第31話 親密な関係

 高梨が自殺したとわかった日から、明寿の日常は一変した。彼女がいない日々が明るい色で囲まれた華やかな世界だったとしたら、今はどんよりとした灰色の世界が広がっている。


「流星君、今日の放課後は空いている?」

「空いています。補習、ですよね」


「そ、そうそう。流星君、この前の小テスト、出来が良くなかったでしょ」


「ワカリマシタ」


 見える世界が灰色だったとしても、それだけで学校を休むことはできない。明寿は高梨が亡くなってからも、休まず学校に通い続けていた。明寿が悲しみと絶望の中で生きていたとしても、世界はいつも通りに回っている。


 その中で、明寿の生活にある変化があった。英語教師の代わりにやってきた臨時教師の荒島との関係が急速に発展したことだ。最近は部活がない日は毎日、放課後は荒島の補習を受けている。


 ただし、補習以外にある行為が含まれていた。明寿にとっては些細なことだが、世間にばれたら、荒島も明寿も無事では済まされない。



(これからどうしようか)


 高梨がいなくなった世界で、明寿は生きる希望を失った。もともとこの身体で生きている意味を見出せなかった。そんな自分が生きる希望だと思えた相手を失ってしまった。


 自殺しようとは思わなかった。それをしたら、クラスメイトのくそ野郎に負けた気分になるからだ。それだけは避けたかったし、何よりくそ野郎に殺された先輩のためにも仇を取らなくてはならない。


 それに、相手は【新百寿人】を自殺に追い込むことを救済と考えている、頭のおかしい人間だ。明寿を【新百寿人】と疑っているので、明寿が自殺してしまえば、彼の思うつぼになってしまう。


 そんな相手をただ殺すだけでは物足りない。明寿と同じように大事な人を亡くして苦しめばいい。その後に殺しても遅くないだろう。すでに甲斐の大切な人の調査は電話で依頼している。その返事があるまで、明寿が出来ることはない。


(荒島の素性を調べてみるか)


 明寿は調査結果の連絡が来るまで、暇つぶしに英語教師の代わりにやってきた荒島の素性を調べることにした。これについては、誰かに依頼するほどのことでもない。自ら彼女に接触して、親しくなったところで直接聞いてみればいいだけだ。


 荒島が自分のひ孫に似ているなと感じていたが、それは間違いではなかった。明寿の記憶は正しかった。


「鈴木明寿?それなら、私のひいおじいさんになるかな。ていうか、どうして白石君がその名前を知ってるの?」


 初めて出会った日の補習で、荒島は明寿に誰かに似ていると言っていた。それならと、放課後、分からないところがあると言って、二人きりでの二回目の補習を受けた。一回目と同じ、英語の教科準備室で明寿は荒島と二人きりになった。


 その時に自分の名前を出して、荒島との関係を聞いてみた。


「昔助けたご老人が、荒島先生の名前を口にしていたから、もしかしたらと思って。荒島先生のひいおじいさんは誇らしいでしょうね。生徒に好かれる立派な先生になったと喜んでいそうです」


「そうだといいけどね。天国で私のこと見てるかな」


 寂しそうに笑う荒島に少しだけ胸が痛くなる。ひ孫が教員となり、社会人として立派に働いているところを間近で見ることができて、明寿は誇らしい気持ちになった。その言葉を正直に荒島に伝えた。


 ただし、明寿自身が高校生になり、彼女の授業を実際に受けるという特殊な状況でのことだったので、自分がそのひいおじいさんだとは言えなかった。


「見ていたら、私のこと、きっとはしたないって怒るだろうけどね」


 しかし、そんな感情も一気に覚めてしまう。荒島は表情とは裏腹に、テキストの上にあった明寿の手を取って、自分の口元に近付けていく。明寿と荒島は机に向かいあって座っていた。


(ああ、やはり噂は本当だったということか)


 突然の荒島の行動だったが、明寿が拒むことはなかった。むしろ、荒島の本性がわかり、一気に冷静さを取り戻す。いかにひ孫だとはいえ、結局、高梨の喪失を埋める存在にはなりえないことがわかった。


 性的な接触をしてきても、まったく興奮できなかった。胸の高鳴りもなければ、うれしくもない。


(やり方を間違えたかもしれない)


 生徒が教師と親しくなるにはいろいろ方法がある。授業で積極的に発言したり、休み時間に話し掛けたり、放課後に分からない部分を教えてもらったりすればよい。自分が授業、さらには教師に興味があるところをアピールすればよい。たくさんいる生徒の一人ではなく、教師のお気に入りになれば、後は、簡単に関係が発展する。


 明寿はそれに倣って行動しただけだ。二人きりでの補習は二回目なのに、関係が発展し過ぎだ。


「白石君、いや、流星君はこんな私のことは嫌いかな?」


「いえ、先生も教師の前に女性だったということがワカリマシタ」


 明寿の手にちゅっと口づけして顔を上げた荒島の表情は、教師には見えなかった。ただの発情した大人の女性だった。しかし、明寿はそんな荒島のことを突き放すことができなかった。


(高梨先輩、ごめんなさい)


 明寿は現在、男子高校生の姿をしていた。当然、老人だったころには衰えていた性欲が復活している。どうしたわけか、荒島の女性の表情に感化されてしまったようだ。先ほどまでの冷静さが嘘のように明寿は荒島の顔から眼が離せない。


「まさか、流星君が私のひいおじいさんと接点があるなんて驚きだね。誰かに似ているかと思っていたけど、ひいおじいさんの若いころに似ているのかもしれない。これは運命だよ」


 私、流星君に惚れちゃった。


(どうしてこうなってしまったのか)


明寿はただ、荒島の素性を知りたかっただけなのに。


 明寿にとって、最愛の女性は妻の文江、【新百寿人】となり亡くなってしまった高梨だ。彼女以外を愛することはないだろう。だから、荒島を受け入れるのは、愛ではない。身体だけの関係だ。


「私を受け入れてくれるよね、流星君」


「私たちは生徒と教師ですよ」


 相手もわかっているだろうが、念のため、明寿は最終確認をする。確認したうえで、迫ってくるのなら、明寿は受け入れるだけだ。


 荒島は男子高校生に手を出すことに抵抗はないようだ。手慣れた様子で明寿の制服に手をかける。すでに、教科準備室には鍵がかかっているため、逃げようがない。明寿は覚悟を決めて荒島の行動に身を任せる。


 荒島は最後の一線まで超えてきた。明寿はただ黙って彼女との行為を受け入れた。


 それから一週間後、ようやく甲斐の恋人らしき女性の情報についての連絡があった。その時にはすでに、明寿と荒島の関係はかなり親密となっていた。


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