第34話 もうひとりの魔女
天咲家の館は、まるで敷地ごと宇宙に浮いているかのようだった。周囲には無数の星々が輝き、その光の中で庭園を彩る花々が静かに咲き誇っている。
槇志は石畳の上から、空色の部屋を見上げてみたが、テラスに人影は無い。逸る気持ちを抑えながら、先導する綾子の後ろを歩いていく。
「実を言うとね、わたしも一度くらいは高校を卒業したかったのよ」
綾子が背中を向けたままで話しかけてきた。槇志は少し足を速めてその隣に並ぶ。
「彩河、君は何者なんだ? ミゲルはもうひとりの魔女って言ってたけど、やっぱり空色と同じ魔法使いなのか」
「わたしは魔法なんて使えないわ」
「でも、現にここへの道を開いたじゃないか?」
「あれはこの館のほうが、わたしを迎え入れただけで、わたしが不思議な力を使ったわけじゃないの」
「じゃあ君は普通の人間なのか?」
「能力的にはね」
微妙な言いかたをすると、綾子はちょうど目の前に迫った館の扉を開いた。広々とした館内へと足を進めると、数人のメイドがふたりを出迎える。無言のまま恭しく頭を下げてくる彼女たちに、綾子は自分のカバンと、槇志が携えていた空色のカバンを預け、再び槇志を促すようにして歩きはじめた。
吹き抜けへと続く長い階段を上りながら、綾子は話を再開する。
「わたしは潜在的な
「たしか昔はこの館にはいなかったよな」
槇志が取り戻した和哉の記憶の中に綾子は存在しない。
「わたしもね、実は笠間くんと少しだけ似た立場なの」
「え?」
「とある世界で秘術の力を持った人がわたしに恋をしたの。その人はわたしが持っている潜在的な力を利用することで、世界を造り替えようとしたわ。永遠の時間をわたしと共有するために」
遠い眼差しで綾子は続けた。
「でも
「彩河……」
かつて夕陽の中で、綾子から聞かされた言葉を思い出す。
『決して帰ることのできない場所に帰りたくなる』
あれは比喩でもなんでもなかったのだ。
「その人はね、一度もわたしに『好きだ』なんて言ってくれなかった。わたしはその人のことを、そんな目で見たことはなかったけど、それでもちゃんと言って欲しかった。言ってくれれば……何かが変わったかもしれないのに」
綾子の横顔には終始微笑が浮かんでいたが、それはひどく寂しげなものだ。まるであの日の空色を思わせるかのような翳りのある表情が、彼女には似合いすぎている。それが槇志には嫌だった。
ヘタな慰めの言葉で綾子が喜ぶとは思えない。そもそも彼のコメントなど最初から欲してもいないだろう。それがわかっていても、槇志は言わずにはいられなかった。
「彩河、おまえはいい女だよ。もの凄くいい女だ。俺が保証する。だから、いつか誰かが絶対に言ってくれるさ。君のことが大好きだって」
綾子はしばし足を止めると、ぽかんとして槇志を見つめた。
「いや、その……ヘタななぐさめと思われるかもしれないけど」
慌てて視線を逸らすと、槇志は誤魔化すように後頭部をかいた。
「うん、思いっきりヘタななぐさめの言葉ね。安っぽい同情がまる出しだわ」
綾子は呆れたように言うと、くるりと背中を向けた。
(失敗したぁ……)
槇志は頭を抱えてうなだれた。
「――でもね笠間くん」
振り向くことなく、綾子はぽつりと言った。
「凄く嬉しかった」
意外な言葉に、槇志は顔を上げる。
「言ってくれてありがとう。この世には同情が気持ちいいことだってあるのよ」
再びこちらを向いた綾子の顔は、やわらかい笑顔に変わっていた。寂しげな笑みよりも、この心からの笑顔こそが、彼女には相応しい。
「でも、あなたが本当に口説かないといけない人はこの先にいるわ」
おどけたような言葉に反して、綾子の表情はやや硬く、真剣なものに変わっていた。
視線の先には、以前にも足を踏み入れた空色の部屋。
「いまの内に言っておくけど、あの娘はあの日以来、ずっと眠っているの」
綾子の言葉に、槇志は驚いて問い返した。
「眠ってるって、なんで?」
「時を超えて生きる魔法使いは、たまに長い眠りに就くことがあるの。それと似たような眠りではあるけど、それでも今回のは違う。たぶん、ショックでふて寝しているようなものなんだと思うわ」
「…………」
槇志の脳裏に最後に見た空色の悲しい笑顔が甦ってきた。ショックを受けたというのであれば、そのショックを与えたのは自分だ。
しかし、このまま眠ったままでは空色は悲しみに沈んだままということになる。なんとか目覚めさせて、あの泣き顔を心からの笑顔に変えてやらなければならない。そしてそれは間違いなく槇志の役目だった。
「わかった、俺に任せてくれ」。
決意とともに槇志は告げた。
「えーと……めずらしく前向きね」
綾子はきょとんとした顔を向けてくる。
「紫葉に詩弦、ついでに夏生と、さらには君が俺に勇気をくれたんだ」
「笠間くん……」
綾子は感心したように上目遣いで見つめてきた。
「ここで待っていてくれ」
それだけ言い残すと、槇志はひとりで空色の部屋へと続く扉を開けた。
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