エピソード25:お待たせ


「お邪魔します」


「そんな畏まらんでいいんよ」



「えっ、いや、でも」



 彩乃さんが『うふふ』と聞こえてくるような、そんな笑顔を向けてくるから。初めて訪れた女性の家という緊張が溶けるように、俺は笑顔を返していた。



「大地君疲れちょんやろ。ソファに座ってゆくっりしよって」


「ありがとうございます」



『ワン!! ワンワン!!!!』



 俺がソファーに腰を降ろしたタイミングで、外から大きな大きなラブちゃんの鳴き声が響き渡る。



「もぉラブったら。大地君ごめんね、普段はこんなことないんやけど」



 そう口にしながら、彩乃さんは庭に面した大きな窓のカーテンを開けた。



『ワンワン!! ワンワン!!』



 窓の外には、尻尾を振り回すようにして飛び跳ねているラブちゃんの姿が。彩乃さんは窓を少し開けて『ラブぅーー、いけんっち言いよるやろ』っと、注意している。



 その様子を見ていた俺は、ラブちゃんと目が合った。



『クゥ〜ンクゥ〜ン』



「彩乃さん、もし良ければ俺はラブちゃんと庭で少し遊んでますよ」


「大地君、バイト終わりやし疲れちょんやろ。無理せんでいいに」



「大丈夫ですに」


「なぁにそれ!? あっ! またうちのことバカにしよん」



「あはは、すいません。やっぱり彩乃さんの言葉はとても可愛いと思います」


「そんなこと言って……」



 プイッと俺に背を向けて、彩乃さんはエプロンを着け始めた。フワッと揺れるポニーテールに目を奪われていた俺へ『うちといるよりラブといる方がいいんやろ』っと、どこか拗ねたような口調で伝えられる。



「ちっ違いますよ! 違いますから」



 慌てて否定した俺へ『冗談よ』っと、いつものように笑いながら振り向いたエプロン姿の彩乃さん。


 そんな彩乃さんに俺はまた見惚れてしまって



『ワン!!ワンワン!!!!』



 ぼーっとした俺を呼び戻すかのようなラブちゃんの鳴き声が響く。



「あ、彩乃さん、行ってきますね」


「もぉ、ラブったら。困った子ね」



 彩乃さんとそんなやりとりをしながら、俺はラブちゃんの待つ庭へと足を運ぶ。玄関を開けたその先に、てっきりラブちゃんがお出迎えしてくれると思い込んでいた俺の思いとは裏腹に、そこにラブちゃんの姿は無かった。



 遅いと言わんばかりに、庭の真ん中で尻尾も振らず、ただ俺を持っているかのようなラブちゃん。少し拍子抜けした俺は、『ラブちゃん、お待たせ』っと駆け寄る。



「あっ、ラブちゃん?」



 ラブちゃんは俺から逃げるように小屋の方へと向かって歩を進める。



「悪かったよ」



 俺の言葉を無視するかのように、小屋の中へと入って行ってしまった。



「ラブちゃん?」



「お〜い」





「あっ……」



 コロコロっと、小屋から俺に向けてサッカーボールが転がってくる。



 そんな状況に固まってしまった俺に対して、小屋から出てきたラブちゃんが、『ワン!!』っと吠えた後、ただ俺を見つめてきた。



「ラブちゃん、俺、出来ないよ」



「俺さ、サッカー辞めたんだ。いや……捨てたんだよ」



「違う、違うんだ。逃げたんだ。俺、逃げちゃったんだよ。サッカーからも、みんなからも、ここまで逃げてきたんだよ」



「だから……」



『ワン!!』



 俺の言葉を掻き消すように吠えたかと思うと、サッカーボールをまるでパスするかのように頭で押出して、そのボールはまだ動けずにいた俺の足へ当たった。



 懐かしい感触が蘇る。



 ただボールを蹴ることが楽しかったあの頃の感覚。暇さえあればサッカボールを蹴っていた楽しかったあの頃。



 その場に立ちすくんでいる俺から、ラブちゃんはサッカーボールを奪い去って。まるでドリブルするかのように頭でボールを上手に突っついては、俺の周りをクルクルと回っている。



 今度は尻尾を振りながら、『ワン!!』っと俺に向けてもう一度頭でサッカーボールを押し出してきた。



 尻尾振りながら、俺からのパスを待っているラブちゃんは、まるで『サッカーしよう』っと言っているようで。



 俺の足は自然とボールを蹴り出していた。体が震えるような、痺れるような、そんな感覚が俺へと走る。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 何回パスを交換したんだろう?


 気がつけば俺は、ドリブルしながらラブちゃんとボールの取り合いをしていた。



「俺、サッカー好きなんだ。大好きなんだ、サッカーが。好きなんだよ……」



「大地くぅん!お待たせ」



 そう呼ばれて振り返った俺は、彩乃さんが滲んでいるようで、よく見えなくなっていた。



『ご飯、できたよぉ』っと、いつもより優しい声に包まれているようで、なんだかとても温かいそんな気持ちになった。



       『あとがき』


喫茶 Nightナイト viewビューにて



マスター「いらっしゃいませ」

美香「あれ? 今日は宍戸君お休みですか? マスター」


マスター「さっき上がったところなんだよ。すまないね」

美香「あちゃ。だって、葉月」

葉月「むぅ〜……残念」


マスター「そちらのお嬢さんは初めてお見えですね。ようこそ喫茶Night viewへ……と言っても、お目当ては大地君かな?」

葉月「め、め、目当てだなんて、そんなこと……」


美香「残念って口にしてたよね!?」


マスター「まあまあ。せっかく大地君の友人? が、いらしてくれたんだ。ちょっとそこに掛けてて」


そうウインクしたマスターに促されるように、私と葉月はソファに腰を掛ける。


葉月「見たかったなぁ、宍戸さんのバイト姿」

美香「やっぱり宍戸君目当てじゃない」


葉月「そ、そんなことないもん。喫茶店とか来たことなかったから、行ってみたかったの」

美香「ふ〜ん」


葉月……バレバレだけど。なんの否定なの?


マスター「はい、お嬢様方。今日は私からの奢りだよ」


美香「えっ!? いいんですか」

葉月「マスターさん、私、そんなつもりでは」


マスター「気にしない気にしない。はい、お待たせ。こちらのお嬢さんには以前と同じアールグレイのホットをストレートで」


美香「うわぁ、ありがとうございます! マスター」


マスター「こちらのお嬢さんには、ダージリンのホットをストレートで。これは大地君のお気に入りなんだよ」

葉月「え、え……あ、ありがとうございます」


マスター「それでは綺麗なお嬢様方お二人に素敵なひとときを」


ニコッとウインクすると、白髪をオールバックにしたマスターは去っていき、頬を赤く染めた葉月がティーカップにそっと口を付けていた。

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