第23話 激突! 戦闘天使Ⅰ

 空色は広々とした工事現場を悠然と歩いていた。途中、部外者の接近を探知するための、目に見えない結界が幾重にも張られていたが、空色はあえて相手にわかるように、それを壊しながら進んでいる。その背後に付き従うように歩きながら、綾子は先ほどからすでに何度目かになるため息を吐いていた。


(そうとう怒ってるわね、この様子だと)


 背中からオーラが立ち上ったりするのが見えるわけではないのだが、武術家のようにぴんと伸ばされた背筋は、空色が戦闘態勢にあることの証である。殺気にも似たぴりぴりとした空気が山中全域を覆い尽くしており、周囲の林からは虫の声ひとつ聞こえてこなくなっている。


「空色、殺しちゃダメよ」


 念のために綾子が言うと、空色は振り返ることなく答えてくる。


「ええ、背後関係を聞き出すまでは、とどめは刺さないわ」

(ダメだこりゃ……)


 綾子は頭を抱えたくなった。

 本来、空色は決して好戦的な性格ではない。彼女の姉には、歴戦の戦闘天使マーシャルエンジェルさえ震え上がらせるほどの武勇の持ち主も居るが、空色はそれとは対照的に可能な限り戦いを避ける生き方をしている。

 それは戦いが苦手だからでも、勇気がないからでもない。戦いそのものは決して嫌いではないと、他ならぬ空色自身が公言している。それでも彼女が戦いを避けるのは〝人を傷つけるのは悪いことだ〟という、当たり前の信念を持っているからだ。

 しかし、おそらく彼女はいま、その当たり前のことを忘れているだろう。

 秘かに裏手から回り込んでいる綺理華が、手はずどおりに人質を取り返してしまえば、空色は当然ながら犯人たちに制裁を加えるはずだ。怒りにまかせて魔力を振るう彼女を止められるかどうか、綾子には自信がなかった。


(ていうか、絶対無理)


 早くもあきらめの心境だ。

 超常の力を自在に操る空色と違って、綾子にはなんの力もない。できることと言えば、せいぜい声を張り上げて制止することぐらいだが、それで空色が止まってくれるとは思えなかった。


「ねえ、空色。犯人は何者なのかしら?」


 綾子は少しでも冷静さを取り戻させようと、空色に頭を使わせることにした。


「天使よ。他にいないでしょ」


 歩調をゆるめることなく即答してくる。これでは意味がないので、綾子はさらに質問を重ねた。


「どうしてそう思うの?」

「相手はこの世に世界結晶なんてものが存在し、それをわたしが持ってることを知っているわ。そういう輩ならば当然わたしが並ならぬ力を持つことも知っているはず。その上でケンカを売ってくるようなバカは、そうそういるものじゃないでしょ」

「でも人質を取ってるから大丈夫だって思ってるのかも知れないわよ」

「そんな連中なら、手紙でわざわざ人づてに呼び出すなんて、回りくどいまねはしないわよ。それもこんな人けの無い、暴れやすい場所を指定してね」


 言い終えると同時に空色は足を止めた。

 やや離れた場所に薄汚れたプレハブが建っている。窓はすべて閉ざされ、カーテンによって中の様子は完全に隠されていた。その屋根の上に人影がひとつ。

 空色の言葉どおり、それはどこからどう見ても戦闘天使マーシャルエンジェルだった。

 流線型で構成された、白地に赤の機械鎧マシンメイルを身にまとい、悠然とこちらを見おろしている。顔の上半分はヘッドギアと一体になった色つきのバイザーに隠されているが、全体から受ける印象は若く、綾子たちとそう変わらないようにも見えた。もっとも天使の外見年齢は、魔法使いの外見年齢同様アテにはならない。


「ね?」


 言ったとおりでしょ、といった感じの空色。


「ええ」


 実のところ綾子も同じ意見だったので驚きはない。

 天使はプレハブの屋根から跳躍すると、背中から炎の翼を生み出して軽やかに宙を舞った。熱風を発する翼を羽ばたかせ、ふわりと大地に着地する。


「炎天使……」


 綾子はやや緊張気味につぶやいた。炎を司る天使は、天使の中でも、とくに勇猛な者が多いことで知られている。


「思ったよりも、お早いご登場でしたね」


 天使の声を聞いて、空色が訝しげな顔になる。


「どこかで聞いた声ね」


 言われた途端、炎天使は一瞬口元を引きつらせた。


「まあどうでもいいわね、そんなことは」


 まったくこだわることなく言うと、空色はすぐに本題へと移った。


「さあ、いますぐ笠間くんを返してちょうだい」

「え?」


 炎天使は虚を突かれたようだ。


「いまさらとぼけるつもり。世界結晶はちゃんと用意してきたわ。それが欲しいっていうのなら、そちらもちゃんと笠間くんを連れてきなさいよ。言っておくけど怪我なんてさせてたらひどいからね」


 空色は肩を怒らせて気色ばんでいる。


「いえ、ち、ちょっと待って下さい。何か話がおかしいっていうか……」


 炎天使はなんだか混乱しているようだ。


「八条くんなんでしょ、人質は」


 その可能性を失念しているらしい空色に代わって綾子が訊いた。


「ええ、そう、そうなんですよ」


 炎天使がなぜか嬉しそうに言った。途端に空色は拍子抜けした顔になる。


「なんだ、そういうことか」


 ほっとしたようなその声に、綾子は一瞬気を緩めかけた。この分ではそうひどい展開にはならないだろうと。しかし――。


「笠間くんが無事なら、遠慮する必要なんてないわね」


 空色は軽い口調で言うと、次の瞬間、容赦なく炎天使に魔力を叩きつけた。


「ちょっ――」


 炎天使があげかけた抗議の声は、一瞬にして膨れあがった魔力の爆発によってかき消されてしまった。

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