第7話 ルミネスキへ
ヒラクたちは、馬で神殿近くの森にある川沿いの集落まで移動し、そこから小舟に乗って、川の急流を下っていった。小舟は流れに乗り、行きの荷馬車の道程よりも格段に速い移動手段となった。
欝蒼とした森の中を抜けたときには、すでに日も高く、視界が一気に明るく開け、川幅が広がり、遠くに赤い屋根の家々が見えた。そこはエルオーロの国境の港町だった。港には商船が集っていて、積荷作業の人夫や行商人でにぎわっていた。
河港につく頃にはすでに日は暮れかけていた。小舟を降りると、ジークは目的地を同じくする船を探し、乗船の交渉をした。夜になり、ヒラクは明日出航するという船に乗り込むと、疲れてすぐ眠ってしまった。
翌朝、ヒラクが目を覚ますと、船は港を離れた後で、東へ川を下っていた。ヒラクたちが乗り込んだ帆船は、他の国々と交易を持つエルオーロの商船で、ルミネスキにも定期的に荷を降ろしている。川幅の広い川を悠々と進行する帆船は、ノルドからエルオーロまでヒラクたちを運んだ船よりも大きく、乗組員も二十人ほどいた。その誰もがヒラクたちを気づかい、丁重に扱っているふうだった。
ヒラクは船首から身を乗り出しながら、隣にいるユピに尋ねる。
「ねえ、ユピ。どうしてこんなもの一つあげたぐらいで、みんなやさしくしてくれるの?」
ヒラクは袋から取り出した金貨を日に透かすようにして見た。
神殿近くの集落では、若者たちが競って船頭を買って出たばかりか、他の人々も気前よく持ちきれないほどの食糧を持たせてくれた。
ジークの交渉がうまくいったのもハンスが船長に金貨を握らせたからだ。
それがヒラクには不思議でたまらない。
ヒラクの故郷のアノイには貨幣で取引する習慣がなく、欲しいものがあれば分けたり交換したりするのだ。
「食べられる物と食べられないものが交換できるってよくわからないなぁ」
難しい顔をして考え込むヒラクを見てユピはくすりと笑う。
「食べ物だけじゃないよ。交換できるものはたくさんある。その小さな金貨は望みを叶えるための手段として使えるものなんだ」
「どういうこと?」
ヒラクはさっぱりわからないといった目でユピを見た。
「おなかがすいている人にとっては食べ物を得ることが望みになる。それを叶えるのがその金貨。望みは何も食べ物だけとは限らない」
「たとえば?」
「たとえば自分の代わりにどこかに行ってもらうとか、何かを伝えてもらうといったこともしてもらえるってこと。この場合、誰かの手間や時間を金貨と交換するってことになるかな。もしかしたらそれ以上のものと引き換えになるかもしれないけれど」
そう言ったユピの瞳が暗くかげる。
「どうしてこんな小さなものが多くのものと交換できるの? どうしてみんな何でもしてくれようとするの?」
ヒラクは初めて巣から出たひな鳥のような目でユピを見た。その目には、ユピなら何でも教えてくれるだろうという期待がある。
そんなヒラクを見て、ユピは目を細めて微笑んだ。
「君にとっては確かに何の価値もないちっぽけなものなんだろうね。けれどもたいていの人は、価値があるとされたものに価値を見出すんだ」
「よくわかんないけど?」
「つまりね、その金貨をたくさん持っている人ほど幸せになれるってわかりやすく思い込ませた人がいるってことだよ」
「それは誰?」
「黄金王だよ」
「黄金王が?」
ヒラクは手に握っていた金貨を改めてじっと見た。
「これ、黄金王が作ったの?」
「そうだよ。自分が神でいるためにね」
ユピの言っていることはヒラクにはよくわからず、黄金王は何か魔法のような力で人を思い通りに動かす力を金貨に与えたのだろうと思った。そう考えるとヒラクはますます黄金王に興味が湧いてきた。
「黄金王も船でこの川を進んでいったのかな。今のおれと同じように太陽に向かって、神さまに近づいていこうとしていたのかな……」
ヒラクは船の行く手をみつめてつぶやいた。
そのとき何かの気配が漂った。
背後から何か大きなものが近づいてくる。
振り返ったヒラクは驚いた。
今自分が乗っている船に重なってちがう船が出現していた。
船首のヒラクを取り残して、後方の甲板はちがう船に姿を変えていく……。
甲板員たちも帆布の形も、ヒラクが乗っていた商船とはちがう船に完全に姿を変えた。
ヒラクの隣にいたユピもいない。
後甲板でヒラクたちの様子を見ていたジークとハンスの姿もない。
気づけばヒラクはちがう船に乗っていた。
「どういうこと……?」
ヒラクは驚き戸惑った。
そんなヒラクの前に一人の男が姿を見せた。
男は船内から甲板に上がってくると、そのまままっすぐヒラクがいる場所に向かって歩いてくる。
ヒラクは男の顔に見覚えがあった。真実を見定めようとする鋭いまなざし、揺るぎない決意の表情。あごひげはまだなく、若者らしい清々しさがある。それは神殿で見た肖像画の人物、高ぶる情熱と崇高な理念を胸に抱いた若き日の黄金王だった。
若き黄金王はヒラクの横に立ち、へさきから船の行く手をじっと見た。
かたわらで呆然と黄金王をみつめるヒラクの存在にはまったく気づいていない。
ヒラクはハッとした。
(そうか、水だ! これはきっと川に宿った過去の記録なんだ)
川面をみつめながら黄金王に想いを馳せていたヒラクは、無自覚に当時の黄金王の船出の記録を読み取っていた。
ヒラクは改めて黄金王を見た。
王はまっすぐ東の方角をみつめている。その目は神を捉えようとしているかのようだ。
そのとき王は前方に何かを求めるようにまっすぐに手をのばした。
『偉大なる太陽神よ。私はただ知りたいのです。あなたが何者であるのかを。知りたいのです。自分が何者であるのかを!』
王の言葉はヒラクの心に直接響くようだった。
それはヒラク自身の想いでもあった。
そのとき、王がのばした右手から黄金の光が放たれた。
ヒラクはまぶしさに目を細めながらも、王が道筋を照らすようにかざした黄金の勾玉をはっきりと見た。
(これが……黄金王の勾玉……)
その黄金の勾玉に共鳴するように、ヒラクの手の中に現われた勾玉が強い光を放った。
その光にかすむように目の前の黄金王の姿が消えかかる。
黄金の勾玉が照らす光の筋だけが残され、ヒラクの勾玉の光と重なり合う。
ヒラクの勾玉の光は一点を照射している。
「ヒラク!」
隣でユピが驚きの声を上げた。
黄金王の船は消えうせ、ヒラクは元の船のへさきにいた。
ジークとハンスがそばに駆け寄る。
「今の光は……」
ジークはヒラクの手元を見た。
すでに勾玉は消えていた。
だがヒラクは光が向けられた先をしっかりと覚えていた。
「あそこには何があるの?」
ヒラクは光が差した方向を指差しジークに尋ねた。
川辺に押し寄せるように欝蒼とした森がどこまでも続いている。そのはるか向こうを眺めるようにしてジークが言う。
「あのあたり一体はルミネスキの領土です」
「あっちは王都がある方だな」ハンスが言った。
「……きっと黄金王もその場所に向かったんだ」
ヒラクは独り言のようにつぶやいた。
ヒラクと黄金王の勾玉はルミネスキの王都に向けて光を放っている。
時を経て、王都は再び勾玉主を迎え入れようとしていた。
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