第21話 大問題なのか、どうでもいいのか

 ホームルーム前の教室で、空色は机の上に突っ伏していた。

 夏生との待ち合わせをすっぽかしたのはもちろんわざとだ。自分たちの愚かなお芝居が、槇志を苦しめ続けていたことを知りつつ、それを隠していた夏生には心底腹が立つ。

 だが、すべてを夏生のせいにすることはできない。この事態を招いたのは、そもそも自分なのだ。後悔と自己嫌悪で空色は呻いた。


「うぅぅ……お豆腐の角に頭をぶつけて死にたい」

「死ねないでしょ、それじゃ」


 隣の席から綾子の冷たい声。

 本来そこは槇志の席だ。この春から何度か席替えは行われているが、ふたりの席はまったく変わっていない。普通なら誰かが違和感を感じて然るべきところなのだが、空色は世界結晶の力を用いて、人々がそれについて考えることを物理法則レベルで禁止していた。

 つまり、この世界においては、誰もそれに気づかないのが、木からリンゴが落ちることと同じくらい当たり前のことなのだ。

 ただし、このクラスには空色と綾子の他に、ひとりだけ例外が存在している。

 規格外少女、紫葉綺理華だ。

 もっとも空色は彼女が何者であるのか、当の本人以上に把握しているので、とくに驚きはしなかった。


「遅いね、笠間くん」


 綾子が空色の頭越しに窓の外へと視線を向けている。突っ伏している空色に、その姿は見えていないのだが、それくらいのことは気配でわかる。その気になれば見えないところも見えるのが魔法使いというものだが、この場合は超常の力を使うまでもない。

 教室は一階だが、ちょうどグラウンドが見渡せる位置にあり、登校してくる生徒の姿が確認できた。そこを沈んだ表情で歩いてくる槇志の姿を想像して、空色は憂鬱に呟く。


「今日は学校をサボってくれていいわ。合わせる顔がないもの」

「そしてまる一日、彼は悶々とするわけね。今頃空色は八条くんとイチャイチャしてるんだろうなーって」


 綾子はことさら嫌味っぽく言った。空色が嘘を吐いていたことを、まだ根に持っているようだ。ますます自己嫌悪が深まり、空色は呻き声を発した。


「うーっ」

「どうでもいいけど、その格好やめなさいよ。髪の毛のお化けみたいよ」

「ほっといて」


 空色は拗ねた声を発した。ずっと同じ姿勢で固まっていることに、いい加減疲れていたが、やや意固地になってそれを続ける。そうこうしているうちに誰かの足音が近づいてくることに気づき、空色は慌てて眠ったふりをした。


「すー、すー」

「寝息がわざとらしいわよ」


 綾子がよけいなことを言ってくる。もっとも近づいてきたのは槇志ではなかったので、タヌキ寝入りがバレたところで問題はなかった。


「天咲さん、寝てるの?」


 副委員の山田の声だ。あまり話をしたことはないが、クラスメイト全員のプロフィールは頭に入れてある。相手の顔を思い浮かべながら、空色は山田のプロフィールをなんとなく読みあげた。


「物静かで真面目な男子生徒だが、能力的には非凡なところがあり、体育祭等での活躍が期待される」

「え?」


 山田が軽い驚きの声を発する。


「気にしないで、笠間くんが恋しくて発狂してるだけだから」


 綾子の言葉に、さすがに空色は跳ね起きた。


「な、なんてこと言うのよ!? わ、わたしは笠間くんのことなんて、なんとも思って……なくなんてないわよ!」


 真っ赤になって抗議するが、これ以上嘘を吐くことに抵抗を感じたせいで、台詞が途中で変になっていた。

 おかげで周囲のクラスメイトたちが、興味深げな視線を向けてきている。空色と夏生の交際は周知の事実なのだから当然ではあった。

 動揺する空色とは対照的に、綾子は眉ひとつ動かすことなく告げてくる。


「空色、山田くんが困ってるわよ」

「え?」


 とりあえず視線を移すと、山田は白い封筒を手にしたまま突っ立っている。


「天咲さん、これ」

「わたしに?」


 空色は訝しげな顔で受け取った。山田が自分にラブレターを、とは考えなかった。彼はそういうキャラクターではないし、もしラブレターを出す気になったとしても、こんなに堂々と渡しに来たりはしないだろう。勇気の有無ではなく、相手の立場を考慮する性格だからだ。

 実際、それはどう見てもラブレターではなかった。ご丁寧に〝脅迫状〟と書き記されている。それに気づいた空色は愕然とした顔で言った。


「脅迫状だわ!」

「そのまんまね」


 やはり無感動な綾子。


「や、山田くん、わたしを脅迫して、どうするつもり!?」


 悲鳴じみた声をあげる空色の横で、綾子は盛大に机に突っ伏した。


「なにバカなこと言ってるのよ! こんなに堂々と、当事者が脅迫状を持ってくるわけないでしょ!」


 綾子は顔を起こすなり、怒ったように言って、空色の手から封筒をひったくった。そのまま封を切ると、中から便箋を取り出して遠慮なく目を通す。


「これは――」


 綾子は表情を強張らせた。


「大問題なのか、どうでもいいのか、判断が難しいわ」


 深刻な顔で呟く彼女の背後から、ちょうどタイミング良く登校してきた綺理華が歩み寄ってくる。今日も寝坊したのか、髪があちらこちらへとはね回っていた。


「何が問題なわけ?」


 あくび混じりに問いかける綺理華に、綾子は手っ取り早く便箋を差し出した。文面は短く、ざっと目を通すなり、綺理華は眉根をよせた。


「これって、どっちのことだろ?」

「うーん……わかりにくいわねえ」


 ふたりして首を傾げている。なんだか除け者にされているような気分になりながら、空色はおずおずと綾子に言った。


「あのぅ……わたしにも見せて欲しいんだけど」

「ダメ。あなたがキレたら、えらいことになるもの。このことは家に帰ってからメイドたちと検討することにするわ」


 綾子の言葉を聞いて山田が感心したように呟く。


「へえ、天咲さんて怒るとけっこう怖いのか」

「けっこうって言うか、ヘタをすれば世界が滅ぶわ」


 ふたりのやりとりを空色は聞いていなかった。こっそりと魔法を使って、こちらからは死角になっている便箋の文字を読んでいたからだ。

 そこには次の様な文面が記されていた。


〝おまえの愛する男を預かった。男の命が惜しければ世界結晶を持って、日暮れまでに図に記された場所まで来い〟


 そして文の脇には、簡単な地図が描かれており、その一角に赤い印が付けてある。

 空色は表情を強張らせて立ち上がると、いつになくドスの利いた声を発した。


「ゆるせない……」


 その様子に気づいた綾子が非難の声をあげる。


「空色、勝手に読んだわね!」


 しかし、いまの空色は、綾子の怒りも、山田の訝しげな表情も、クラスメイトの好奇の視線も気にならなかった。


「よりによって、くんを連れ去るなんて!」

「いや、ハチかも知れないんだけど?」


 綺理華が冷静に指摘した。


「…………」


 空色は少しだけ素に戻って、考えをめぐらせた。


「それでも、はっきりと笠間くんじゃないとわからない限り、助けに行くしかないわ」


 あっさりと結論を出すと、空色は教室の出口へと向かった。


「よくわからないけど、揉め事なら手を貸そうか?」


 背後で山田が綾子に声をかけるのが聞こえてくる。同時に耳を傾けていた数人の生徒が立ち上がりかけたようだが、綾子の答えはわかり切っていた。こんなことに一般人を巻き込めるはずもない。


「ううん、平気よ。たぶん知り合いのタチの悪いイタズラだから」


 その一言で、拍子抜けしたような空気が生まれる。


「ありがとうみんな。また何かあったら頼むわね」


 律儀につけ足すと、綾子は綺理華とふたり、空色の後を追って駆けだした。

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