第30話 取り戻した約束

 目覚めれば見慣れた天井が見えていた。居候先の自室の天井だ。

 槇志が床に布かれた布団の上からゆっくりと身を起こすと、傍らで顔を覗き込んでいた綺理華がほっとしたように笑みを浮かべた。


「よかった、やっと起きてくれた」

「だから軽い熱中症だと言ったではないか」


 意外な場所で意外な声を聞いた気がして顔を向けると、なぜか部屋の片隅でミゲルが正座している。


「黙んなさい、ホラ吹き天使!」


 綺理華にぎろっと睨まれ、ミゲルは慌てて姿勢を正した。どうやら新しい上下関係が生まれているようだ。


「マキちゃん、事情はみんな、このオヤジから聞いたわ」

「いや、わたしはこう見えても、肉体年齢二十歳、鉄人ミゲルと呼ばれているのだが……」


 ミゲルが不服そうにつぶやいたが、もちろん綺理華は取り合わない。


「とにかく、みんなコイツの悪だくみだったんだよ。マキちゃんの悪夢が前世だと知っていながら、世界結晶を空ちゃんから取りあげるために利用したの」


 結局はそういうことだったらしい。

 かねてから天使連盟は、自分たちが独自に管理できる世界を欲しており、そのために常々世界結晶を狙っていたのだ。以前学校の教室で詩弦が空色の荷物を漁ったのも、ミゲルの命令によって、世界結晶を探していたかららしい。

 その詩弦は空色から受けたダメージがまだ回復しておらず、槇志のベッドの上で眠りつづけている。

 ミゲルの話によれば詩弦は前世で死を迎えた直後、その優れた資質を炎の女神に見出され、自らの意志で天使になる道を選んだのだという。

 空色の予定では彼女も人間として、ここに生まれてくるはずだったが、天使になってしまったために、空色は詩弦の魂を見つけられなかったのだろう。

 その後ろめたさもあって、空色は槇志の恋人になることを拒んだのではないだろうか。


「ねえ、マキちゃん。この筋肉天使どうしようか?」


 綺理華はそうとうに頭に血が上っているようだったが、槇志は苦笑して首を横に振った。


「もういいよ」

「え……?」

「騙されたことには腹が立つけど、空色を傷つけたのはミゲルじゃない、この俺なんだ」


 この槇志の言葉に衝撃を受けたのは、他ならぬミゲル本人だった。


「な、なんと――!? 私はこんな人のよい少年を騙していたのか! すまん! 私があくだったぁぁぁっ!」


 相変わらず大きすぎる声で喋り、仰々しく土下座までしてくる。


「ふんっ、いまさら謝っても遅いさ。君らのせいで槇志の心はぼろぼろだ!」


 自分のことを棚に上げてえらそうに言ったのは夏生だったが、その姿は床の上にはない。不審に思った槇志が上を向くと、夏生はロープで蓑虫のようにぐるぐる巻きにされて、天井から吊り下げられていた。間違いなく綺理華の仕業だろう。

 槇志はそれを見て軽く肩をすくめたあと、綺理華たち全員に向き直った。


「俺、やっと思い出せたんだ」

「何を?」


 唐突な言葉に綺理華が首を傾げる。


「前世の記憶ってやつだよ」


 槇志はベッドで眠りつづける昔の恋人を懐かしげに見つめた。口調や髪の色は変わっているが、おそらく中身は変わっていない。相変わらずお節介で、やさしい少女だ。


「こいつがさっき心の中に話しかけてきたんだ。おかげでやっと全部思い出すことができた。俺はあの日、空色と大切な約束を交わしたんだ」


 槇志は静かに告げると、いましがた夢に見たばかりの、懐かしい時代の記憶について語りはじめた。

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