第15話 旅立ち(旅立ち編)

 早朝、『龍の爪痕』内はうす暗い。ヨナはいつもの時間に目が覚めた。今日が出発の日だというのに不思議と心は落ち着いている。昨日までの忙しかった日々が嘘のように、爪痕内の朝はいつも通りだった。


 フロワたちもいつものように起きていて、朝ごはんの準備をしていた。いつもと同じ朝だった。ヨナによっていつもと同じ朝だが、あの日と同じ朝でもある。あれからまだ二日しか経ってないのが嘘のようだった。東門でエクレルとサーシャを見かけた朝と同じ朝だった。


 ヨナはふと、あの日と同じように、ロクミル草の採取で出かけようと思い立った。


「父さん、母さん、フロワ、おはよう! ちょっと出かけてくるね」

「えっ、もう、お兄ちゃん、また朝ごはん食べていかないの?」


 フロワのいつもの声を尻目に、ヨナは東門付近のロクミル草の生息地に向かった。


 ロクミル草の生息地に着くと、草の上に横になり、いつものように魔力が満たされている感じを存分に味わった。やっぱりここに来ると気持ちいい。魔力が満たされて、嬉しくてはしゃいでいる精霊たちの声が聞こえてくるようだだった。


 寝ころんだまま、目を閉じて一帯の魔力を味わっていると、ふと、誰かの気配を感じた。寝転んだまま首を後ろに向けると、そこにサーシャが立っていた。


 サーシャは爪痕内の壁に手を当てて下を向いていた。まるで壁に向かって何か祈っているようにも見えた。


「サーシャ、どうしたの? こんなところで

「ああ、ヨナ。おはよう。朝早いね」

「うん、まあね。いつもこのくらいには起きてるよ。あの日、サーシャを見つけたのもこのくらいの時間だったんだよ」

「そう、なんだ。そう言えば、あの日に私が目覚めたのは朝だったね」


 ヨナにはサーシャが昨日とは少し雰囲気が違うように見えて不思議であった。


「それにしても、こんなところで何してたの?」

「うん、ちょっとね。ここの魔力の濃さにちょっとびっくりして来てみたんだ。やっぱりここは濃いよ。そしてその濃さが懐かしい」

「懐かしい? ここに来るのは初めて、なんだよね?」

「えっ、ああ、そう。ここに来るのは初めて。えっと、エクレルから聞いたんだけど、フランコフ領ってロクミル草の群生地があるんだって。そこで育ったからかな。この濃い魔力を懐かしいって思うのは。どんなところだったのか、覚えてないんだけどね。ははっ」


 ロクミル草が爪痕以外のところでも生えてある。聞いてしまえば当たり前だが、ヨナにとっては新鮮な情報だった。


「そうなんだね。そう言えばサーシャが魔法を使えるのって、そのロクミル草のせいじゃないかな?」

「えっ、どうして?」

「ロクミル草の中で育ったから、魔法が使えるようになったって僕たちからしたら結構自然なことなんだけど?」

「そうなのかな? それも覚えてないから分かんないや」

「そう、でも、無理に思い出さなくていいと思う。いつかきっと思い出すよ」

「うん、そうね。ありがとう、ヨナ」


 そう言って微笑んでいるサーシャは綺麗だった。朝の弱い光が顔に反射して目がキラキラ輝いて見える。サーシャの目はうっすら赤い。吸い込まれてしまいそうな不思議な魅力がある。そんなサーシャに見惚れていると、逆にサーシャから笑われてしまった。


「そんな顔してたら、ウィステリアに怒られちゃうよ」

「えっ、そんなに変な顔してた?」

「してた。鼻の下がこーんなに伸びてたよ」

「ちょ、ちょっと、恥ずかしいからやめてよ」


 そんな、子供がいたずらする時のような顔をして笑うサーシャもとても綺麗だった。






 家に戻ったヨナは、出発の時間に間に合うように荷物を持って急いで出かけた。結局朝ごはんを食べる時間がなくて、またフロワに怒られてしまった。


 代わりに干し肉とカグラ芋を持たせてくれた。ヨナは最後までフロワに頼りっぱなしだった。マロクとミローシャは東門までは行かずに家で見送ると言って聞かなかった。ただ、家を出るときは一昨日と違って、満面の笑顔で見送ってくれた。



 ヨナはその笑顔に後ろ髪引かれながら、フロワと二人で東門へ出発した。


 東門に着くと、そこで爪痕のみんながヨナを待っていてくれた。偵察隊の面々、ミサリアにアラマン、シュリにブッシュも来ている。


「僕もいるよ、ヨナ」

「エクレル! 傷はもういいの?」

「もう大丈夫だ。いつでも走って追いかけられるよ」

「おい、お前そんなことしたら、次は治さんぞ」

「あ、アラマンさん、す、すみません、大人しくしておきます」


 アラマンに謝るエクレルは打ち解けたように感じる。


 ヨナは一人一人に挨拶をする。


「族長、行ってきます」

「ヨナ、気を付けてね。この旅はヨナの魔力が切れたら終わりだからね。ウィステリアのことも頼んだわよ」

「はい! 任せて下さい」

「ちょっと、私は大丈夫。ヨナのことは私に任せて」

「そうね、二人で力を合わせるのよ」


 ヨナは族長には感謝してもし切れなかった。自分の魔法が必要だと言ってくれた。外に出られることも嬉しいが、人に頼りにされている、という期待が嬉しかった。ウィステリアも一緒に来てくれることも、ヨナにとっては頼もしかった。


「アラマン先生、お見送りありがとうございました」

「ああ、気を付けてな。何かあってもカルロがいる。心配は無用だぞ」

「そうだ、ヨナ。俺が付いている。心配するな。爪痕のことは頼んだぞ、アラマン」

「ああ、任せろ」


 アラマンは魔法を教えてくれた先生だ。教えてくれるのがアラマンでなければ、こんなに多くの魔法を使えるようにはならなかった。


「シュリも、わざわざ来てくれてありがとう」

「別にあんたの見送りに来たんじゃないのよ。私は師匠を見送りに来たんだからね」

「分かってるよ。でもありがとう」

「まあ、師匠がいるから大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」

「うん」


 シュリが来てくれたのは嬉しかった。小さい頃から一緒の仲間だ。途中から剣士として違う道に進むことになったが、訓練が終わったら、よくフロワと一緒に遊んでくれた。


「ブッシュさんも、ありがとう」

「おお、気を付けてな。帰って来たときは俺が最初にここで迎えてやるよ」

「はい、よろしくお願いします」


 皆に挨拶が済んだため、いよいよ出発だ。ヨナはみんなと一緒に横一列に並んだ。みんなと一緒に踏み出すということになっている。怖くない。いよいよ旅が始まる。憧れの外の世界だ。


 フロワが掛け声をあげた。


「せーのっ」


 ヨナは「どんっ」という軽い衝撃を背中に感じて、前方に何回転かして転んでしまった。起き上がって左右を見たら、もうそこは爪痕の外だった。ヨナが後ろを振り返ると、みんながしてやったりという顔をして笑っていた。


 ヨナはサーシャに蹴飛ばされた。蹴り飛ばされたその先は森だった。当たり前であるだ。ここはオットー山脈の麓の森の中だ。ヨナには外に出たという実感はまだ湧いてこない。まだ爪痕内の延長のように感じていた。


 ふと、ヨナは上を見上げた。そこは木々に囲まれていて、枝や葉の僅かな隙間から空が見えた。ヨナは急に思い立った。そして、苦手な風魔法を使い、思いっきり自分の身体を空に放り投げた。急速で枝にぶつかりながら森の木々たちを抜け、森の上空に出た。上手く魔法を制御できずに、かなりの高さまで上昇していた。


 バタバタとなびく服の音を聞きながら、目を開いた。そこは一面の空だった。圧倒的な広さ、どう頑張っても届きようがない、空の果てが見えた。かつて爪痕で見た空は岩に阻まれて狭かった。手足を思いっきり伸ばしても妨げるものが何もない世界。眼下には緑の森が見える。


 その向こうには緑の大地が広がっていた。世界は荒廃なんてしていなかった。そこにはまさに自由が広がっていた。


 ドラゴンがいなくなった世界だ。これから自分が旅をする世界が見えた。


 後ろに壮大にそびえ立つのはオットー山脈。その大きさに一瞬怯みそうになる。緑の木々を抱えたその山肌。その一部に小さな裂け目が見えた。


 あれが、『龍の爪痕』。ヨナたちが暮らしてきた場所、大切な故郷だ。この広大な世界からしたらなんと小さいことだろう。ヨナにはあそこで人が暮らしていることが信じられなかった。それくらい小さい裂け目に見えた。


「あんなところにいたら、ドラゴンには見つからないや」


 ヨナはそのまま東門の外に降り立った。早速ウィステリアとフロワに怒られた。いきなり空に飛んで行ってしまったのだ。怒るのも無理はない。


 ひとしきり怒られた後、偵察隊は出発した。目指すは遥か東にあるエルトーレ王国だ。ヨナたちは太陽が昇ってくる方へ向かって歩き始めた。ここから新しい物語が始まる予感がしていた。







 爪痕に残る面々は、彼らが森の中に消えていくまで見送っていた。


「行っちゃったね」

「はい」

「ほら、泣かないの。みんな絶対に帰ってくるんだから、ね、フロワちゃん」

「はい、ミサリアさん」

「さーて、こっちも忙しいわよ。龍神教がいつ攻めて来てもいいように準備しとかないとね」

「はいっ!」


 と、そこでエクレルが気になることを言い始めた。


「ミサリアさん、サーシャの件で言おうか言うまいか悩んでたんですが……」

「何よ、今ごろになって」

「いやぁ、とっても言い出しにくいんですが」

「なになに? もったいぶらずに早く言ってちょうだい」

「サーシャのやつ、実は極度の方向音痴なんですよ」

「えーっ、なにそれ、何で早く言わなかったの?」

「いや、一度来た道なのでちゃんと帰れるとは思うんですけど、よく考えたらあいつ、森に入る前からずっと気を失ってて、僕に背負われてたのを思い出して」

「いや、でもサーシャは『大丈夫、任せてよ』って言ってたよ」

「うーん、そうだったらいいんですが」

「ちょ、ちょっと、何か、いきなり不安になってきたじゃない。どうしてくれるのよ」


 アラマンが何とかミサリアを落ち着かせようとする。


「ぞ、族長、カルロがいるから大丈夫ですよ」

「カルロだってここを出るの初めてなんでしょ。どうせ『太陽の出る方向に行けばいいんだよな』とか言ってたんじゃないの?」

「えっと、はい、まあ」

「あー! フロワちゃんやっぱり付いていかない? 私心配でどうにかなっちゃいそう」

「ぞ、族長。風魔法で飛んで確認しながら行けば、たぶん大丈夫ですよ。とりあえず中に入りましょう」


 アラマンが根拠のない説得でミサリアを取りなしてくれて、なんとかこの場は収まった。みんなで爪痕の中に戻る。


 フロワはヨナのことが心配だが、何か不思議と大丈夫なような気もしていた。ヨナの門出を笑顔で見送れたのだ。きっと大丈夫。笑顔で帰って来てくれる。そう信じて待とうと思った。


 フロワはふと振り返って、ヨナたちが向かった方を見上げた。太陽が眩しすぎて目が眩みそうになった。









 森の中を一人さまよう者がいた。その者の肌は褐色であり、その特徴的な耳は尖っていた。エストーレ王国のアマリスが向かった方面の調査をしていたら、とんでもないものを見つけてしまった。


 オットー山脈の麓にはロクミル草の生息地があったのだ。この手つかずの森にロクミル草が生息しているとは思いもしなかった。ここがかつての戦場であったということを示唆しているのだろうか。興味深かった。だが、木に登り周囲を見渡してみても、一面の森であり、そんな形跡は見られなかった。


 その者は自らの里に報告に行くか、雇い主に報告に行くか悩んでいた。。この情報をどう扱うかは、じっくり検討しなければならない。と、思ったとき、上空に一つの影を見つけた。その影を見た瞬間、その者はこの情報を雇い主に報告することに決めた。


 早速エマ王女にこの情報を届けなければ。


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