第4話 二人の限界
ヤらせてくれるのなら、少しぐらいお金がかかっても良いと思ったけれど。
「美味しいですね、このパフェ」
目の前でフルーツやアイスクリームが山盛りに乗った、パフェを美味しそうに食べている摩季に、春は微妙な笑みを浮かべて頷いた。
「うん、そうだね」
「春くんも、一口いります?」
「いや、僕は良いや」
そう言って、春はグラスの水を一口飲む。誰かと一緒にファミリーレストランに入ると、セルフサービスの水を気兼ねなく飲めるのは良いところだ。
まあ、それも今目の前で摩季が食べている、パフェの代金を半分支払う必要が無ければ、の話であるのだが。
春はあれから、摩季と何度かベッドを共にした。摩季の家は両親が共働きかつ多忙であるため、彼女の家で事に及んだのだ。
摩季の体は見た目通りの極上であり、初めの内はこんなに素晴らしいものが「味わえる」なら、少しぐらい金がかかっても良いと、春も思っていたのだが。
摩季と逢瀬を重ねるうちに、春の所持金は着実に削られていった。
割り勘だからこそか、最初は普通だったものの、次第に摩季は容赦なく高いものを頼むようになった。この前入ったレストランで、一皿二千五百円の刺身の盛り合わせを平然と注文した時は、思わず彼女の正気を疑ったものだ。
「割り勘だから、このぐらい別にいいじゃないですか」
刺身を美味しそうに食べながら、摩季はにこにこと言っていたが。半分はこちらが払うことになっていることを、分かったうえでやっているのだろうか。
性欲との天秤には少々迷ったものの、さすがに限界だ。そもそも摩季とこうしてデートしているこの時間で、アルバイトに励んだ方がずっと建設的だろう。
「ふぅ、美味しかったです」
脳内で春が、そんな思考を巡らせている間に。摩季はあの大量のパフェを食べ終えていたらしく、満足げにお腹をさすって見せた。
「今日はこの後、どうしますか」
「あー……ごめん、バイト」
「そうですか……残念です」
寂しそうな顔をして見せる摩季に対して、春は百円ショップで買った財布を取り出すと、無言でパフェの代金の半分に当たる、五百五十円をテーブルに置いた。
「うん、だからもう行かなきゃ。また今度ね」
「はい……また、デートしましょうね」
「そうだね。また、親がいない日に」
なんだか食い違っている気がしないでもないが、それだけ気持ちに差があるということだろうか。
いい加減、潮時かもしれないな。
摩季を残して、春は店を出る。スマートフォンを取り出して、待ち合わせ場所を確認すると、賑わう街中を歩き出した。
待ち合わせ場所の喫茶店は、摩季と会っていたファミリーレストランから、そう遠くない場所にあった。だからこそあのファミリーレストランを、摩季との「デート」の場所に選んだのだ。
シックな内装で統一された店内に入ると、一番奥の席に座っていた真珠が、立ち上がって手を上げた。今日の彼女は白いブラウスに紺のスカートを身に着けていて、とても清楚で美しく見える。
「遅かったじゃない」
「時間、ぴったりのはずだけど」
「五分前行動は大事よ。本命の彼女とでも、いちゃついてたのかしら」
冗談めかして言う真珠の前に、春はしかめ面をして座る。そんな春に、真珠はメニューを差し出した。
「お腹空いてるでしょ。なんでも好きなもの、頼むといいわ」
「……それって」
「もちろん私の奢りだけど。いつもそうというか、春くんに支払い能力はないでしょう」
呆れたようにため息を吐き出す真珠に、春は微かな居心地の良さを感じながら、メニューをめくり始めた。
バイトというのは嘘ではない。真珠とのデートは、春の中では立派な仕事だ。
それでも金銭面の負担が無いだけで、こんなにも心が安らぐなんて。一応自重して、安いサンドイッチを注文してから、春は真珠に視線を戻す。
これで真珠がヤらせてくれれば、なにも文句はないのにな、と思いながらも。あくまで雇われた偽装の彼氏であるため、それは絶対にないだろう。
運ばれてきたサンドイッチをつまむ春に、真珠が長い黒髪をかき上げながら言う。
「それじゃあ、今日のデートだけど。しっかりと、彼氏の役割を果たしてちょうだいね」
「当然。金額に見合うだけの働きは、果たすつもりだから」
「期待してるわ」
にっこりと微笑む顔は、絵になる美しさを湛えている。摩季は可愛いが、真珠はとても美しい。
真珠が本物の彼女だったら良かったのに。内心でぼんやり思いつつ、春は笑顔を作って頷いた。
春とのデートをこなした翌日の事。
真珠はいつも通りの派手なファッションで、香次と待ち合わせをしている駅中のコーヒーショップへと向かった。
香次はいつも奢ってくれるものの、根本が貧乏性なため、待ち合わせはいつも安いコーヒーショップである。そこがまた、彼の可愛いところであるが。
店内に入ると、一番奥の席に香次の姿があった。真珠は片手を上げて、彼に近づく。
だが近づくにつれて、香次の表情が暗いことに気が付いた。いつもは馬鹿みたいな笑顔を浮かべているのに、今日は一体どうしたのだろうか。
「お待たせ、香次くん」
声をかけて、真珠が目の前に座ると。香次はやっと真珠に気が付いたようで、視線を落としていたカフェオレのカップから顔を上げた。
「真珠ちゃん……」
「どうしたの、そんなに暗い顔して」
店員にオレンジジュースを頼んでから、真珠が香次に訊くと。香次はまた黙って俯いてから、勢いよく顔を上げ、意を決したように言った。
「浮気してたなんて、酷いよ!」
「え、私浮気なんてしてないけど」
責めるように投げかけられた言葉に対して、真珠は首を傾げて見せる。
自分の恋人は香次以外にいないのに、どうして浮気を疑われるのだろうか。
理解できない、という表情を浮かべる真珠に対し。香次は脂ぎった醜い顔を真っ赤に染めて、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「浮気じゃないっていうんだったら、この男は誰なんだ!」
太い指でスマートフォンを操作し、香次は四角い画面に一枚の写真を表示する。
遠くから撮影されたらしく、画質の荒い写真には、春と手を繋いで歩く真珠の姿が映っていた。
写真を見せられて、真珠はやっと得心がいった。なるほど、香次は春との関係を勘違いしているのだ。
運ばれてきたオレンジジュースを飲んで、真珠は微笑んで見せる。
「ああ、彼の事なら気にしないで。ただのカモフラージュだから」
「カモフラージュ……?」
「ええ。月代グループ令嬢として、外聞を気にする必要があるのよ。彼のことは何とも思ってないから、気にしないで」
真珠としてはありのままの事実を説明しただけで、特に変なことを言ったつもりはなかったのだが。
真珠の言葉を聞いた香次は、赤い顔をさらに真っ赤にして、怒りに任せてテーブルを力強く叩いた。
「そ、それって、ボクが月代グループ令嬢の、真珠ちゃんの恋人にはふさわしくないってことなのかッ」
「それは……」
香次の問いに、真珠は少し考え込んでから。彼女なりに、出来るだけ言葉を選んで言った。
「まあ、香次さんを彼氏だって家族に紹介したら、間違いなく大騒動になるわね」
「この……」
「でもいいじゃない、私が香次さんを愛してるんだから。今のところカモフラージュも上手くいってるし、今の関係を楽しみましょう」
ごくりと、オレンジジュースを飲みこんで。真珠はにっこりと笑った。
「さあ、今日はどこに行く?」
だが香次の表情が変わることはなかった。彼は再度テーブルを叩くと、真珠のことを真っ直ぐ睨みつけて、絞り出すような声で言う。
「もうたくさんだ!」
「え」
「お前みたいなクソ売女、もうまっぴらだ!死ね、死ね、死ね!」
口から唾を飛ばしながら、香次は真珠に罵声を浴びせかける。店内の注目が集まっていることに、一切気が付いていないようだった。
一瞬驚いたものの。罵声を浴びせかけられながら、真珠は自身の中で何かが急速に冷めていくのを感じていた。
月代グループ令嬢として、他人からの誹謗中傷はごまんと聞いてきた。今更何を言われても動じるつもりはないが、それが恋人からのものとなれば別だ。
ストローから口を離して、真珠は香次に冷ややかな眼差しを投げかける。
「それは、別れようってことかしら」
「え……それは、それは」
あれだけ罵声を浴びせかけていた香次は、「別れよう」の一言が出た瞬間、今までの威勢はどこへやら、酷く狼狽し始めた。
だけどもう、真珠の心は決まっている。「別れよう」の一言を出したその瞬間から、絶対に変わることはない。
「あなたにとって、私がクソ女だと思えてしまうのならば。それはもう、別れた方がいいわよね。私もさすがに、傷ついたし」
これは半ば嘘である。前にも何度か、似たような修羅場に遭遇したことがあるため、この状況には慣れている。しかしここはあえて、悲しそうな表情を作って見せる。
効果てきめん、香次は懇願するような表情と声で、真珠に手を伸ばす。
「待って、そんな、真珠ちゃん、待ってよ……」
「元々遊びのつもりだったけど、まさかこんな早く終わるとは思ってなかったわ。それじゃあ、さようなら香次さん」
「待って、待ってくれ、ボクが悪かった、だから―――」
さっと、真珠は伝票を抜き取ると、レジに向かう。電子マネーで手早く会計を済ませると、そのまま店を出た。
駅中の店であるため、出てすぐのところにタクシー乗り場があり。「空車」表示の一台に乗り込むと、真珠はいつの間にか浮かんでいた涙をぬぐい、運転手に自宅の住所を告げた。
タクシーがゆっくり発進すると、真珠はやっと振り向く。店から飛び出してきた香次が遠くに見え、遠ざかって行った。
厄介なことになりそうだと思ったら、すっぱり捨てて次の男に乗り換える。それが真珠なりの、恋愛術の一つだ。
だがそれでも、真珠は真珠なりに、香次のことを愛していたのだ。どれだけ強がっても、これっぽっちも悲しくないと言えば、それは嘘になる。
さようなら、さようなら、さようなら。
心の中で繰り返すように呟きながら、真珠は再び零れそうになる涙をこらえるため、タクシーの天井を見上げた。
真珠から呼び出された場所は、高校生が入るのには場違いと感じるほど、高級感のあるレストランだった。
店内に入り、落ち着かない様子で周囲を見回す春に。窓際の席に座った真珠が、座ったまま手招きした。
「真珠ちゃん」
近づいて、春は席に座る。真珠はそんな春に対して、無言でメニューを差し出した。
「こんな急に呼び出すなんて、何かあったの」
メニューを開きながら、春は真珠に訊いた。
真珠は白いブラウスに紺のスカートを穿いて、黒く長い髪も綺麗に梳かしていたが。今日はどこか、余裕が無いように見えた。
図星だったのだろうか、真珠は少し眉をひそめてから、やがて諦めたようにため息を吐き出した。
「私にも落ち込むことぐらい、あるのよ」
そう言って、真珠はウエイターを呼ぶ。春の分まで、高級なフルコースを頼むと。顔に疲れたような微笑を浮かべ、真珠は改めて春に顔を向けた。
「心配しないで。ここの食事代も含めた、特別手当はちゃんと出すから」
「あ、うん」
本命の恋人と、何かあったのだろうと思いながら。春はワイングラスに入った水を一口飲んだ。バイト終わりの疲れ切った体に、水が染みわたるのを感じる。
実を言うと、今日は摩季との約束があったのだが。バイトの終了間際に真珠から連絡があったため、「行けなくなった」とだけ連絡を入れてこのレストランに来た。
今頃摩季から、山のようにメッセージが届いているだろうが。スマートフォンの電源は切っているため、問題ないだろう。
なんて、春が思考を巡らせていると、フルコースの前菜が運ばれてきた。見た目は普通なサラダだが、値段からして味は違うのだろうか。
「いただきます」
小さく言って、フォークを手に取り口に運ぶ。瞬間、今まで味わったことの無い美味しさに、春は思わず目を見張った。
一口、二口と、次々にサラダを食べていく春を。真珠もフォークを片手に、何も言わずに見守っていた。
やがて前菜を食べ終わる頃には、次のスープが運ばれてきて。食事を進めながら、春は真珠に何となく話しかけた。
「美味しいな……真珠ちゃんは、いつもこんなもの食べてるの」
「あら、さすがにいつもは食べてないわよ。私だってカップラーメンで済ませる夜もあるわよ」
「え、お嬢様ってカップラーメン食べたことが無いんじゃ」
「まさか。カップラーメンは月代グループの主力商品の一つよ。会長の娘が、その味を知らないなんてとんでもないわ」
「あ、そうか……そうだよね」
申し訳なさそうに俯く春に、真珠は微笑むと言った。
「春くんは、普段どんなカップ麺食べてるの?参考までに、聞かせて欲しいんだけど」
「えっと、僕は基本自炊なんだけど―――」
いつの間にか、二人の会話は弾み始めて。楽しく穏やかな時間が過ぎて行った。
貧富の差こそあるとはいえ、真珠は案外庶民的なところがあるし、何より同じ学校に通っているクラスメイトだ。学校の話題は、いくらだって話すことができる。
フルコースが進み、肉料理を食べ終えた後。運ばれてきたデザートのアイスクリームを味わいながら、春は真珠に言った。
「真珠ちゃん、今日はありがとうね」
「なによ、いきなり」
「僕にこうして、美味しいものを食べさせてくれて。本当に、ありがとう」
春が静かに頭を下げると、真珠は少し困ったような表情を浮かべた。
「別に、気にしなくていいわよ。私の気分転換に、付き合ってもらった対価なんだから」
「なるほど……ねえ、真珠ちゃん。僕は、報酬の分だけの役割を果たせたかな」
真面目な表情で、春が尋ねると。真珠は一瞬だけ、雷に打たれたような顔をして見せた。
それからいつもの彼女に戻ると、小さなスプーンでアイスクリームを突きながら、春に挑発的な視線を向ける。
「そうね。果たせたんじゃないかしら」
「ならよかったよ」
胸をなでおろし、微笑む春に。真珠はアイスを一口口に運ぶと、舌で柔らかそうな唇をべろりと舐めた。
「でも。まだ完全に立ち直ったわけじゃないわ。少し、もう少し、癒しが必要ね」
言葉と裏腹に、真珠の声色はとても妖艶な響きを帯びていた。本当に彼女は、高校生かと見紛うほどに。
思わずごくり、と唾を飲み込む春に。真珠は妖しい笑みを浮かべながら持ち掛けた。
「ねえ春くん。特別手当、追加三万円で。私とセックスしないかしら」
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