第27話 本当の悪夢

 夏の陽射しが燦々と照りつける中を、槇志は懸命に走りつづける。山間には先ほどまでの静寂が嘘だったかのように、いつの間にかセミの声がけたたましく鳴り響いていた。


(間に合ってくれ!)


 胸中で祈りのように繰り返しながら、ただひたすら手足を動かす。山を下って街中へ入ると、立ち込める熱気はさらに激しさを増したが、それを気にする余裕はない。

 最短距離を選んで茜川に向かうと、普段はあまり通ることのない大橋を渡って、一気に山の手を目指した。

 見慣れた景色が見えてくる頃には、とっくに体力の限界を超え、肺がしきりに酸素不足を訴えかけていたが、それでも槇志は鉛のように重たくなった手足を無理やり動かして、坂道を駆け上っていく。

 しかし、緑の並木が続く景色をひたすら前へと進みながら、槇志は徐々に違和感を感じはじめていた。坂の上に当然見えてくるはずの厳めしい門も、背の高い塀も、いつまで経っても姿を現さない。


(まさか……)


 ようやく坂の上へと辿り着いたとき、悪い予感は現実のものとなっていた。昨日まで確かにそこに存在していたはずの館は、周囲を囲んでいた長い塀や、広々とした庭園もろとも姿を消し去っていた。あとに残されたのは、草一本生えていない広大な空き地だけだ。


「空色……」


 つぶやきをこぼして、槇志は力尽きたように膝をついた。

 かつて綾子が言ったように、空色は家ごと逃げてしまったのだ。どんなに懸命に走りつづけても、二度と追いつくことのない遠い場所に。


「――これこそ悪夢だ」


 槇志は自嘲の笑みを浮かべると、大地の上に突っ伏した。

 体力も気力もとっくに底をつき、ゆっくりと意識が闇に落ちていく中で、懐かしい誰かの声が、どこか遠い時代から彼を呼んでいた。


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