第2話 二人の本命

 昨日はそこそこ楽しかった。だが今日はもっと楽しいだろう。

 昨日着ていたような写真映えする可愛らしい服ではなく、オンラインショップで購入した同人のデザイナーズTシャツに、ダメージ加工のなされた黒のジーンズ。黒い髪は細い三つ編みに結い上げ、カラフルなビーズのヘアアクセサリーで飾り立てる。

 最後に縁にラメの入ったサングラスをかけて、ニット帽と缶バッヂの付いたウェストポーチを付けて完成。

 とても巨大企業の社長令嬢には見えないが、真珠の好みはむしろ、此方の方である。

 使用人の目につかないように屋敷の裏口に移動し、柄物のスニーカーを履いて、外の世界へと踏み出す。

 唯一事情を知っている、ボディーガード兼付き人のさかきによって、今日は友人と出かけるのだと、身内の者には伝わっている。

 だが実際は、「恋人」に会いに行くのであり、それには屋敷の車を使うわけにはいかないのだ。

 最寄り駅まで歩いて、そこでタクシーに乗り込む。行先を淡々と告げると、運転手は車を発進させた。

 目的地までの間、真珠はウェストポーチからスマートフォンを取り出し、メッセージアプリのグループを開く。

 校内の女子たちの多くが加入するグループ。友情と流行と見栄と嫉妬が渦巻くチャット画面に、真珠は昨日撮影した写真を投下する。

 菊森春と一緒にパンケーキを食べたり、カラオケで歌ったりする、デート風景。恋人とのデートシーンは、女子たちの間ではある種のマウントとなるのだ。

 もっとも真珠は別に、その辺の女子に対して優越感を得たいが為に、春との写真を投下するのではない。

 こうすることで、「月代真珠の恋人は、菊森春である」と、周囲の人間に認識させることが重要なのだ。

 真珠の本当の恋人は、余り社会的地位の高い人種の人間ではなく、容姿も学歴もない。そんな男と交際しているとなれば、身内の人間は良い顔をしないだろう。

 だから菊森春という、同級生で顔と頭のよい、如何にも少女が恋をしそうな少年を「彼氏」として雇い、カモフラージュとして使っているのだ。

 写真に大量のイイネが付き始めたところで、タクシーが停車した。電子マネーで運賃を支払うと、真珠は礼を言って車の外に出た。

 目の前には、芸術的な外装の建物が建っており。近くの掲示板に「METAL IN THE ART展」というタイトルと共に、繊細なタッチで描かれたアニメキャラクターのイラストが印刷されたポスターが貼られている。

 今日は恋人の誘いで、この展覧会を見に来たのだ。恋人と一緒だということはもちろん、元々好きな作品だっただけあり、楽しみで仕方が無かった。

 待ち合わせ場所である、入り口付近の展示パネルのところまできて、スマートフォンで時刻を確認する。

 約束の時間まであと五分だが、周囲に恋人の姿はない。まあ、これはいつものことなので、すっかり慣れてしまった。

 圧倒的な大きさの展示パネルをのんびり眺めながら、真珠が待っていると。約束の時間から遅れること十分、遠くから誰かが走ってくる足音がした。

「真珠ちゃん、遅くなってごめん!」

 彼の姿は一目でわかる。精一杯頑張って選んだ、残念なセンスの服に。不健康そうな肥満体と、お世辞にもカッコいいとは言えないにきびと青髭の目立つ顔立ち。

 そこまで暑くもないのに、何故か滝のように汗をかきながら。彼は真珠の前で立ち止まると、顔に笑顔を浮かべた。

「遅れてごめん……ほんとに」

「ん……大丈夫、私も今来たところ」

「し、真珠ちゃん……」

「それより、香次こうじくん。早く中に入ろうよ、ね」

 真珠が軽く微笑んで、サングラス越しに見つめると。真珠の恋人である黄楊野香次つげのこうじは、一瞬だけ微かに笑みを浮かべてから、申し訳なさそうな顔で頷いた。

「そうだね、真珠ちゃん……じゃあ、ボクチケット買ってくるから」

「もう、そのくらい、私が出すのに」

「いいっていいって。デートで女の子に奢るのは、男の甲斐性ってやつだから」

 ポケットから、マジックテープの財布を取り出すと。香次はぼてぼてと、窓口の方に走っていく。

 別にたかが数千円程度、出したって気にしないのに。走っていく恋人の姿にため息を吐き出しながらも、真珠も後を追いかけていく。

 世間からは白い目で見られるだろうし、真珠もそれを分かっているから春を雇っているのだが。

 それでも真珠は黄楊香次のことを、一人の女として愛している。たとえ笑われようと、惚れてしまったものは仕方がないのだ。

 見た目が不細工でも、見栄っ張りの癖に頼りなくても。真珠の「恋人」は香次ただ一人なのだ。


「すみません、大人一枚と学生一枚」

 窓口の女性にそう告げて、マジックテープをバリバリ剥がし、財布から折り目の付いた一万円札を取り出す。今朝、母親からせびってきたばかりのものだ。

 本当はこんなチケット代なんかよりも、新作のゲームと凌辱同人に使いたいが、これも未来の為の先行投資だ、仕方がない。

 黄楊野香次は、所謂「ニート」と呼ばれる人種の人間である。

 五年前に三流大学を卒業し、一般企業に就職したまでは良かったものの。仕事が辛く耐えられず、入社三か月で辞職し、そのまま引きこもりとなった。

 引きこもっていた彼は、毎日ネットゲーム漬けの生活を送り。とあるオンラインMMORPGの中では、名の知れた上位ランカーまで上り詰めた。

 そんな彼の立ち上げたギルドに、最初に加入してきたのが、当時新人ながら頭角を現しつつあった魔法使いのキャラクターであり。

 露出度の高い衣装を身にまとった彼女と、ゲーム内チャットで交流しているうちに、何時しか親しくなり、リアルで会おうという流れになった。

 最初は焦ったものの、会話の流れから相手が女性であると読み、結局は下心に負けて、香次は魔法使いのプレイヤーと現実の世界で対面することにした。

 それが香次と、月代真珠の出会いであり。自分の右腕ともいえるゲームキャラクターの中の人が、あの月代グループの令嬢だと、一体誰が思うだろうか。

 香次と違い、真珠はゲーム世界とあまりギャップのない人物だった。容姿の美しさも、さばさばとした性格も、何も変わらない。

 高校生と言われたときは少し驚いたものの。今時年齢差なんて些細なことだと、魅力的な笑顔で言われれば、もはやどうでもよくなってしまった。

 そんな魅力的な真珠は、何故か香次に好意を示してくれ。初めて会った後も、また一緒に遊ばないかと言われて、流れる様に連絡先を交換した。

 どうしてニートで不細工な自分のことを、好いてくれるのかは分からないが。これは一生に一度のチャンスだと思っている。

 このまま真珠との交際を続けてゆき、あわよくば結婚までたどり着くことが出来れば、逆玉で一生遊んで暮らすことができるだろう。月代グループには、それだけの地位と権力がある。

 そのためには、真珠との今の関係を維持すること、彼女に嫌われないことが重要で。こうしてチケット代を支払うのも、そのための先行投資である。

 本当は金なんて、全て真珠が出せばいいと思う。向こうは金なんて、腐るほど持っているのだろうから。

 だがそんな本性を露わにすれば、さすがの真珠も自分のことを嫌いになるだろう。だから今は、耐えるしかない。

 見た目と立場はどうしようもなくとも、態度だけ紳士的でありさえすれば問題ないと、香次は信じて疑わなかった。

 親を怒鳴りつけ、せびって来た万札で買った二枚のチケットを持って。短い距離にもかかわらず息を切らしながら、香次は真珠の元に戻る。

「お待たせ、真珠ちゃん」

 入り口でアートパネルを見つめていた真珠は、香次に名前を呼ばれて振り向く。その横顔はやはり、自身に不釣り合いなほど美しい。

「早く入ろう。冷房が恋しい……」

 わざとらしく言って、チケットを渡すと。真珠はくすりと笑って、頷いた。

「これから回るっていうのに、大丈夫?」

 皮肉か、若さアピールなのか。お前が先にチケットを買っておいてくれれば、とっくに冷房の効いた館内に入っていたのに。

 心の中に湧き上がる、そんな思いをよそに。申し訳なさそうな笑みを浮かべ、香次は頭を掻いて見せた。

「大丈夫。じゃあ、行こうか真珠ちゃん―――」



 菊森春に休日はない。

 学校が休みの日は、真珠との「デート」に付き合うか、朝から晩までアルバイトをしているからだ。テスト期間にはさすがに勉強をするが、基本的に空き時間は、バイトのシフトで埋める様にしている。

 だからこの週末も、土曜日は真珠とのデートで一日中連れまわされ、日曜日は工事現場のアルバイトで朝から晩まで働いていた。

 そんなわけで、月曜日の朝。疲労が残る体を引きずって登校し、下駄箱を開けた瞬間。

 中に入っていた可愛らしい便箋に気付かず、危うくそのまま上履きを引っ張り出しそうになった。

「……あ」

 幸いにも上履きを出す直前で気が付き、素早く抜き取ってポケットにねじ込む。素知らぬ顔でくたびれたスニーカーを突っ込み、上履きを履いて歩き出す。

 教室のロッカーに鞄をぶち込むと、春はそのままトイレに直行し、個室に飛び込んで鍵をかけた。

 一息ついてから、やっとポケットからラブレターを取り出した。

「また、今時古風な……」

 ため息を吐き出しつつ、ラブレターを開封する。クラスメイトに見られたら絶対にからかわれるため、つい慎重になってしまったのだ。

 分かりやすい恋愛感情のシンボルは、からかいの格好の標的になる。断るのが確実ならば、猶更のことだ。

 春に恋をしている余裕はない。そんなことをしている暇があったら、アルバイトのシフトを増やしている。

 そもそも偽装とはいえ、春には真珠という彼女がいるのだ。なのにこんな、ラブレターなんて送っている時点で、魂胆が見え透いていると言っていいだろう。

 真珠との仲を妬んだ人間からの、嫌がらせのことも考えながら。可愛らしいデザインの封筒を、個室の中のごみ箱に捨てて、春は手紙に目を通した。

『菊森春くんへ

 どうしても伝えたいことがあるので、今日のお昼休みに、後者の裏にある花壇のところで待ってます。

 絶対来てくださいね、来てくれないと泣いちゃいます……。』

 ラメ入りのボールペンを使った丸っこい文章に、微かにめまいを感じつつ。もしこれが本物だった場合、無視したらそれはそれで、面倒なことになりそうだな、と思う。

 直接会って、断るしかないだろう。真珠のこともあるし、何とかうまく断ることが出来ればいいのだが。

 面倒ごとに微かな頭痛を感じるものの。ため息で誤魔化して、春は便箋をごみ箱に突っ込むと、トイレを出て教室に向かった。

 さあ今日も一日、真面目に授業を受けなければ。


 疲れはあったものの、授業が始まると自然と集中していたおかげで、あっという間に午前中が終わってしまった。

 桜が握ってくれた塩むすび二つをペットボトルに入れた水道水で流し込んで、春は席から立ち上がり教室を出た。

 本当は早めに食べ終わったら、放課後に入っているアルバイトの為に、体を休めるつもりだったが。朝のラブレターのせいで、告白の返事に行かなくてはならない。

 面倒だが仕方ない。ため息を吐き出し、春は廊下を歩いていく。昇降口で外履きに履き替えると、校舎を出て真っ直ぐ裏へと向かう。

 校舎の裏にはある程度の広さがある敷地があり、卒業生の制作したオブジェと、美化委員の管理する花壇がある。

 今の季節は初秋の花が植えられていて、ムスカリが綺麗な青い花を咲かせていた。もしも金と時間に余裕があれば、自宅の庭にもこんな花壇を作りたいものだ。

 だが春を呼び出した少女は、美しい花壇には目もくれず、手に持ったスマートフォンに夢中なようだった。黒い髪をショートボブにカットした彼女は、春がやって来た気配に顔を上げる。

 大きな二重の瞳と、ぷりっとした唇。流行のメイクが施された彼女の顔を見た春は、可愛い女の子だと思った。真珠の美貌には遠く及ばないものの、男が好きなポイントをしっかりと抑えている。

 何より胸が大きい。制服の上からでも分かる豊満なバストを、彼女は惜しむことなく強調している。

「あの……」

「よかった、来てくれたんですね」

 嬉しそうに微笑みながら、彼女はスマートフォンを仕舞った。微笑む顔もまた、男心を否応なくくすぐってくる。

 アルバイトに忙殺されて、恋愛なんて御免だと思ってはいるものの。春も所詮は思春期の少年であり。

 色々な意味で魅力的な女の子と対面すれば、人並みに緊張してしまう。

「君が、ラブレターの」

「はい。尾田摩季おだまきと言います。クラスは違いますが、春くんと同じ二年生です」

 笑顔がとても可愛らしい。美しさとしたたかさを持った真珠の笑顔とは、まるで違った魅力がある。

「ええと……気持ちは嬉しいんだけど。僕には月代真珠ちゃんっていう、彼女がいるから。君とは付き合えないんだ、ごめん」

 ややどぎまぎしながらも、春は予め考えていた言葉をすらすらと述べる。摩季は男を惹きつける魅力を持っているものの、断ることには変わりない。

 しかし摩季は、春の言葉を聞いたうえで、何もわかっていないかのように頷いた。

「知ってます。春くんが、月代さんとお付き合いしていること」

「え……」

「それでも、私は春くんが好きなんです。だから―――」

 突然摩季は両手を広げ、春に抱き着いてきた。柔らかな胸の感触が、ダイレクトに伝わってきて、心臓の鼓動が早まるのを感じる。

「二番目でも良いから、私を春くんの恋人にしてくださいっ」

「それ、それは」

 慣れない女性の感触と香りに、思考が上手くまとまらない。

 中学時代にモテたとはいえ、さすがに肉体関係まではない。接触があってもせいぜい軽いキス止まりの、淡いお付き合いで終わるのがせいぜいだった。

 だから今みたいに、女の魅力を持って誘惑されれば、春の男の部分に直接響いてくるのだ。

 そういえば真珠との契約条件に、お互い本命との交際は、ばれなければ問題なしとあったはずだ。暗記した契約内容を、ぼんやりと思い出してから、春は慌てて理性を引き戻す。

「い、いや。そもそも僕、あんまり余裕が無くて。放課後は基本的に、アルバイト三昧だし」

「それは……」

 春の言葉に、摩季は一瞬戸惑った様子を見せたものの。すぐに気を取り直して、誘惑モードに立ち返る。

「それでも問題ないです!春くんの余裕があるときに、一緒にいられるだけで十分ですから」

 ぐっと、摩季は春の体に胸を押し付ける。それだけで春はまた、何も考えられなくなってしまう。

 摩季の健気に見える言葉は、春の耳に甘く響いた。胸の感触とその言葉が、春の奥底にある根源ともいえる感情をくすぐる。

 なにより真珠との契約が、本命との交際可能だということが、春の背中を押して。

「……まあ、それなら」

 気が付いたら、肯定の言葉を口走っていた。もちろんそれを、摩季が見逃すわけがなく。

「本当ですか?嬉しいです、私、春くん……」

 春から体を離すと、手を取ってうっとりとした眼差しで、摩季は春を見つめる。

「これからよろしくお願いします、春くん」

「う、うん」

 断るはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったのかと、微かに思い始めても。気づいた時には、既に手遅れであり。

 熱っぽい視線を送る摩季に、春は曖昧に頷くことしかできなかった。

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