第14話 旅立ち(準備編)

ヨナは家で明日の朝出発するための準備をしていた。昨日、エクレルの話を聞いたミサリアは龍神教に対して先手を打つため、この『龍の爪痕』からエストーレ王国へ偵察を行うことを決めた。


 偵察隊のメンバーは、隊長にカルロ。そしてヨナとウィステリア。それと道案内でサーシャが付いていくことになった。目的は敵情視察だ。ヨナの気配を消す魔法がなければ成り立たない。ヨナは考えるだけで緊張してしまう。


 だがヨナが一番緊張しているのは外に出ることだった。族長からの命令とはいえ、やはり外に出るのはまだ怖い。ドラゴンはいないと分かっていても、心のどこかが常に怯えている。


 ドラゴンはいないと決まったわけではないことも余計にヨナをそうさせている。現にエストーレ王国でもドラゴンが出た時のための準備をしているのだから。


「お兄ちゃん、準備はできた? 服と下着の替えは私が用意してあげたからね。ここに置いとく」

「わ、自分でやるからいいよ」

「いいじゃないの。お兄ちゃん、緊張してるでしょ。ほっといたら絶対に忘れ物するよ」

「大丈夫だよ。心配いらない。なんせあの憧れの外の世界に出られるんだ。緊張はするけど楽しみでもあるんだ。まだちょっと怖いんだけどね」

「そうだね、でも出発の日は先生もミサリアさんも来てくれて一緒に外に出ようって言ってくれてるんだよ。私も一緒に外に出るから、ね」

「そうだな。フロワも、みんなで一緒に外に出るんだな。そう考えたら怖くなくなってきた」

「そんなことよりも、向こうで危ない目に合わないかの方が心配だよ。お父さんもお母さんもそっちを心配してた」


 昨日、ミサリアが偵察の命を出したその足で、自らヨナの家まで来て両親に経緯を説明した。


「マロクさん、ミローシャ。そういうことなのでヨナを外に行かせてあげて下さい」


 そう言ってミサリアは深く頭を下げた。


「族長、頭を上げて下さい。ヨナは昔から外に出たがっていました。それを押えるのに苦労したんですよ。もう、そんなことをしなくてよくなったんですね」


 ミローシャが懐かしそうに、そして少し寂しそうに昔を思い出していた。


「族長、ドラゴンは本当にもういないんですか?」


 マロクはドラゴンのことが気になっていな。当然の反応である。ドラゴンがいないと実感できている爪痕の住人はまだいない。


「恐らく。エクレルの話からすると二百年は出てきてないそうです。ドラゴンの寿命は長いので何とも言えませんが、ここまで長期間出てないとすると、いない確率の方が高いと考えています」

「そうですか。私たちも、もうドラゴンに怯えなくてもいいんですね。……でもここでの生活に慣れてしまったので、今さら出ていこうとは思いませんが」

「マロクさん、分かります。私も今更外で暮らせと言われても……ここの生活に馴染んでいますから。ただ、これからはエストーレ王国との関係を上手く作っていかないといけない状況です。そのためには、ヨナの魔法士としての力がどうしても必要なんです。どうかヨナを外に出すことをお許し下さい。」


 ミサリアがマロクとミローシャに再び頭を下げた。


「族長、止めて下さい。大丈夫ですよ。先ほど妻が申したようにヨナは昔から外に出たがっていた子です。心配は心配ですが、子供が夢を叶える第一歩を踏み出すのに、それを止める親はいませんよ」

「私も、夫と思いは同じです」


 マロクもミローシャもヨナを送り出したいという気持ちは同じであった。


「父さん、母さん、ありがとう」

 

 思わずヨナの目頭が熱くなった。


「ヨナ、気を付けて行ってくるんだよ」


 マロクとミローシャはヨナに向かって優しく微笑みかけた。こんな親を見たのは初めてだったのでヨナは一瞬戸惑った。


 マロクは心配そうな目をしていた。でも笑顔で送り出してくれようとしている。ヨナはそんな優しい父の気持ちがうれしかった。


 ミローシャは自然と涙がこぼれていた。絶対に安全とは限らない旅になる。自分も外にも出たことがないのに、子供が出ていくのである。心配するなと言う方が無理がある。ミローシャとしても笑顔で送り出したいが、心配する気持ちと寂しい気持ちが入り混じって、思わず涙が出てしまった。


 ミローシャはいつまでもここでのんびり暮らしながら、子供の成長を見守るものだとずっと思っていた。ここで暮らしている限りは、危ないことは何もない。とても平和で愛おしい生活。それはミローシャの描いた夢だった。


 が、ヨナは違う夢を描いていた。


 ミローシャは、急にヨナが自分から離れていってしまうのではないかと不安になった。


「母さん、心配しないで。絶対に帰ってくるから。約束する」


 ミローシャはヨナの言葉を聞いて、はっと目が覚めたような気持になった。そうだ、ヨナを信じよう。そして帰ってきたら、昨日までのように家族で一緒にご飯食べよう。そして、旅の話を聞かせて貰おう、と。


 ミローシャは新たな夢を描けたような気がして、思わず微笑んだ。


「そうね。ヨナ、気をつけていってらっしゃい」







 ミサリアは目の前でバタバタと旅の準備をしているウィステリアを横目に昨日の話を整理していた。エストーレ王国の話、龍神教の話。まずはその話をこちらの目でちゃんと確認しなければならない。そう思ったからこそ偵察隊を出すことにした。


 ミサリアは、ついさっきヨナの両親と話をしたとき、ミローシャの気持ちが痛いほどよく理解できた。自分も娘のウィステリアを外に行かせることになる。ウィステリアはここでの生活は水を得た魚のように順応しているが、外に出たことがないため、ちゃんと旅ができるのか心配だ。予想外の事態になったとき冷静な判断を下せるのかだろうか。恐らく、ちゃんとやれるのかも知れないが、いかんせん外の世界のことは親であるミサリアも知らない。何が起こるか分からないところに出すのはやはり不安に思ってしまう。


 そんなウィステリアは、ヨナと一緒に旅ができるということで完全に浮かれてしまっているようにしか見えない。


 ミサリアは、偵察隊のメンバーを選ぶとき、まずヨナが必須だと思った。今回の偵察ではヨナの気配を消す魔法は必須だからだ。それと道案内にサーシャがいる。


 エクレルは龍神教に顔がばれているのと、怪我が治るのを待っていられないという理由から外した。隊長としてはカルロを選んだ。先の戦いでも冷静な判断でみんなをまとめてくれた。ミサリアはカルロ以外にはいないと思った。


 そしてウィステリアを行かせるかは悩んだが、いざという時に、みんなを守れる魔法を使える人間がいると思って思い切って選出した。


 フロワでもよかったのだが、いきなりヨナとフロワを外に連れ出してしまっては流石にマロクとミローシャに合わす顔がない。ウィステリアには次の族長候補として、外の世界を知っておいてもらう必要があることも大きい。


 ミサリアは子供を外に送り出すのがこんなに心配になるなんて思いもしなかった。そして親の気持ちも知らないで、目の前で楽しそうに旅の準備をしているウィステリアに少しイライラし始めてもいた。


 それにサーシャの素性については、結局はよく分からないままだった。昨日のサーシャの話を思い出しながら、気になるところを整理することにした。




――――


「サーシャよ、お前は一体何者なのだ??」


 アラマンの質問にサーシャが答えた。


「えっ、よく覚えてないって?」

「うん、そうなんだよ。よく覚えてないんだよ」


 それにはウィステリアは納得がいかず、サーシャに突っかかった。


「それって、どう言うことよ、サーシャ」

「どう言うことって言われても。そういうことなんだよ。だからよく覚えてないんだって。気が付いたら森の中にいて、周りに誰もいなくて私もびっくりしたんだからね」

「それで、どうしたの?」

「服の中に小さい紙が入っててね。『エクレル殿下に』だって」

「うんうん、それで?」

「それで、よく分からないけど遠くに町が見えたから、歩いていったわけ」

「うんうん」

「そしたらエクレルが交戦中だった」


「あのー、そこから先は僕から説明します」


 エクレルは、このままサーシャが説明していては埒が明かないと察知して、説明の交代を申し出てきた。


「サーシャはエストーレ王国内のフランコフ領主の娘でした。フランコフ領主は国王派の筆頭でしたから、私が城外へ逃げるときに、一緒に合流する予定になっていました」

「ふんふん、そうそう」

「交戦中にふらっと合流してきたので、敵にすぐに襲われちゃいましたが、まあ、何というか得意の風魔法を使って、バッタバッタと敵をなぎ倒してしまったのです」

「いきなり腕掴んできたからね。遠慮なく反撃させて貰ったわ」

「で、敵を倒したあと、一緒に逃げながら、道中で『フランコフ領主の娘か』と聞いたら、『何それ』って感じで、僕たちも混乱しました」


 エクレルが説明しながら、サーシャが不要な相槌を入れてくる。


「ふんふん、それで?」


 ウィステリアが先を促す。


「それで、お前は何者だ、と怪しんだのですが、フランコフ領主からの手紙を持っていて、そこにはこちらで決めていた印が書いてあったので、領主の娘で間違いないかと判断しました。」

「それって。本物の娘を殺して、その手紙を盗んでエクレルに近づいてやろうとした悪党だって線がまだ残ってない?」


 ウィステリアからの鋭い指摘が飛ぶ。


「何それ、失礼ね。そんなことしないわよ」

「ああ、でも魔法を使いましたからね。魔法を使える人間は普通いませんから」

「ああ、なるほど」


 外の世界では、魔法が使えることは特別なことのため、間違えようがない。


「でも、普通は魔法が使えない世界で魔法が使えるって、凄いことじゃないの? サーシャは領内では有名人だったりしたの?」

「ごめんねウィステリア、それも覚えてないんだー」


「僕が父から聞いていたのは、魔法が使える人間がいるということと、それは領主の娘ってことだけでした。領主は父には報告していたみたいですが、その情報は家族にも内密にしていました。僕も最初その話を聞いたとき、信じられなかったですから」


 サーシャが魔法を使えることは秘密にされていた。


「そこまで秘密にしておかないといけないのは、その龍神教に見つからないようにするため?」

「はい、そうだと思います。龍神教は魔法を排除しようとしていましたから」


 龍神教は危険な集団であることが分かる。


「それで、まあ、一緒に旅をしてきたということです。途中いろいろありましたが、何とかここに辿り着いたというわけです」

「なるほど、でも何でサーシャのお父さんはエクレルと合流させようとしたのかしら?」

「それは、彼女がロクミル草の在り処を感じ取ることができるからです。それと、あのまま龍神教に見つかっていれば命はなかったと思いますので、保護という意味合いもあったとは思います。でも実際は逆で、僕が守ってもらってばかりでした。サーシャがいないと、ここまで生きてたどり着けませんでした」



―――――





 ミサリアは頭を整理した。サーシャは国王派筆頭のフランコフ領主の娘だった。龍神教の政変の際に娘を逃がす目的でエクレルに預けられたということになる。ということは領主やその領民たちは、龍神教に捕えられたか、下手したら殺されている可能性もある。そこまでして一人の娘を守らないといけなかったのかが一つ疑問だ。


 サーシャの力があれば、龍神教と抗戦するという選択肢もあったのではないか。それをせずに密かに逃がした。エクレルの話では「保護」の意味合いもあるということを言っていた。


 「保護」といえば強いものに守ってもらうことを意味する。ところがどうだ。サーシャは強い。魔法士としても優秀な部類に入る。エクレルも強い剣士みたいだが、サーシャに多く助けられたと言っていた。どうも「保護」してもらう対象ではないような気がする。領主の娘のイメージとサーシャのイメージがどうしても合致しない。何か秘密がありそうだが、これ以上は分かりようがない。


 ウィステリアにサーシャの様子をよく見張ってもらうよう言っておかなければならない。この旅で考えないといけないことは思ったより多い。


 すると、ウィステリアが困った顔をして、バタバタとこちらに駆けてきた。


「お母さん、下着って何枚もっていったらいい?」


 心配が尽きないと思っていたところに、ウィステリアからの馬鹿げた質問が飛んできたので、ミサリアの我慢は限界に達した。


「こんの、馬鹿娘がぁぁ、こっちの気も知らないでキャッキャと浮かれるんじゃないわよ。そんなの何枚でもいいわよ。どうせヨナに見られるような機会なんて来ないんだから何履いてても一緒よ」

「な、ななな、何言ってるのよ。ヨナに見てもらうなんて、そそ、そんなはしたない。もう少し順序が……」

「馬鹿娘っ、何顔赤くしてんのよ。あんた何しに行くと思ってんの? 敵情視察なんだからね。もっと気合い入れていきなさいよ」


 二人の喧嘩を見ていたバニングは恒例の深いため息を吐いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る