第19話 世界結晶

 星輪高校の北東には低い山の連なりがある。その一角に木々の無い広々とした空間が存在していた。まるで特撮番組の撮影にでも使われそうな灰色の荒野だ。もとは工事用の土取場だったが、現在は作業は行われておらず、薄汚れたプレハブだけを残して、工事用の機材などはすべて撤去されている。

 そのプレハブの室内で槇志が目を覚ましたとき、すでに窓から覗く空は茜色の色彩を帯びていた。

 室内には長テーブルと、それを取り巻くように置かれたパイプイス。後は無数のガラクタが壁の一角にうずたかく積み上げられている。

 どうやらここが大男の言った秘密基地のようだ。

 視線をゆっくり這わせると、見覚えのある人物がふたり視界に入ってくる。

 ひとりは先ほどの大男。もうひとりはやはり円城詩弦だった。大男は相変わらず奇妙なプロテクターを身に着けているが、詩弦は赤と黒を基調とした普段着姿で、ごく普通の出で立ちだ。それでもこうして一緒にいる以上、やはりふたりは仲間なのだろう。

 ここにいるのが大男だけなら、こっそりと脱出を試みるところだが、詩弦が一緒ならば危険はないだろう。そう判断して槇志は堂々と身を起こした。


「起きたか少年!」


 途端に大男がバカでかい声を張りあげた。ビリビリと空気まで震えそうな、そんな大音量だ。実際に窓がカタカタと揺れたところを見ると錯覚ではないのかもしれない。


「案ずるな、少年! 世界は我々天使が必ずや守り抜いてみせる!」


 大男はまるでこちらの事情をすべて理解しているかのように言った。


「おい、円城……」


 槇志が詩弦に状況説明を求めようとすると、大男は三度、声を轟かせてそれを遮る。


「みなまで言うな! 汝の事情はすでに、汝の頭脳から直接聞いた! おかげで魔女がこれから引き起こす大事件も、同士アストレイア・ゼロ・セブンが組織を批判するかのごとき発言をしたことも、汝の従姉殿がたいそう美人であることも、よーくわかった!」


 いちいちエクスクラメーションマークを必要とするような大声に、鼓膜がビリビリと震える。おかげで何を言っているのか、危うく把握し損ねそうになるほどだ。それでも、なんとか聞き取った槇志は、その言葉の意味に気づいて驚きの声をあげた。


「ち、ちょっと待て、頭脳から直接ってのは、どういう意味だ!?」


 槇志は大男本人に問いかける愚を犯すことなく、気の毒そうにこちらを見つめている詩弦に向かって問いかけた。


「言葉のとおりです。あなたの記憶を彼が魔法で勝手に覗き見てしまったんですよ。わたしの知らない間に……」

「んな無茶苦茶な。俺の人権はどうなるんだよ!?」


 勝手に頭の中を覗かれるなど、人間にとっては耐え難い精神的苦痛だ。


「心配するな少年! 私は口が硬い! 汝がメイド姿の彩河綾子に萌え萌えだったことなど、口が裂けても口外せんと誓おう!」


 その言葉を聞いて、こちらを見つめる詩弦の視線が途端に冷たいものに変わった。


「メイドだの巫女さんだのって、男の子って本当に単純ですね」

「いきなりばらしてるじゃねえかぁぁぁっ!」


 槇志は絶叫とともに大男を睨みつける。


「むぅ、私としたことが……。深く反省して、以後は同じような失敗を繰り返さぬよう善処するとしよう。これにて一件落着!」

「加害者が事件を締めるな!」


 再度怒鳴りつけても、大男はそれを平然と無視して、勝手に話題を変えた。


「では、これよりラピス・ラズリの魔の手から世界を救うための作戦会議をはじめる」

「その前に自己紹介くらいしろ」


 憮然として槇志が言うと、大男もこれには反応した。


「むぅ――それもそうだな」


 軽く咳払いをして、朗々と名乗りを上げてくる。


「我がコードネームはラファーガ・ゼロ・フォー。そして名は田中彼方。もちろん偽名だ。しっかりと覚えておきたまえ!」

「偽名を覚えさせてどうすんだ」


 槇志は声を荒げた。どうにも疲れる相手だ。


「いや、しかし正義の味方は本名を明かさぬのがセオリーだし」


 その返答にうんざりとする槇志。同じくうんざりとしたように詩弦が口を挟んだ。


「わけのわからないこと言ってないで、ちゃんと名乗って下さい、隊長」

「むぅぅ……まあ良い。少年も同士と考えれば名を明かしてもよかろう。私はミゲル・シュタルダー。本名だ、覚えておきたまえ」

「ああ」


 不機嫌にうなずく槇志。彼自身は一度も名乗ってはいないが、頭の中を覗かれているのなら、その必要もないだろう。


「さて、会議をはじめるぞ」


 ミゲルが議長よろしく話しはじめる。槇志は詩弦に促されて彼女の隣に座った。


「ラピス・ラズリによって世界が滅ぼされるという少年の夢は、分析の結果、やはり予知夢であることが判明した」

「マジか?」


 槇志は横を向いて詩弦に問いかける。だが彼女よりも先にミゲルが答えてきた。


「うむ、正確な日時まではわからぬが、この夏の間にあれが起きることは間違いない」

「ち、ちょっと待てよ。なんで天咲がそんなことをするっていうんだ。あいつが善人だっていうのは、円城だって保証してくれたじゃねえか」


 槇志の言葉に、詩弦は困ったように視線を逸らした。


「ええ、そのはずだったんですが……」

「いかに強大な力を持つとはいえ、ラピス・ラズリは天使ではなく人間だ。心のバランスが崩れれば、本来あり得ぬ行動に出たとて、なんら不思議はない」


 ミゲルはもっともらしく言ったが、それでも槇志には納得できない。


「天咲はああ見えて、もう何百年も生きてる大人なんだ。何があったにせよ、そう簡単に心変わりなんてするはずないだろ」

「ではあの夢はどう説明する?」


 ミゲルは厳めしい顔つきで問いかけてくるが、槇志は視線を外すことなく反論する。


「俺は天咲やあんたらと違って、スプーンひとつ曲げられないただの人間だ。勘だってそんなに当たるほうじゃない。そんな人間が未来を予知するなんてことが、そもそも不自然だろ」

「そんなことは関係ない。なぜなら危険を予知したのはお主ではなく、世界そのものだからだ」

「世界そのもの? どういう意味だよ」

「わからぬか少年。あれはお主の能力によるものではなく、世界がお主に助けを求めるために見せていたものだと言っておるのだ」

「世界が俺に……?」


 困惑する槇志に、今度は詩弦が解説してくる。


「神王樹がそうであるように、個々の世界も一種の霊的存在で、意志に近いものを備えているんです。ですから希にあるんですよ、そういうことが」

「でも、なんで俺なんだよ」

「それは考えるまでもないでしょう。彼女が世界を滅ぼすそのときに、その場に居合わせるのは、あなただけなのですから」


 詩弦の説明は理に適ってはいたが、それでも槇志は納得できない。


「けど最近はあの夢は見てないんだ。それは危険性が潰えたことを証明してるんじゃないのか?」


 槇志の意見に、しかしミゲルは首を横に振る。


「いや、夢を見なくなったのは、その時期が近づきすぎたためか、あるいはお主がラピス・ラズリに心を許しすぎたせいだろう」

「…………」


 槇志は反論の言葉を見いだせなかった。たしかに彼が悪夢を見なくなったのは、空色と仲良くなって以来なのだ。

 うなだれた槇志に向かって、ミゲルはなだめるようにつづける。


「まあ聞け少年よ。我々とて世界を救うためだからといって、なにもラピス・ラズリを抹殺しようなどとは言わん。ようはあやつが世界を壊せぬようにしてしまえばいいだけなのだ」

「どうやってだよ?」


 たとえ抹殺とはいかないまでも、それが空色を傷つけるような手段であれば協力する気にはなれない。しかし槇志が向ける疑念の目にも動じることなく、ミゲルは平然と説明をつづけた。


「いかに強大な魔力を有するラピス・ラズリといえども、自らの力だけで世界を崩壊に至らしめるのは容易なことではない。世界はそれほど脆いものではないのだ。ゆえにあの夢の中においても、ラピス・ラズリはあるモノを用いて、それをおこなっていたはずだ」

「あるモノ……」


 それに関してはほとんど悩む必要はなかった。連想すると同時に槇志は声をあげる。


「あの黒い宝石か!」

「そうだ」


 大仰にうなずくミゲル。


「あれは優れた森羅万象師シンラマスターのみが、個々の世界の中枢より取り出すことができる神秘の秘宝、その名も世界結晶なのだ」


「……世界結晶」

「世界結晶とは世界の理を司る存在だ。真に力ある者が用いれば、世界を自在に造り替えることが可能であり、破壊すれば世界はあらゆる意味を失い消失する」


 その光景を槇志は夢の中で嫌になるほど繰り返し見てきた。あれが現実に起きることを考えれば、それだけで膝が震えそうになってくる。


「お主の夢の中で、ラピス・ラズリは間違いなく世界結晶を手にしていた。つまり、それさえ取りあげれば、すべての運命は必然的に変化し、世界の滅びは確実に回避されるだろう。お主とて心の底よりラピス・ラズリを愛しているのであれば、彼女に取り返しのつかぬ大罪は犯させたくあるまい」


 諭すようなミゲルの言葉を聞いて槇志は迷った。ひとつ間違えれば、また空色を傷つけることになりかねない。

 しかし、あの石さえ空色の手元に無ければ、未来は確実に変わるはずだ。少なくともあの悪夢が再現されることだけはあり得ない。それにミゲルの言うとおり、そこにいかなる理由があったとしても、彼女にそんな罪は背負わせたくなかった。

 空色のためだと信じて槇志は決断した。


「わかった、なんとかして世界結晶を手に入れよう」

「うむ、よく言った少年!」


 満足げにうなずくミゲル。

 その傍らでは詩弦が複雑な表情で、槇志をじっと見つめていた。

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