第12話 地下牢の記録

 ジークが城の庭園でロイと会っている頃、ヒラクは自分に与えられた客室にいた。


 そしてジークにつづいてハンスも部屋を出て行くと、ヒラクはベッドから勢いよく起き上がってユピに言った。


「作戦成功。しばらくおとなしくしていた甲斐があった。ジークもハンスも油断したな。ルイカおばさんによく使った手さ」


 得意げなヒラクをユピはあきれたように見る。


 ヒラクは着替えとして用意された動きにくそうなドレスを嫌い、ユピに用意された服と同じものを着ている。膝丈の長袖のチュニックの上に刺繍模様の半袖のチュニックをさらに重ねて、その上からベルトをしめ、ウールのタイツに短い皮のブーツをはいているヒラクは、毛皮の裏打ちと縁取りのあるケープをはおると意気揚々とユピに言う。


「これでよし。ユピ、行こう」


「行くってどこへ?」


「城の中を探検するんだ」


 そう言って目を輝かせるヒラクを見て、ユピは困ったように言う。


「勝手に出歩いたら叱られるよ」


「だいじょうぶ。すぐ戻ってくればわかんないよ」


 そしてヒラクは部屋を出た。ユピも仕方なく後を追う。


 ヒラクは、奥の城館へ続くと思われる別棟に入りこんだが、それらしき通路はどこにも見当たらない。


 とにかく外に出てみようと、ヒラクは階段を探して、一階まで駆け下りた。

 出口はどこにもないようだ。


 そのとき、何か、うめき声のようなものが聞こえてきた。


「ユピ、聞こえる?」


 ヒラクはユピに確かめるが、ユピは不思議そうにヒラクを見るだけだ。


「こっちだ」


 別棟の一階には日の差さない薄暗い廊下が伸びていた。

 客室のある棟とは明らかに雰囲気がちがう。

 人が出入りする様子もまったくなく、忘れ去られた場所のような感じだ。

 けれどもヒラクは何者かの濃厚な気配を敏感に察知していた。


「ヒラク、何かいるの?」


 ユピはこわごわと尋ねた。


「うん、確かめてみる」


 ヒラクは目をつぶり、全神経を研ぎ澄ませて辺りの気配に集中した。


 そして、ゆっくりと目をあける。


 これまでいなかった存在がヒラクの周りに現れる。

 全身をおおう鎖鎧、その上にまとった外衣、腰帯の剣が鮮明になる。


 ヒラクはその姿をはっきりととらえた。


 過去にこの場所にいた二人の兵士がヒラクの両側をすりぬけるようにして歩く。

 兵士たちは、手に持つランプで辺りを注意深く照らす。侵入者を警戒しているようだが、もちろん彼らにはヒラクの姿は見えない。ヒラクは彼らの後についていった。


 兵士たちは部屋の一つに入っていく。

 ヒラクもつづいて中に入った。

 そしてヒラクは貯蔵庫のような薄暗い部屋の石床に地下への階段をみつけた。

 ヒラクの目にはその階段を下りていく兵士たちの姿が見える。

 後をついてすぐにも地下へ降りていこうとするヒラクをユピが引き止める。


「ヒラク、灯りも持たずに危険だよ」


「だいじょうぶだよ」


 ヒラクは兵士たちの灯りをあてにする気でいた。だが、それはユピには見えない。

 兵士たちが過去の記録であることも忘れ、ヒラクは彼らのあとについて地下へと下りていく。

 地下の暗闇にユピは足がすくんで動けなかった。

 ユピが後をついてきていないことも気づかず、ヒラクは夢中で兵士たちの後を追う。


 次第に先がぼんやり明るくなってきた。

 ところどころにランプが灯っている。


 視野が広がると、むき出しの岩壁に鉄格子の牢が並ぶ地下牢であることがわかる。鉄格子の向こうにいるのはヒラクと年の変わらない少年たちだ。ケガをしているようだが満足に治療もされていない。


 ヒラクはその少年たちのうちの一人に見覚えがあった。

 兵士たちへの悪態が怒号となって響く中、その少年は一人ひっそりとおとなしく牢の片隅でひざをかかえて座っていた。

 さらりとした金色の髪、明るい水色の瞳、柔和で繊細で、どこか女性的な雰囲気は、今とまるで変わらない。


「ロイ?」


 思わずヒラクが声を掛けたところで、その場が一気に暗転した。

 しっとりと濃厚な暗闇がヒラクを包む。

 目を開けているのか閉じているのかもわからないような闇の中で、ヒラクは大きく息を吐き、改めてこの場の気配に集中する。


 やがて、ヒラクはまた別の過去につながった。


 看守の兵士も牢に捕らえられた少年たちももういない。

 行く手がうっすらと明るかった。

 ヒラクは灯りのある方に向かった。

 そして目に飛び込んできたものに驚愕した。


 腰布を巻いた老人が、手かせと足かせをはめて、鎖で四肢を引き裂かれるようにして吊るされている。

 ヒラクは、それが過去の記録であることも忘れ、老人を解放しようと走り寄った。 


 そのとき、目の前にもう一人の気配が漂い、ヒラクはそこにあるものの姿をはっきりと目で捉えた。


 苦しそうにうめき声をあげる老人の前に仕立てのよいドレスを着た娘が立っている。ほっそりとして背が高く、後ろ姿もすっきりとして、気品あるたたずまいだ。

 細い首から芯がとおるように背筋が伸びている立ち姿は若い娘のものであるのに、ヒラクは娘を老女と見誤った。その娘の長い髪が真っ白だったからだ。


(まさか……)


 ヒラクは娘の前に回り込んでその顔を確かめた。

 ヒラクが思ったとおり、その娘は、ルミネスキ女王、聖ブランカその人だった。

 ただし、今よりもずっと若い。

 しかし、その表情は若い娘の見せるようなものではない。ひどく冷めた目で口元にはうっすらと笑みを浮かべながら、憎しみとも哀しみともつかない複雑な表情で、鎖で吊るされた老人を見上げている。


『…頼む。助けてくれ』


 老人はかすれた声で目の前の娘に哀願する。


『母もそのようにあなたに命乞いをしたのではないのですか? それとも命乞いの間も与えず、あっさりと手を下したのですか、父上』


 若き日の聖ブランカは淡々と言った。


 今、目の前にいる死にかけの老人こそ、彼女の実の父親であり、前ルミネスキ王である。だが、まるで虫けらでも見るような目で聖ブランカは吊るされた父親を眺めていた。


 老人は苦しそうにあえぎながら言う。


『……仕方なかったのだ。神王のもとで我が国が生き残るためには、多少の犠牲が必要だった……』


『かつてあなたはそう言って、太陽神である黄金王の信仰者たちを虐殺して神王に国を売った。そして今度は太陽神信仰者だけに飽き足らず月の女神の信仰者まで……』


 そう言う聖ブランカの姿が急に不明瞭になり、ヒラクは目を細めて再び意識の焦点をそこに向けた。

 すると、聖ブランカではないまったくちがう人物がそこにいた。

 その人物は頭から黒布をかぶっていて顔はまったく見えない。

 それでもヒラクはその人物に見覚えがある気がした。

 何者かヒラクは確かめようと目をこらしたが、姿が変わったのは一瞬のことで、再び若き日の聖ブランカがはっきりと姿を現し、言葉を続けていた。


『この国は黄金王が興した国ではなかったのですか。その信仰者たちを排して神王を国教の神とすることこそ国への裏切りではありませんか』


『地上の神は一人でいい。それが誰でも同じこと。神王の支配下では、神王以外の存在を神とする者はすべて偽神ぎしん信仰者となるのだ』 


 老いた王は鎖で吊るされながらも、薄ら笑いで居直るように言った。


『父上、あなたはいつもそう……。大事なのは自分だけ……』


 そう言う聖ブランカの姿が一瞬またちがうものに見えて、ヒラクは目をこすった。


『黄金王なき今こそ真の神が玉座につくのだ』


 その言葉を発したのは聖ブランカではなかった。

 一瞬、ヒラクは聖ブランカが、金の刺しゅうを施した白の上衣に毛皮でふち取った赤いマントをはおる青年の姿になるのを見た。

 目の前の光景が振動して歪む。

 先ほどの場面に戻り、目の前で老王と若き聖ブランカのやりとりがくり返される。


『この国は黄金王が…………』


『地上の神は一人でいい…………』


『父上………大事なのは自分だけ………』


 聖ブランカの姿が先ほどと同じ、身なりのいい青年になる。そうかと思うと今度は黒布をかぶる女の姿になった。


『かつてあなたは………月の女神の信仰者まで……』


 女は黒い布をぬぎ捨てた。


『いつのときも背信者とされるのは、地上の神に裁かれし者たちなり』


 布の下からあらわれたのは長い黒髪の女だ。女は黄金の玉座の間にも現れた。

 そのときも、ヒラクの目には、聖ブランカの姿に重なるように見えた。

 

 まるで明滅するように聖ブランカの姿が変わり、声が変わり、言葉が重なる。


『黄金王信仰が復活した今、父上、あなたのような背信者はこの国には不要』


『金の玉座にすわるべき神は地上にただ一人』


『太陽神こそ偽神ぎしんなり』


 聖ブランカ、身なりのいい青年、黒髪の女と姿が変わり、重なる言葉は洪水のような轟音となり、背景に見える光景が渦を巻くように聖ブランカと老人を飲み込んでいく。


 辺りは一瞬で再び暗闇に包まれた。


 次の瞬間、ヒラクは、暗闇の中で青白い光を発する女の姿を見た。

 広い額、弧を描く眉、少しつり上がった漆黒の瞳……。

 頭巾を取り去った女の顔をはっきり見るのは今が初めてだったが、月明かりに浮かび上がるその人物は、まちがいなく黒衣に黒髪の女だ。

 ただ先ほどと明らかにちがうことがある。

 黒髪の女はヒラクの存在に気づき、まっすぐに視線を向けているのだ。


「おれが、わかるの?」


 ヒラクはおそるおそる女に声を掛けた。

 黒髪の女は微笑んだ。


「おまえは一体……」


 ヒラクが言うと、黒髪の女は身をひるがえしてヒラクを誘うように歩き出した。


 ヒラクが歩く両側に鉄格子の地下牢が並ぶ。

 再び過去の気配が漂い、辺りの光景が鮮明になる。


 少年たちが入っていた牢屋には今は別の者たちが入っていた。年の頃は様々だが、すべて女たちだ。女たちは何かを呪うようにぶつぶつとつぶやき声を発している。そのうちの何人かは鉄格子の隙間から手をのばし、悲痛な声で叫び続ける。


『月の女神よ、我らをお救いください』


『太陽神に身を売った愚か者どもに聖なる裁きを!』


『女神よ、信仰者を憐れみたまえ』


 黒髪の女は憂いを含む表情で女たちを見た。


「……月の女神ってあんたのこと?」


 ヒラクは黒髪の女に尋ねた。

 女は肯定するように微笑した。

 だが、救いを求める者たちの目には月の女神の姿は見えていないようだ。


「過去に実際あったことではなく、人の頭の中にあるものをうつしとったもの……」


 ヒラクは独り言のようにつぶやいた。


「信仰者たちの祈りや想いが作り出した月の女神の姿がそのまま水に記録されたってことか」


 それは、過去に実際に起きた出来事の記録とは明らかに異なるものだった。人々の願いや想いが水に投射されて映像化して形を成すという現象であり、信者の望むとおりの神の姿さえ作り出す。


「つまり、あんたは……」


 ヒラクは目の前の月の女神をじっと見た。

 ヒラクはつづく言葉を言うことにためらいを感じた。

 セーカやプレーナで神とされた存在を消してしまったことが思い出された。

 それでも確かめずにはいられない。


「……あんたは偽神ぎしんなの?」


「ギ……シン……?」


 女神は不思議そうにヒラクを見て、言葉の意味を確かめる。


「えーと、つまり、本来存在しない神……というか、祈る人たちがいて作り出された神というか……」


「私は月の女神……」


「いつから? 誰がそう言ったの?」


「いつから……?」


 女神が体から発する光が弱まると同時に、過去の記録として見えていた地下牢の女たちの姿が薄闇にかすんで見えなくなった。


「待ってよ、おれ、ただ確かめたいだけなんだ。あんたは一体何者なの?」


 ヒラクはあわてて言った。


「私は……形代……私は代わり……」


 月の女神が放つ全身の光は今にも消えてしまいそうだ。


「どういうこと? 本当の神さまは別にいるってこと?」


 ヒラクは問いただそうとするが、目の前の月の女神の姿は光の粒子がちらばるように薄れて闇に溶けていく。


「待ってよ!」


「誰かいるのか……す、姿を見せよ……」


 突然おびえた声がして、ヒラクは声の方を振り返った。

 両側に迫る岩壁に鉄格子の牢が並んでいる。

 先ほどと同じ場所だが、今はもう何の気配もない。ただ、奥の牢の片隅がぼんやりと明るかった。


「あれ、さっきまで灯りなんてなかったのに……」


 ヒラクは灯りの方に向かった。

 月の女神の姿はすでにない。

 だが、暗闇の中、指先で確かめながら触れる鉄格子は、先ほどまで目でとらえていた過去の光景とまったく同じもののようだ。


 ヒラクは薄暗い牢の中をのぞき込んだ。

 通路のランプに照らされた鉄格子の影の先で身を縮めている者がいる。


「何してるの?」


 ヒラクが声を掛けると、その人物は、おそるおそる鉄格子のそばに近寄ってきた。その顔にヒラクは見覚えがある。


「あっ、あんた確か女王の夫だとかわめいていた……」


 その男は、女王の配偶者であり、ヒラクとは玉座の間で会っている。オーデル公と呼ばれたその男は、女王により黄金の玉座から引きずり下ろされ、そのままロイにどこかへ連れて行かれたのだった。


「なんだおまえは……どこかで見たような気もするが……」


 オーデル公は首をひねるが、酔っていたときのことはほとんど覚えていない。


「まあいい。ここで何をしている?」


「迷った」


 ヒラクはそっけなく答えた。


「迷ってたどりつける場所ではないぞ。他に誰かいるのか? 誰と話していた?」


「何? 早いよ。わからない」


 ヒラクは片言の世界語で答えた。気取ったように語尾を上げ、早口で話すオーデル公の言葉は聞き取るのが精一杯だ。


「言葉がわからないのか。世界語もわからないとはどこの田舎者だ」


 オーデル公はばかにするように言った。


「……何だかわかんないけど、まあ、いいや」   

                                                                                                    

 興味が失せたようにその場からさっさと離れようとするヒラクを、オーデル公はあわててひきとめる。


「待て、待て。こんなところに一人にしないでくれ。頼む、ここから出してくれ」


「女王に頼めば? 女王はあんたの奥さんなんだから」


 ヒラクは簡単な世界語で言葉を返した。

 オーデル公はヒラクが聞き取ることなどどうでもいいかのようにまくしたてる。


「望んだ結婚ではないわ。大体、あの女にとって余は形ばかりの夫だ。先王さえ生きていれば、余がこの国でこのような辱めを受けることはなかったのだ。自国の王にはなれなくとも、それなりの身分をもって悠々と暮らしていただろうに」


 オーデル公は悔しそうに歯がみして、目には涙さえ浮かべていた。


 今から約四十年ほど前、かつてメーザを支配した神王が死んで十年経ち、支配を受けていた国はそれぞれ独立して国力を強めていた。独立した国々は一国が抜きん出るのを避け、友好を保つために婚姻関係を広げた。前王妃を亡くしている先代のルミネスキ王のもとにも近隣の国の王女が嫁いでこようとしていた。時を同じくしてルミネスキ王の娘もまたオーデル公の国に嫁ぐはずだった。


「あの女は本当は兄上の四番目の妻となるはずだった。友好の証の貢物でしかなかったのだ。それが今はこの国の女王だ。逆に余が貢物とされた。すべて先代のルミネスキ王が亡くなったせいだ。あの女が殺したにちがいない。すべてがあの女にとって好都合ではないか。先代の王を殺したのは今の女王だ!」


 オーデル公の言うことがすべて聞き取れたわけではないが、女王が父王を殺したと言っていることだけはヒラクにもわかった。そしてそれはまちがいないだろう。ヒラクは過去の記録として父王を鎖で吊るし上げた若きルミネスキ女王を見ている。


「あんた、他にも色々知ってそうだな……」


 ヒラクはオーデル公をじっと見る。だが、言葉が通じなければ聞きたいことも聞き出せない。

 そのときヒラクはあることを思いついた。


(そうだ、あの方法なら、言葉はすべてわかるはずだ。試してみよう)


 ヒラクは鉄格子の隙間から手を入れて、オーデル公の長い巻き髪をつかんで自分のそばに引き寄せた。


「何をする、無礼者!」


 オーデル公は鉄格子に頭を打ちつけ、痛そうに顔をしかめた。ヒラクは巻き髪をつかんだまま、鉄格子の隙間に挟まるオーデル公の額に自分の額を押しつけて目を閉じる。そして意識を自分の額に集め、集まる意識がそのままオーデル公の額を通して記憶に流れ込んでいく様子を想像した。


「や……やめろ……」


 オーデル公の見開いた目は、緑色の光を鈍く反射している。

 目の前のヒラクは全身から淡い緑の光を放っていた。その光はやがて水のようになり、ヒラクの体から分離する。

 緑の光の残像がオーデル公のまぶたの裏に残る。


 すでにヒラクはオーデル公の記憶の中にもぐりこんでいた。


 そこには重要な秘密が隠されていた。



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