第14話 天使の憂鬱

「うむむむむぅ」


 街の往来でひとりの巨漢が唸っていた。デニムのジャケットとズボンを身につけ、頭に革製の帽子を被ったその姿はカウボーイを連想させるが、筋肉質の体型は、どちらかと言えばアメコミのヒーローのようだ。

 笑えば意外に人懐っこい容貌の持ち主ではあるが、いまは苦渋に満ちた表情を浮かべている。

 たぶん、つまらないことで唸っているのだろうと思いつつも、とりあえず詩弦は声をかけてみた。


「どうかしましたか? 隊長」

「おおっ、同士アストレイア・ゼロ・セブンか!」

「声が大きい」


 いつものこととは思いつつも、巨漢のあまりの声量に詩弦は顔をしかめた。それを気にしたふうもなく巨漢はそのままの声量で話しかけてくる。


「同士アストレイア・ゼロ・セブンよ! この世界はおかしい!」

「あなたほどではないと思いますが」

「携帯電話が存在しないのだ!」


 詩弦の発言を無視して巨漢がまくし立ててくる。


「電気店には4Kテレビが並び、パソコンも64ビットが主流だというのに、どこを探しても携帯電話が見つからないのだ! これでは、この世界のソシャゲを気軽に楽しむことができんではないか!」


 この世の終わりであるかのように嘆く巨漢だったが、詩弦としては彼の話の内容よりも周囲から注がれる奇異の視線のほうが気になる。こんなところで声をかけたことを早くも後悔していたが、無視して立ち去るわけにもいかない。しかたなく彼の発言に対する常識的な見解を返すことにした。


「そういうバランスなんでしょ。この世界は」

「いや、明らかにこれは不自然――」

「不自然なことはないですよ。これまでだって、あれがあるのにこれがないなんてことは多々ありました。とある世界では二千年代になっても航空機が実用化されていなかったんです。それを思えば携帯電話がないぐらいは普通のことではありませんか」


 いくつもの世界を渡り歩いてきた詩弦が見たところ、この世界は実に平凡な文明世界だ。火を吐く怪物も居なければ宇宙から飛来する円盤もない。惑星表面の形状から繁栄している国家まで、多数の項目が、オーソドックスなタイプと一致している。

 隊長の言うとおり、この手の世界ではありふれている携帯電話がなかったり、子供が怪我をしたら危険という理由で撤去されがちな公園の遊具が残されていたり、公立高校でさえ未だ週休二日になっていないなどの微妙なズレはあるが、この程度の差異はむしろ当たり前で、そんなことは詩弦よりもはるかに経験豊富な隊長なら理解していて当然のはずだ。

 いや、たぶん理解していながら愚痴っているのだろう。なにせ、この男は無類のゲーム好きで、これまでも新しい文明世界を訪れる度に何かしらのゲームで遊んでいた。


「むぅぅぅぅっ。なんたる世の不条理か!」


 深刻な呟き――呟きにしては声が大きすぎるが――は無視して、詩弦は自分の用件を告げることにした。


「ところで隊長、いい加減に無意味な命令はやめて下さい」

「無意味?」

「ラピス・ラズリの鞄や下駄箱をあされって言うアレですよ。普通に考えてそんなところに、あんな大事なものを入れておくわけがないじゃないですか」

「いや、彼女の姉の中には、アレを普通にバスの中に置き忘れたり、転がして遊んでいてドブの中に落としてしまった者もいるのだ。可能性としてはじゅうぶんにあるはず!」


 力強く言ってくる巨漢に詩弦は嘆息して首を振った。


「他の姉妹は知りませんが、少なくとも彼女には、そんなズボラな一面はありません」

「なぜ、そう言い切れる?」

「ご存じのはずでしょ? わたしは彼女のことを、それなりによく知っているんです」

「うむ……言われてみれば、そうだったような気がそこはかとなくするな」

「これぐらいのこと、ハッキリ覚えていて下さい!」


 詩弦が強く言うと巨漢はややのけぞりつつ、とりあえずは頷いた。


「わかった。それはもうやめにしよう。実のところ私も、あまり期待はしていなかったのだが、とりあえず上に対して仕事してるぞーというポーズは必要でな」

「そんなことだろうとは思いましたけどね」


 大きく溜息をつく詩弦だが、実際のところ巨漢が本心を語っていないことには気づいていない。こう見えてこの男は見た目ほどには単純な男ではないのだ。


「しかし、こうなるとやり方を変えねばならぬな」


 重々しい巨漢の言葉に詩弦はやや不穏なものを感じる。まさか力ずくで何とかしようなどと短慮なことは言わないと思うのだが、もともと武で有名を馳せた男だ。強敵との戦いに喜びを見出すような一面は確かにある。しかし――


「携帯がないなら、据え置き型のゲーム機かパソコンを手に入れるとしよう!」

「そっちですか!?」


 任務そっちのけの発言をする巨漢に、詩弦はこれまでで何度目かになる大きな溜息をついた。

 もっとも彼女を憂鬱にさせている最大の原因は目の前の男ではない。事情は定かではないが、自分のつまらない言葉がひとりの少年を傷つけたかも知れない。そのことが気になって、どうにも落ち着かない気持ちに囚われていた。

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