第12話 空転する想い
槇志からの初めての誘いに、空色は実に嬉しそうな笑顔を見せた。もし綾子の言葉どおり、空色が自分に恋をしているならば、いったい自分はなんという残酷なことをしているのだろうか。
心がひどく痛むのを感じながらも、槇志は表層的には平静を装い、放課後、予定どおりに綺理華と夏生を加えた四人で、商店街へと繰り出した。
空色と並んで歩いていると、夏生がふたりの間に体を押し込むようにして割り込んでくる。
「ねえ、天咲さん。天咲さんはどこに行きたい?」
夏生がお得意の爽やかスマイルで話しかけた。これまでも多くの女の子たちが、この笑顔に騙されている。しかし、空色には通じなかった。
「笠間くんの行きたいところなら、どこでもいいわよ」
「…………」
答えを聞いて、夏生が無言のまま槇志を睨みつけてくる。
(俺に怒ったって、しょうがねえだろうが。俺が言わせているわけじゃない)
腹立たしさと苛立ちを感じながらも、槇志はとりあえず無言で歩きつづけた。綺理華は何を考えているのか、一歩離れたところから、こちらのやりとりを面白そうに見物している。
(夏生をプッシュするんじゃないのかよ?)
目線で問いかけても意図が伝わらないのか、綺理華は黙ったままだ。
「槇志が行きたいところなんて行かないほうがいいよ」
夏生は爽やかスマイルを崩すことなく言った。
「どうして?」
「だって、こいつの行きたいところはラブホテルとか、キャバレーだからね」
とんでもない発言をする夏生。その足を槇志は無言で払った。
「うわっち」
バランスを崩して、顔面から勢いよく突っ伏す。空色はこれ幸いとばかりに、槇志との隙間をつめた。
「こら、まき――むぎゅっ」
背後で夏生の変な悲鳴。おそらく綺理華に容赦なく踏みつけられたのだろう。
「悪いな天咲。変な友だちを連れてきちまって。夏生は根もいい奴じゃないんだけど、口も悪ければ頭も悪くて、おまけにドスケベで、顔しか取り柄がないんだよ」
「へえ……」
奇妙に感心したような声で空色が頷く。
「勝手なことを言うなっ」
復活した夏生が、再び槇志を押しのけるようにして空色の横に並んだ。
「いやぁ、困っちゃうよね槇志は。冗談ばっかりでさ」
「極めて本気だったんだが」
「君は黙っててくれっ」
夏生は噛みつきそうな顔で怒鳴ると、空色に向かってまたもや爽やかスマイルを向けた。
「とにかく僕はさぁ……」
言いかけたところで夏生の声が途切れた。顔を向けた先に誰もいなかったからだ。空色は彼が視線を逸らした隙に、小走りに移動して、槇志の反対隣へと並んでいた。
それに気づいた夏生は自分もダッシュすると、再び槇志を押しのけるようにして空色の隣へと並ぶ。
(露骨すぎるだろ、このバカは……)
呆れ果てつつ、チラリと後ろを振り向けば綺理華は必死で笑いを堪えていた。
(あいつは本気で夏生の手助けをする気があるのか?)
だんだん疑問になってくるが、どちらかといえば手助けして欲しくないので黙っておくことに決める。
「とにかくさ、槇志は主体性がないから、天咲さんの行きたいところに行こうよ」
夏生は主体性のない提案をした。空色は顎に指を添えると、少し考えてから口を開く。
「それじゃあ、笠間くんとふたりっきりになれるところがいいわ」
「ぬぁ――っ!?」
夏生は端正な顔を驚くほど歪ませて驚愕した。もちろん驚いたのは槇志も同じだったが。
「どういうことだよ、槇志ぃぃぃっ」
夏生は怒りと嘆きが入り混じった顔で、槇志に詰め寄ってきた。
「まさか、もうとっくに君が彼女にナニして、ナニな関係になってしまってるとか言うんじゃないだろうね!?」
「んなわけあるかっ」
「だったらなんでだよ!? あの反応はなんなんだよぉぉぉっ!?」
「知らねえよ。俺が好きっていうより、おまえが嫌われてるだけじゃねえのか?」
槇志が無情な言葉を投げかけると、夏生はふらふらと後ずさって、その場にしゃがみ込んでしまった。
「そ、そんなぁ……」
情けない顔で涙ぐんでいる。そんな彼に、空色はゆっくりと歩み寄ると、気遣うような声をかけた。
「どうしたの、八条くん?」
「天咲さん……」
夏生は力ない笑みを空色に向ける。
「さっきから、もしかしたらとは思ってたんだけど……」
「何かしら?」
「僕のこと……邪魔ですか?」
思い切ったこの質問に、空色は間髪入れずに答えていた。
「うん」
「うぬわぁぁぁっ!」
夏生は両手で頭を抱えると奇声を発した。
「ち、ちょっと、八条くん!?」
さすがに慌てる空色だったが、夏生はもはや、何も耳に入らないようで、大粒の涙を迸らせながら狂ったように走り出した。
「や、やっぱり邪魔だったんだぁぁぁっ!」
街中に大声を響かせながら植え込みを突き抜けると、陸橋を駆け上がって渡り、あっという間に反対側の階段を転げ落ちていく。その勢いに任せて器用に跳び起きると、夏生は通行人を跳ね飛ばしそうな勢いで、そのままビルの谷間へと消えていった。
空色は呼び止めようと片手を上げたポーズのまま固まっている。引きつったような困った笑みで、ゆっくりとこちらに振り返ってきた。
槇志は無言のまま首を横に振って応える。
背後ではとうとう堪えきれなくなった綺理華が腹を抱えて笑っていた。彼女の考えもサッパリ謎だ。
結局、このあと夏生は戻ってくることなく、槇志は三人で適当に商店街をぶらつき、最後は〈喫茶そるな〉で談笑してから解散した。
綺理華は最後まで夏生をフォローするような発言はせず、空色と仲良く並んで帰って行ったのだが、夜になってから突然槇志に電話をかけてきた。
『ハーイ、マキちゃん、元気してますか?』
「とりあえず健康ではあるぞ」
槇志がぶっきらぼうに答えると、綺理華は受話器の向こうでくすくす笑った。
『まだ怒ってんの、マキちゃん?』
「なにがだ?」
本気で意味がわからなかった。べつに彼女に気分を害された記憶はない。
『空ちゃんのこと好きなんでしょ』
「へ?」
『あのとぼけかたじゃあ、まるわかりだよ』
そう言ってまたくすりと笑う。
「いや、俺はべつに……」
『そんなふうに素直じゃないから、わたしはハチを止めなかったんだよ。おかげで自覚できたでしょ。夏生が空ちゃんにまとわりついてたとき、ずっと不機嫌な顔してたじゃない』
「…………」
返す言葉もない。どうりで商店街で夏生をフォローしなかったわけだ。綺理華は最初から夏生ではなく、槇志の後押しをしていたのだ。
『空ちゃん、きっとマキちゃんのこと好きだよ』
綾子と同じことを言ってくる。
『告白しちゃいなよ、きっと上手くいくからさ』
「けど俺とあいつは……」
いまさらながらに悪夢のことが脳裏をかすめた。
『魔女だからって気後れしてるの?』
「そうじゃないんだ。ただ、ちょっと複雑な事情があってだな……」
『事情ねえ……。まあ深くは聞かないけど、あんまりのんびりしてたら、他の誰かに先を越されかねないよ。昼間も言ったけど、空ちゃん美人だし、ハチもまだあきらめて無いみたいだしさ』
「夏生が?」
『うん、明日はっきりと告白するんだってさ』
「告白?」
さすがに意外だった。本日大失敗を演じたばかりだというのに、その翌日にいきなり正面切って告白するとは。
(夏生も本気ってことか)
煮え切らない自分とは正反対だ。
『たぶん、玉砕確定だけど、そんときはわたしが適当に元気づけるから、マキちゃんは気にしなくていいよ。でもその代わり、自分の気持ちぐらい、しっかりと見定めておきなさいよね』
「ああ、そうだな。そうしねえとな」
槇志は吹っ切れたような気持ちになって頷いた。
『それじゃあ、マキちゃん。また明日ね』
「ああ、また明日」
型どおりの挨拶を交わして、槇志は受話器を置いた。綺理華の言うとおり、もはや彼が空色に恋をしているのは確実だった。いままでそれを認めることができなかったのは、悪夢の真相に向き合うことを怖れていたからに他ならない。しかし、いつまでもこのままでいいはずはない。空色が好きならば彼女を信じて、すべてを打ち明けるべきだろう。
「よしっ」
槇志は決意を固め、拳をぎゅっと握りしめた。
ところがこの翌日、事態は誰も予想していなかった方向に発展した。空色が夏生の告白を受け入れ、ふたりが交際をはじめてしまったのである。
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