第43話 生きる意味

「あ、あの。ここはいったい……」


「ここは病院です。そして、あなたの名前は」


 明寿は佐戸との約束を果たしていた。佐戸はどういう伝手を使ったのかわからないが、明寿のことを病院のスタッフとして雇った。明寿は佐戸の助手として働いていた。今の明寿は、新たに生まれた【新百寿人】の教育をすることだった。


『私の助手になりませんか?』


 甲斐への復讐を果たしたらという約束だったが、高校を中退してすぐに佐戸に誘われて病院で働き始めた。


 それから10年ほど経過した。荒島や清水、甲斐がかかわった事件後、明寿は2学期を待たず高校を中退した。佐戸は快く退学の手続きをしてくれた。


『高校は卒業したほうがよい、というのは一般的な保護者の意見ですけどね』


 笑いながらの言葉は、明寿に高校に残るように強要する言葉ではなかった。既に一般的という枠から外れている明寿には、いまさら過ぎる言葉だ。それに、明寿の願いにより、明寿と荒島の関係が世間に公表された。そのために高校に残るという選択肢はなかった。


 2か月ほど2度目の高校生活を体験したが、昔の記憶を持つ明寿に10代の若い感性はどうにも合わなかった。それはきっと、転校しても同じだろう。


 明寿は最愛の妻であった高梨を亡くしたことで、2度目の人生で生きていく理由を失った。そのため、高校に行く必要性も感じなかった。明寿は燃え尽き症候群のように何に対してもやる気を失った。生きることさえ面倒になったが自殺を考えることはなかった。


(佐戸の約束があるとはいえ、自殺したらそれこそ甲斐の思うつぼだ)


 新百寿人を自殺に追い込んでいた人間に対して復讐したのに、明寿が自殺したら本末転倒な気がした。


 甲斐は事件後、行方不明になったと佐戸から聞かされた。


『死んではいないみたいですよ。何せ、遺体が見つかっていないものですから』


 明寿に驚きはなかった。明寿と同じように最愛の人を亡くした気持ちが少しは理解できただろうか。とはいえ、悲しみはあるが、生きる気力はあるようだ。行方不明ということは、生きるために逃げ出したということだ。



「流星君」


 いつものように病室で新たに【新百寿人】として生まれ変わった人間の世話をしていたら、佐戸に声をかけられる。あらかたの説明を終えた明寿は、病室を出て佐戸の後に付いていく。


 時刻は14時を回ったところで、病院の休憩室に入るとそこには誰もいなかった。明寿と佐戸はテーブルに向かい合わせに座った。


「ちょうどよい機会ですから、少し話をしましょう。流星君が私の助手として働き始めて、今年でちょうど10年になります。これから、あなたの人生はまだ長いですから、今後のことを聞いておこうかと思いまして」


「今後……ですか」


 席に着くと、佐戸はすぐに本題に入る。突然のことで明寿は問い返すことしかできない。


 10年。明寿が【新百寿人】として生きてきた年数だ。高校1年生から新たな人生が始まっていると仮定すると、明寿の今の年齢は25歳。社会人になって数年という立ち位置だ。佐戸と一緒に働き、仕事にも慣れてきた頃合いだった。


(このまま、この仕事を続けていくのか)


 佐戸に言われる前から、今後の将来についてはなんとなくだが考え始めていた。とはいえ、はっきりとした答えが出たわけでもない。今の明寿は高校中退ということで、戸籍上は中卒になるのかも怪しい。高校を卒業していたら高卒という学歴になったかもしれないが、退学を決めた事は後悔していない。


「これからも、私と一緒にこの仕事を手伝ってくれるなら、それはそれでうれしい。でも、流星君には流星君の人生があると思います。もし何かやりたいことがあるのなら、それを優先してもいい。約束は十分に果たしてもらったので」


「私は……」


 佐戸は明寿に気を遣ってくれているようだ。新たな【新百寿人】の世話をすることにやりがいを感じているわけではない。ただ、毎日を惰性で過ごしているという自覚はある。最愛の妻を2度も失った悲しみは、10年経っても癒えることはない。


「私の子孫たちを陰ながら見守っていきたい、と思います」


 何か、自分が出来ることはないか。考えた結果、口から出て来たのは純粋な希望だった。妻は亡くなってしまったが、明寿には子供も孫もいて、ひ孫も出来ているだろう。彼らは明寿と血のつながりのある親族だ。【新百寿人】となっても、記憶が残っているので明寿にとって彼らの立ち位置は変わらない。


「そうか。流星君、いや明寿さんには子どもがいましたね」


 佐戸は明寿の本当の名前を口にした。明寿が【新百寿人】であり、昔の記憶が残っていることは佐戸に知られている。明寿に子供や孫がいたことも知っているので、明寿に驚きはない。しかし、『明寿』の名を口にしたのは初めてだったので、戸惑いを隠せない。


「それで、彼らがどこに住んでいるか知っていますか?」


「いえ、知らないですけど」


「じゃあ、約束のお礼として、彼らの住んでいる場所を調べましょうか?」


 明寿の今後の人生を応援してくれるのはありがたいが、自分の親戚の情報まで教えてもらうのは、佐戸に頼り過ぎだ。


「そこまでしてもらわなくても、大丈夫、で」


「それにしても、子どもですか」


 明寿の断わりの言葉は佐戸の独り言で遮られる。佐戸は明寿ではなく、どこか遠くを見つめて懐かしそうにしていた。そんな様子の佐戸に明寿は最後まで断わりの言葉を伝えることができなかった。その代わりに別の言葉が口からこぼれる。


「佐戸さんは」


(あなたはいったい、何者ですか)


 約束を守ったというだけで、明寿の親族の情報を提供してくれようとしている。明寿に優しくし過ぎではないだろうか。これまで何度も頭に浮かんだ疑問。しかし、言葉の途中で明寿は口を押えた。彼が何者でも明寿にとってはお世話になった人だ。明寿は彼の厚意に素直にお礼を述べることにとどめた。


「ありがとうございます」


「流星君がいなくなると寂しいですね。ああ、そうだ。ここを辞めるなら、住む場所とか仕事先も必要でしょう?それはどうしますか?」


「いえ、そこまでしてもらわなくて大丈夫です」


 佐戸にお世話になり過ぎるのは申し訳ない。親族の情報だけもらったら、その後の仕事や住む場所などは自分で何とかしよう。明寿は親せきの住所だけもらい、他の厚意は断ることにした。


 ちらりと休憩室から見える窓の外に視線を向けると、雲一つない快晴が広がっていた。まるで、明寿の門出を祝うかのような良い天気だった。季節は5月。奇しくも明寿が【新百寿人】として高校に通い始めた時期と同じだった。

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