラの目の中に飛び込んでくる。


「あれ、これ……」


 ヒラクは手のひらを広げて、自分の手の中にある輝きのもとを確かめた。そこには透明な光を放つ勾玉がある。


「なんで? おれは今おれの姿じゃないっていうのに」


 ヒラクは確かめるように自分の体を見た。やはり姿はモリーのままだ。


「ほう、それがおまえの秘石かい?」


 マイラは目を見開いて、食い入るように勾玉を見た。


「秘石……?」


 ヒラクが聞き返すと、マイラは大きくうなずいた。


「ああ、私はそう呼んでいる。この世界の始まりの秘密を知る鍵となる石さ。黄金王は『神の証』と呼んでいたがね」


「黄金王と会ったことあるの?」


 ヒラクはぱっと顔を輝かせた。


「まあねぇ、『神の証』を持っているくらいだ。初めは世界の創造者にもっとも近い者だと思って私も近づいてみたのさ。でもねぇ……」


 マイラは言葉を慎重に選ぶかのように間を置いた。


「その『神の証』は消えたのさ。黄金王が不老不死を求めるようになったときからね」


「黄金王が不老不死を……?」


 ヒラクは、死と再生をくりかえす太陽神の化身ともいわれる黄金王の意外な一面を知った気がした。


「どうして黄金王は不老不死を願ったの? なぜ勾玉は消えたの? 黄金王は神さまじゃないってこと?」


「ああ、うるさい子だねぇ」


 矢継ぎ早の質問に、マイラはうんざりするように顔をしかめる。


「そんなに知りたいなら自分で探ってごらん」


「知ってるなら教えてくれてもいいじゃないか」


 ヒラクは不満げに言った。


「それじゃおもしろくないだろう。それに、おまえなら知ることができるさ」


「どうやって?」


 マイラはヒラクの手にまだ勾玉があることを確かめると、目を細めてにいっと笑った。


「この国の記憶にもぐりこんでみるかい?」


 試すように自分を見るマイラの目を、ヒラクは挑戦的な目で見返した。


「なんだかよくわからないけど、それでいろんなことがわかるっていうならやってみる」


「……今度は、『どうやって?』とは聞かないんだねぇ」


「どうせ教えてくれないじゃないか。聞いても腹が立つだけだから最初から聞かないだけだ」


 ふてくされたようにヒラクが言うと、マイラはのどから息をしゅーしゅーともらすように笑った。


「本当におもしろい子だよ。こんなに笑ったのは百年ぶりぐらいかねぇ。めずらしいことついでにもう少し言葉を足してやろう」


 マイラは深く呼吸すると、再び灰銀の瞳でヒラクを見た。


「国の記憶とは歴史のことさ。月の女神を探してごらん」


 マイラの銀色の瞳に吸い込まれそうになりながら、ヒラクは汗ばむこぶしを強く握り直した。


 この国の歴史に埋もれた月の女神が、過去からヒラクを呼んでいるような気がして、ヒラクの鼓動は高鳴った。

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