第11話 庭園の鳥

 ヒラクがルミネスキの城を訪れてからすでに一週間が過ぎた。

 

 到着した夜以来、女王の謁見はない。

 霧深い森の湖上の城に閉じ込められたまま、ヒラクは特にすることもなく、中庭に面した建物の客間でふて寝していた。

 そばにはユピとハンスがいる。

 ヒラクがおとなしくしていることを確認してジークはそっと部屋を出た。


 ジークは建物から外に出て、中庭を歩いた。

 木々で仕切られた小路を抜けると噴水やあずまやをしつらえた庭園がある。


 庭園に足を踏み入れたジークは木漏れ日のまぶしさに目を細めた。整然と植えられた果樹の枝には実りはなく、隙間を埋めるようにうっすらと雪が積もっている。それでもえさ台があるため、小鳥たちが多く集り、閑散とした冬の庭にさえずりの声が響きあう。

 木漏れ日の中、雪の中に溶け込みそうな白いローブを着た青年が佇み、その指先に小鳥がとまる。

 ジークは良く知るその青年に低い声でそっと声をかけた。


「ロイ」


「やっと来たね」


 振り向いたロイの指先の鳥は翼を広げようとしたが、それでも飛び立つことはない。


「この庭園にいる鳥は、ここから外に出ようとはしない。ここでしか生きられないのを知っているのかもしれないね」


 ロイは鳥をみつめながら独り言のように言った。

 沈黙が二人を包み、小鳥の鳴き声が耳につく。


「……ケガの具合はもういいのか?」


 ジークはロイの不自由な足をちらりと見ると、気まずそうに尋ねた。


「もう十五年も前の話じゃないか」


 ロイはおかしそうにくすりと笑う。

 だが、ジークはにこりともしない。


「正直、私はもうおまえは生きてはいないものと思っていた。私たちは勾玉主のための戦士だ。兵として使えない者には死あるのみ」


「そう、だから僕が命を落としていたとしても、君が責任を感じることは何もない」


「私は何も感じていない」


「そうかな。再会したときの君にはわずかながら動揺があった。本当はずっと自分を責めていたのではないのか?」


「……」


 そしてまた、ロイとジークは黙り込む。

 ともに二人は十五年前のことを思い出していた。


 それは、ジークが勾玉主を探す任務を負ってルミネスキを去る少し前のことだ。ロイもまた、勾玉主を探す目的で育てられた希求兵の一人だった。

 ロイとジークはネコナータの孤児だった。

 メーザに神の統一国家が築かれた神王の時代、神に選ばれた部族として栄華を誇ったネコナータの民は、神王亡き後、支配から独立した国々を追われ、流浪の民となる。国をもたない彼らは卑賤の身とされ、人身売買の対象であり、生まれた子どもは奴隷として生きる道が定められていた。

 そのような境遇の子どもたちに救いの手をさしのべたのが、ルミネスキの現女王だ。そこには神帝国に潜伏させる希求兵を育成するという目的があった。女王はルミネスキの民として孤児たちを受け入れたが、国民のネコナータの民への反感は根強かった。女王は国の乱れを考慮して、孤児たちを森と湖に囲まれた城の敷地内からは一歩も外へ出さなかった。そのことは、女王が勾玉主をみつけだし、保護するための兵士を育成するためにも都合がよかった。


「初めて城外に出たときのこと覚えている?」


 ロイは当時をなつかしむように、くだけた口調でジークに言った。


「訓練だからな。神帝国に潜伏する以上、ルミネスキの民にさえ見破られぬ必要があった。あのときの緊張は忘れない」


「そうだね。確かに緊張した。けれど、それと同時に気分が高揚した。この森の外にあるものを、僕はずっと見たかったんだ」


「……」


「神帝国はどんな国だった?」


「……すまない」


 ジークはロイに責められるような思いだった。


「なぜ謝るんだい? 僕がこうして生きていることにも、君は罪悪感を抱くのか」


「……」


 ジークは目を伏せ、下唇をきつくかむ。


 希求兵たちには戦闘訓練の際、対となる決まった相手がいた。町に潜入するときにも必ずこの対の相手と行動を共にし、互いを監視しあう義務があった。神帝国へ向かう希求兵たちの最終訓練は、この対の相手で力の劣る方を勾玉主と見立て、一方が一方を保護する形で、森の中に散ったそれぞれの対の希求兵たちと先を競って争い、城を目指すことだった。城へは必ず二人一組となって向かわなければならず、片方を失った者はその場で戦線を離脱した。

 そして城まで行き着いた対の兵士たちには最終試験が行われる。

 これまで保護してきた相手の命を奪うのだ。


「しかたないことだよ、ジーク。僕たちは勾玉主のための戦士として育てられた。勾玉主以上に大切な存在はない。それ以外の相手には非情をもって接するべきだ。躊躇すれば君は永遠に戦士としての資格を失っていた」


 ロイは穏やかな表情に笑みをたたえる。

 ジークはその笑顔の真意を測りかねながら、一番の疑問をぶつけた。


「……なぜ、おまえは生きているんだ」


「なぜ? この命は初めから女王陛下の御慈悲の下にある。生かすも殺すもあの方のお心次第」


「では、女王陛下がおまえを……」


「そう、だから僕はここにいる。勾玉主のための戦士にはなれなかったけれど、そもそも戦士であろうとしたのも陛下がそうお望みだったからだ。君と変わらない。陛下あってこその命だ」


 ジークを見るロイの瞳は真剣みを帯びる。その目をまっすぐに見てジークは答える。


「もちろんそんなことはよくわかっている。この命ある限り、陛下への忠誠は変わることはない」


「……では、陛下の命令とあらば、君が連れてきたあの勾玉主の命を奪うこともできるということだね」


「勾玉主の命を奪うだと……?」


 突然ロイが言い出した言葉にジークは驚いた。


「君は、従う相手を選ぶことになる」


「一体、何のことを言っているんだ?」


 ジークは眉間に深いしわを寄せ、いぶかしげにロイを見る。


「そのうちわかる。ただ、勾玉主に従うのは女王陛下の命だからだということを忘れないように。昔なじみのよしみで忠告させてもらうよ」


「何を言っているんだ。勾玉主の命を奪うなど、めったなことを言うな」


 ジークはロイの言葉をはねつける。

 ロイは哀れむような憂いを含む瞳でジークをじっと見て、白い息を吐きながら言う。


「勾玉主は、女であってはいけないのだ」


「……どういうことだ?」


「残念だよ」


 そう言い残してロイがジークの前から去りかけたとき、あわてた様子でヒラクの部屋付きの侍女が庭園に駆け込んできた。


「たいへんです。お客様の姿がどこにも見当たりません」


「どういうことですか」


 ロイは表情をひきしめた。


「勾玉主様に何か?」


 ジークは顔色を変えてロイのそばに駆け寄った。

 

 ヒラクに何があったのか……

 そして、勾玉主が女であってはならない理由は……


 ロイの謎めいた言葉に困惑しながらも、胸騒ぎを覚えたジークは、急いでヒラクのもとへ向かった。

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