番外編 神龍司葵衣
「……やっと、できた」
私は研究室に籠もりながら、お兄さんの子供化を治す薬を完成させた。
一週間と少しで治療薬を開発したのは、我ながら凄いと思う。
「……でも、どうしよう……」
正直に言うと、まだこの治療薬を使いたくない。
だって、子供のお兄さんが可愛いすぎる。
あの可愛いお兄さんを、たった一週間で元に戻すのは惜しい。
どうせならもっとお兄さんとイチャイチャしたい。
「……お兄さん……」
私はふと、お兄さんと出会ったばかりの頃を思い出す。
◆
私の周りは、馬鹿ばかりだった。
無能、より下の言葉を私は知らないので、そう表現するしかない。
赤ん坊の頃から、私は人と違っていた。
頭が良い、と私と話した大人たちは言うけれど、それは違う。
ただ貴方たちが、大人のくせに馬鹿なだけ。
……こういう考え方そのものが、人と違うのかも知れないけど。
「あおいちゃん、あそぼ!!」
誰だったか。
小学校低学年の頃、私は誰かに遊ぼうと誘われていた。
その子の顔は思い出せない。というか、そもそも認識すらしていなかった。
私にとって、大抵の人間は猿以下だから。ともすればダニ程度の認識だったと思う。
ダニを個体ごとに認識できるか? 不可能だ。
例外は、家族だけだろうか。
知能においては私より遥かに低いけれど、何故かダニとして認識できない。
家族だからか、はたまた何か別の要因か。
それは分からないけれど、家族と過ごす時間は心地よいものだった。
「神龍司さん、皆と仲良くしなきゃだめよ?」
学校の先生にそう言われたけど、よく理解できなかった。
ダニにダニと仲良くしろと言われても、それは難しい。
だって私は人間だから。
人間は人間としか仲良くすることができない。ダニはダニ同士で仲良くやってろ、と思う。
「あ、あおいちゃん!! ぼ、ぼく、あおいちゃんのことが好き!!」
気持ち悪い。
小学校のクラスメイトに告白された時は、本気でそう思った。
どこの世界にダニに好かれて喜ぶ変人がいるか。
少なくとも、私は虫が苦手なので告白されてもちっとも嬉しくなかった。
まあ、虫は身体の構造や生態が面白いから、興味という意味では認識していた。
逆に言えば、虫に対する関心と同じ程度の認識でしかなかった。
「葵衣、学校で何かあったの?」
「……」
私の姉、翠理お姉さんが私の顔を覗き込みながら、そんなことを聞いてくる。
ああ、やっぱり違う。
何故か家族だけは、認識できる。
これが、私がまだかろうじて人間という社会的生命体として成り立っている所以だろう。
人間は一人では生きていけない。
でも私の周りには、家族しか人間として認識できる人がいなかった。
――それは、あの人と出会うまでの話だったけれど。
その日は突然訪れた。
いつだったか、小学校中学年くらいの時だったと思う。
ある日、翠理お姉さんに「読書ばかりしてないでたまには外で遊ぶわよ!!」と言われて向かった先は公園。
翠理お姉さんは他の人と遊んでおり、私はそっちのけだった。
……何のために私を連れ出したんだろう……。
そんなことを考えながら、私は砂場で東京スカイツリーや大阪城、奈良の大仏を作っていた時だった。
すると。
「うわ、すっげ……」
誰かが私の作品を見ていた。
「これ、君が作ったの?」
ああ、話しかけられた……。だから外で遊ぶのは嫌いなんだ。
ダニに話しかけられるのは、鬱陶しくて仕方がない。
「……なんか、目が死んでるね。嫌なことでもあった?」
「……」
嫌なこと。今、話しかけられていること。
「俺で良かったら相談に乗るぞ!! 乗るだけだけど!!」
「……? 乗るだけ?」
乗るだけ、なのだろうか。普通、そういう時は自分に任せろ、と言うものなのでは。
そう思って首を傾げると、その人は言った。
「いや、だって俺、子供だし……。できることなんか何も無いし。逆に聞くけど、俺に何かできると思う?」
「……思わない」
「だろ? ガキなんて無力なんだよ、あっはっはっ」
初めてだったかも知れない。
己を無力だと認識している人を見たのは。
誰も彼も、子供でも大人でも、少なからず自分に自信を持つものだ。
私も例外ではなく、自分の頭脳に少なからず自信を持っている。
けれど、その人は己の無力を理解して、その上で敢えて笑い飛ばした。
この人は、ダニじゃない。ダニは己の無力を自覚しない。
私は初めて、家族以外の人を認識した。
……ああ、人ってこんな顔してるんだ……。
多分、私より少し年上。翠理お姉さんと同じくらいだろうか。
「……貴方は、誰?」
「俺は空澄。君は?」
「……葵衣」
「葵衣ちゃんか。よろしくな」
ニカッと笑う空澄。空澄お兄さん。
「……相談、しても良いですか?」
「おう、どんと来い!! 聞くだけだけど!!」
私は全てを話した。
家族以外の全ての人が、ダニ程度にしか認識できないことを。
家族にすら話さなかった、私の悩みを。
すると、空澄お兄さんは呟くように、悩ましげに言った。
「む、難しい生き方してんなぁ」
「……? 難しい?」
「えっと、だって、葵衣ちゃんはあれだろ? 他人を見下しちゃう自分が嫌いなんだろ?」
「っ」
心臓がドキッと跳ねた。
それは、自分でも認識していなかった事実だった。
他人を見下している、までは自覚していた。
でも、そんな自分を嫌っている、というのは言われるまで分からなかった。
……そうだ。
たしかに、私はこんな自分が嫌いだ。
人を見下して、人を蔑んで、そんな自分を好きになれる人間なんか、いるわけがない。
「でもま、良いんじゃない?」
「……え?」
信じられなかったのは、空澄お兄さんがそんな私を肯定したこと。
「……なんで、ですか?」
「自分が一番。そう思うことって、意外と難しいんだよ。だから凄い」
「……よく、分かんない」
「無理に上を見なくて良いってことだよ。人間、よく上を向かなきゃって言うだろ? 俺は思わない。人間は下を見て、自分が立っている場所が『凄いんだ』って思って安心する。そんなもんだよ」
この人は、本当に子供なのだろうか。
死に際の老人が悟ったような、あるいは歴史に名を残すような哲学者が言いそうなことを言っている。
「だから、自分のやりたいことを制限しなくて良いと思う」
「……制、限?」
「あ、あれ? 違った? なんか、我慢してる感じがしたから……」
言われてみれば、たしかにそうだ。
私はずっと、自分を抑えている。
周りのダニに合わせようと、社会という枠組から外れないように。
そうだ、私はずっと、私のしたいことを何もしていない。
これじゃあ私は、ダニ以下じゃないか。
ああ、なるほど。
私が家族を認識できた理由がよく分かった。
私の家族はやりたいことをやっている。だから、好きなんだ。
私は砂場に戻り、ひとまず作りたいものを作った。
「……すっげ。地球?」
「はい」
私が作ったのは、砂の地球儀。地形も再現しており、中々の出来だと思う。
「空澄お兄さん。私は、私のやりたいことをします」
「お、おう? まあ、あんまり無茶はしちゃ駄目だぞ? ちゃんと自分の健康を維持した上で、だぞ?」
「……善処します」
私は視線を逸らしながら、頷いた。
私のやりたいこと。やりたいことは、なんだろうか。
冷静に考えてみる。
そして、ふと空澄お兄さんと目が合った。
ドキッと、心臓が跳ねる。さっきとは違う。ずっとだ。ずっとドキドキしている。
空澄お兄さんを見ていると心臓の鼓動が早くなる。
「……ん? どうしたの?」
「……いえ、何でもありません」
私はこれが何か、分かっている。
恋、だろう。
私ですら知らなかった私が嫌いな私を、私以上に肯定してくれる人。
……ああ、好き。この人を、私のものにしたい。
「えーと? 大丈夫?」
……いいや、足りない。この人を私のものにするだけじゃ、全然。
ずっと、私の隣にいて欲しい。永遠に。
そうだ、あれを作ってみよう。私の頭脳なら、きっと作れるはずだ。
幾星霜、過去の人間たちが追い求めた、永遠の命。
不老不死。
夢物語だろう。聞けば誰もが失笑するだろう。でも、私は本気だった。
不老不死を手に入れ、お兄さんと永遠を過ごす。
ああ、今すぐ知識が欲しい。
下らないダニどもに合わせるのは、もうやめだ。
◆
「はっ……!!」
どうやら私は、いつの間にか眠っていたらしい。
「……あと、少しです。お兄さん」
不老不死の薬は、惜しいところまで来ている。
お兄さんが吸ってしまった若返りの薬も、実は不老不死の薬の試作品だ。
あと少し。あと少しだ。
不老不死の薬が完成すれば、私はお兄さんと永遠に一緒にいられる。
この計画は誰にも知られてはならない。
特にお姉さんたちには。
だってあの人たち、私の計画を知ったら自分たちも躊躇なく不老不死を選ぶだろうから。
「ふふ、あと少しです。お兄さん、愛してます」
私を変えてくれた人。私の知らない私を教えてくれた人。
ああ、本当に大好きだ。絶対に、逃がさない。
――――――――――――――――――――――
あとがき
多分この子が一番ヤバイ。でも一番のお気に入り。
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