第31話 それは青春の浪費だよ

 空色が綾子ともども姿を消してから、早三週間足らず。無断欠席をつづけるふたりを置き去りに、日々はゆっくりと過ぎていく。

 あの日以来、槇志は休むことなく学校に通っていた。

 星輪高校は空色との約束の場所だ。空色は約束を守った。学園生活のつづきを一緒に楽しむという、その言葉どおりに、この学校に現れたのだ。それを思い出した今、他ならぬ槇志がその約束を破るわけにはいかない。

 明日は姿を見せるのか、それとも二度と戻らぬのか、たとえどちらであっても槇志にできるのは待つことだけだ。

 しかし、できる限りの努力は惜しまない。彼は学校が終わると真っ直ぐに帰宅し、すぐにまた外出する。左右の手に、学校に置き去りになったままだった空色と綾子のカバンを提げ、彼女たちの館が建っていた場所へと足早に歩いていくのだ。

 そこには当然ながら何もない。草もまばらな空き地の上に、荒涼とした風が吹き抜けているだけだ。

 この日もやはり、それは同じだった。

 空き地の前にひとり立ちつくしながら、槇志は昨今のできごとを思い浮かべる。

 学校では夏生が相変わらずバカをやっては、綺理華に追いかけ回されており、〈喫茶そるな〉では、センスのないスーツを着込んだミゲルが度々現れては、月子とみなみを口説こうとして、お約束通りの失敗を繰り返している。

 そんなありきたりな日々の話題を、空色に聞かせてやりたかった。彼女はきっと笑うだろう。いつものように、あの明るい顔で。

 その笑顔を求めて、槇志はここに立っている。風雨の日も、風が凪いだ蒸し暑い日にも、欠かすことなく、ここに足を運んでいた。

 この季節、日暮れ時を過ぎて、夕陽が西の大地に消えても、空はまだ薄明るい。槇志はいつもより長い時間、ここに佇んでいた。


「空色、俺は何年でも待つさ。けど明日はもう終業式だぞ。あの日の続きをやり直すなら、外せないイベントじゃないのか」


 虚空に向かって話しかけるが、いつもと同じで返事はない。


「会いたいんだよ、おまえに……。会って伝えたいんだ、俺がどんなにおまえのことを想っているのか」


 寂しげな笑みを浮かべて槇志は告げた。


「俺は、おまえが好きなんだぜ」


 その瞬間、場の空気を台無しにする脳天気な声が響き渡った。


「ごめん笠間くん、わたし夏生くんにラブラブなの!」


 振り返るまでもなく、夏生の声だった。


「バカハチ、いっぺん死ねーっ!」


 これもいまさら聞き違えようのない綺理華の声だ。


「ぎょわあああっ!」


 奇声をあげながら夏生が空き缶のようにゴロゴロと槇志の横を転がっていく。人間がよくもまあ、あれだけきれいに回れるものだと感心させられる。

 つづけて綺理華が躍るようなステップで、槇志の前に回り込んできた。


「こんばんは、マキちゃん。今日は詩弦ちゃんをご招待ー!」


 綺理華が芝居がかったポーズで指し示す先から、詩弦が歩いてくる。すでに傷は完治しており、元どおりの元気な姿を見せていた。


「どうですか、そちらは?」

「いや」


 槇志が首を横に振ると、詩弦は残念そうに肩を落とした。


「そうですか……申し訳ありません。わたしたちも天使のネットワークを使って情報を集めてはいるんですが……」

「気にすんなって、おまえのせいじゃないよ。それに俺は決めたんだ。何年だって待つって。現世で足りないなら来世でも待つってな」


 励ますように軽い口調で告げた。すると、いつの間に復活したのか、夏生が嘆かわしそうな顔で口をはさんできた。


「それは青春の浪費だよ、槇志。それに、ただ待つなんて知性のカタコンベだしね」

「あんたがえらそうに言うな。誰のせいで、こんなややこしいことになったと思ってるのよ」


 綺理華に睨まれて、夏生は慌てて弁解する。


「だから責任を感じて、今日は色々な手を考えてきたんだよ。どこかで聞いているかも知れない、空色を呼び出すためにさ」

「へえ、意外だなぁ。おまえにも責任を感じるような機能が備わってたのか」


 槇志が言うと、夏生は心外といった顔になった。


「当たり前だろ。僕は君の親友なんだぞ。その彼女を寝取ってしまった以上、罪の意識を感じずにはいられないさ」

「寝取ってないでしょ!」


 綺理華の容赦ない鉄拳が、即座に夏生を撃沈する。

 が、夏生は何事もなかったかのように、バネのように身を起こした。


「ダメじゃないか紫葉。それは空色の役目なんだから」

「は?」


 怪訝な顔をする綺理華。


「ほら、誰だって身に覚えのないこと――それも股間に関わることを言われたら黙っていられないもんだろ?」

「沽券です! こ・け・ん!」


 大慌てで詩弦がツッコミを入れる。


「どうでもいいけど、頑丈だな夏生」


 槇志は本気で感心していた。いつもいつもあれだけ綺理華に殴られていて、よく死なないものだ。


「そりゃあ紫葉の攻撃には慣れてるからね。あれだよ、すでに見切ってるってやつさ。だから常に紙一重でくらってるんだよ」

「避けろよ……見切ってるなら」


 そもそも納得のいく説明ではない。とりあえず〝夏生だから〟のひと言ですませ、考えることを放棄しようとしていた槇志に、詩弦がそっと耳打ちしてきた。


「綺理華さんに相手を傷つける意志がないからですよ。彼女は物理法則を覆す存在ですから、どんなに思いきり殴っても、痛みを感じさせこそすれ、怪我はさせないんです」

「……なるほど」


 ようやく謎が氷解した。どうやらこの現象は夏生ではなく、規格外少女綺理華が引き起こしていたらしい。

 いっぽう話を聞いていなかった夏生は、さっきのノリのまま喋りつづけていた。


「作戦その一は紫葉のせいで失敗しちゃったから、その二といこうか」

「まあ話の種につき合ってはやるけどな」


 とりあえず相づちを打つ槇志に、夏生は平然と、とんでもないことを言ってきた。


「じゃあ槇志、ここで円城さんとキスしてくれ。できれば濃厚なやつを」

「へ?」

「はっ?」


 槇志と詩弦はそれぞれに疑問の声をあげて顔を見合わせる。


「だからさ、撥ねてダメなら轢いてみろって言うだろ?」

「言わないわよ」


 綺理華のツッコミは無視して、夏生は得意気に言葉をつづける。


「つまり、愛を語っても出てこないなら、いっそ浮気するのさ。そしたら嫉妬に狂った彼女が出てきて暴れ回るかもしれないだろ」

「んなことして二度と出てこなくなったらどうすんだ!?」


 槇志は思わず怒鳴りつけていた。


「だいたい、わたしはごめんです。笠間くんとはもう完全に終わってるんですから!」


 詩弦の言葉に槇志は深く傷ついた。思わずその場でよろめいてしまう。男心も複雑なものだ。綺理華はそんな彼の両肩に手を添えると出し抜けに言った。


「じゃあ、わたしとしよっか」

「なっ!?」


 目を剥く詩弦。


「正気か、紫葉!?」


 焦った顔で槇志。あっけらかんと綺理華は答える。


「だって、けっこう効果的な気がするよ、この作戦は」

「そんなことはわたしが許しません!」


 詩弦は背中から炎を噴き上げながら叫んだ。女心は言うまでもなく複雑だ。


「とにかく却下だ!」


 槇志は赤面しつつ、綺理華の手をふりほどこうとした。


「ええーっ」


 綺理華は逃がすまいと、拗ねたような顔をしながら抱きついてくる。その愛くるしさに、思わず引き込まれそうになりながらも、槇志は意思の力を総動員して綺理華の顔を押しのけた。


「そんな妖艶な顔をしてみせても、ダメなものはダメだー!」


 言葉とは裏腹に半分くらっときそうになっていた。さすがは空色の対極に位置する美少女といったところだろう。


「やっぱ第二案も没か。フッ……ここまでは予定どおりだね」


 夏生に気落ちした様子は無い。


「つーか、没になるような予定を組むなよ」


 さすがに槇志はだんだん疲れてきていた。しかし夏生はまったく気にすることなく、マイペースに次の作戦案を発表する。


「パンパカパーン、第三の作戦ーっ!」


 一同がしらけた顔で注目した。


「愛を歌にして届けまーす!」


 夏生の底抜けに明るい声が、広々とした空き地に寒々と響き渡る。


「さて、今日はそろそろ帰ろうか」


 槇志の言葉に、綺理華と詩弦が揃って頷く。それを見て夏生は信じられないといった顔で叫んだ。


「――て、なんでさ!? いいアイデアでしょ、これは!?」

「どこがだよ」

「だって歌だよ! 歌エネルギーだよ! 山だって動くし、戦争だって終わるし、奇跡だって起きちゃうよ!」

「そりゃ巨大戦艦とか可変戦闘機が活躍するどこぞのアニメだ! 現実には山も動かねえし、戦争も終わらねえし、奇跡なんて起きねえよ」


 槇志の言葉に、綺理華と詩弦が再び揃って頷く。


「寒いな、みんなの心は、まるで冷やしすぎて凍りついてしまったバナナのようだ。そのまま釘も打てそうなぐらいだよ。まさか歌が持つ神秘の力を信じられないなんて」


 大仰に嘆いた夏生は、しばしうつむいたものの、即座に拳を握りしめて顔を上げた。そのまま大きな声で宣言する。


「しかし僕はひとりでも歌うさ! 歌のパワーを僕の美声で証明してやるんだ!」


 どうやら心底本気のようだ。

 しかたなく槇志たちが見守っていると、夏生は素っ頓狂な声で歌い始めた。


「空色ラブラブ! 好き好き大好き! 出てきてよんよん!」


 当然のようにラップ調だった。しかもいま考えたかのようなデタラメな歌詞で、音程もメチャクチャだ。ラップが好きな人だって、こればっかりは認められないだろう。はっきり言って、槇志の記憶にあるどんな歌よりも聞き苦しかった。


「うにゃあぁぁっ、殺人音波がぁぁぁっ!」


 綺理華が両耳を押さえて叫ぶ。槇志と詩弦もそれぞれに頭を抱えていた。

 ただひとり夏生だけが自分に酔ったように歌い――いや、わめきつづけている。

 いい加減蹴倒そうと、槇志が足を上げかけたその瞬間、ふいに空を切って何かが飛んできた。


「――おぼん?」


 槇志が連想したのはまさにそれだったが、事実としてそれは金属製のおぼん=トレイだった。まるでブーメランのように飛来したそれは、見事に夏生の頭を直撃して快音を響かせた。


「ばひゃっ!」


 奇声を発して倒れる夏生。そして――


「ラップは大嫌いって言ったでしょうがっ!」


 ひさしぶりに耳にする少女の声が、夜風を引き裂くように響き渡った。

 槇志が驚いて声の方へと視線を向けると、すぐそこにメイド姿をした少女が憤慨しながら立っている。


「彩河!」


 間違いなく、空色の親友にして同居人――彩河綾子だった。

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