第13話 領主の娘
アコーニットは、忙しく城内を走り回る役人たちの姿を自室で眺めながら、部下の帰りを待っていた。早馬での報告では、ナーシスが怪我を負っているという。
ナーシスが怪我を負わされることはアコーニットにとっては計算外だった。エクレルは剣士として優秀だが、王子ということもあり実践不足だ。実戦経験が豊富な部下たちが、エクレルに遅れを取ることはないはずだからだ。
アコーニットは報告にあった少女の仕業かと疑い始めていた。あの少女についてはまだ情報が少ない。辺境領主の行方不明の娘に似ているという情報があるが、根拠が乏し過ぎている。そもそも、辺境領主の娘が部下たちを凌駕する力を持っているというのが不自然だ。少女に関する情報はもっと集めなければならない。
とそこへ、扉を叩く音が聞こえた。
「誰だ」
「私だ。アコーニット」
「ジルか。何の用だ。私は忙しい」
「いや、ちょっと耳寄りな情報を手にしたので、お前さんの耳にも入れておこうと思ってね」
「入れ」
扉を開けてジルが部屋に入って来る。白の騎士団団長のジル。心身、容姿共に恵まれており、王国の表の顔として国民を守る白の騎士団の団長に指名されている。黒の騎士団と違って表舞台で活動するため、国民にも人気が高い騎士団である。白の騎士団を目指す子供も多い。
それとは対照的に、黒の騎士団は暗殺が主な仕事のため表舞台に出ることは一切ない。龍神教の孤児院に預けられた子供たちから素質のありそうな者たちだけを選りすぐり、特殊な訓練を受けて、生き残った者だけが入団することを許される。
黒の騎士団は『アマリス』という別称が使われることがあるが、それは黒の騎士団と言う名前を表に出さないためである。団員の中で容姿が優れた者がいれば、すぐに白の騎士団に引き抜かれていくため、黒の騎士団には人相が悪かったり、愛想がない者が必然的に多くなる。
今この部屋の中でも、ジルは陽光が差したような自然な笑みを浮かべているのに対し、アコーニットは眉間に寄せた不愛想な顔を浮かべている。
「それで、耳寄りな情報とは何だ?」
「まあまあ、久しぶりに会ったのだからゆっくり話でも……」
「俺は忙しいんだ。用件だけ速やかに言え」
「相変わらず愛想がないなあ。そんなんじゃ、部下も君を怖がって逃げてしまうよ」
「用がないなら、帰れ」
ジルはアコーニットと談笑することを観念した。
「はいはい、怒らないでよ。怖いなぁ。用件はね、例の少女の件だよ」
「少女? 何のことだ?」
「とぼけても無駄だよ。こないだ君たちがエクレル殿下を城外で取り逃がしたとき、殿下と一緒に戦っていた少女のことだよ」
「なぜ、それを知っている?」
「僕にも独自の情報網があってね。まあ、安心してよ。誰にも言ってないから。とは言っても、僕たちは最初その少女のことを調べていた訳じゃないんだよ。フランコフ領の領主を取り調べていたら、娘が行方不明になっているって分かってね」
フランコフ領はエストーレ王国の王都から少し南方に離れた穀倉地帯の領地だ。領主が国王派だったため、先の政変で龍神教が領主を捕らえて領地を差し押さえた。穀倉地帯のため王国の食糧庫とも言われる重要な領地である。
また、領内にはロクミル草の群生地がある。龍神教としても自分たちの管理下に置いておきたい場所であった。白の騎士団が領地を差し押さえに赴いたとき、領主は領民と共に激しく抵抗した。だが、白の騎士団の無慈悲な攻撃により、多くの領民は命を落とし、領主は生け捕りにされた。
その領主の取り調べと領地の管理は、現在白の騎士団が行っている。
「それは知っている。なんでもその娘がその少女とそっくりらしいな」
「さすが、アコーニット。よく知ってるね。でもおかしいな、この情報を知っているのは白の騎士団だけだと思っていたけど」
「こっちにも情報網はある」
「ふーん、まあいいか。で、その少女は国王派だった領主の娘ということで、白の騎士団で血眼になって捜索しているんだけど、これが一向に見つからないんだよ」
「そこまでして探さないといけない娘か? 娘一人が外に放り出されても何もできないだろう」
「それがね、あるんだよ。それこそ白の騎士団の威信を賭けてでも探さないといけない理由がね」
ジルが不敵な笑みを浮かべる。
「もったいぶらずに早く言え」
「その娘、どうやら魔法が使えたらしいんだ」
「なんだと」
「ほーら、興味出てきたでしょ」
「それは本当か?」
「目撃情報があってね。その少女が魔法を使っているところを見たという領民が複数いるんだよ。領主は首を縦に振らないけど、状況からして黒だと思うよ」
「どんな、魔法だ?」
「領民が見たのは、娘が手から光を発するところらしいんだ。明らかに不自然な光り方をしたと皆言っている」
「そうか、光魔法か」
「領地を差し押さえに行ったとき、明らかな戦力差があるのにも関わらず、命を捨てる覚悟で強く抵抗してきたことに違和感があったんだよ。それで考えたのが、もしかして領民たちは自分たちが抵抗している間に、その娘を領外に逃がすつもりだったんじゃないかと。その娘は自分たちの命を捨ててでも守らないといけない存在だったんじゃないかと、ね」
ジルは『自分の考えに間違いはない』と自信満々の顔だ。
「ふん、すべて憶測だ。領主は国王派だった。フランコフ領はロクミル草の一大供給地として、国王から一目置かれていた。自分たちの領地が可愛かっただけと考える方が自然だ」
「まあね。でも、国王派の娘が魔法を使えたとの情報があって、その娘とそっくりな少女がエクレル殿下を助けて一緒に逃亡したかも知れない。となると、こちらも追いかけないわけにはいかないでしょ」
「……それで、何が望みだ?」
「話が早くて助かるよ。今君が追いかけている二人の行方が分かったら、僕に教えて欲しいんだ。我が騎士団で捕えたい。エクレル殿下の身柄はそちらに任せる。もちろんこの話は大司教様には内密で頼むよ」
「そういうことなら、分かった。こちらはエクレル殿下の身柄さえ確保できれば問題ない」
「ありがとう。さすが我が親友。思い切って相談してみてよかったよ」
「ふん、用が済んだならとっとと出ていけ」
「もう、連れないなぁ。でも目的は達成できたしね。また来るよ。あっ、それと」
「何だ、まだ何かあるのか?」
「国王がなぜあんなにもゾール紙の開発を急いだかという理由なんだけど、君はもう分かった?」
「すまん、興味ない」
「そう。じゃあね、また来るよ」
ジルはご機嫌な鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。部屋に残ったアコーニットはジルから聞いた情報を整理していた。ジルの情報だと、娘は光魔法を使っていたという。だが部下からの報告では、少女は強力な風魔法を使って部下たちを斬り刻んだと言う。
どうしても「領主の娘」という牧歌的なイメージと、部下から聞く戦闘的な娘のイメージとが合致しない。娘は来るべき日に備えて、本当の姿を隠していたのか。いや、今回の政変は国王ですら出し抜いたのだ。辺境領主の娘ごときがそれを察知していたとは考えにくい。やはり別人と考えるのが自然だろう。どちらにしてもあの二人を何とかして捕えなければならない。
政変で国王派の多くが龍神教派に寝返った。彼らが本当に龍神教派に寝返ったのかを調査し、少しでも怪しい動きをみせたら直ちに捕えて、場合によっては秘密裏に処刑する仕事が一向に片付かない今の状況では、明らかに人手が足りない。
ここはロズドの隊だけでもうひと踏ん張り頑張ってもらうしかない。ロズドは実力だけならこの王国の三本の指に入る実力者だ。頭が悪いのが玉に瑕だが、ナーシスがいれば大丈夫だろう。
アコーニットはロズド隊への新たな指示内容を考えながら彼らの帰りを待った。
エストーレ王国の地下牢獄。ここには多くの囚人が収監されている。先の政変で多くの国王派が捕らえられたからだ。龍神教からは極力生け捕りにするよう命じられていたため、騎士団たちは、捕えた先から次々に牢屋に入れていった。あっという間に牢獄の数が足りなくなり、後になって捕えられた国王派は行き場がなく、無残にも処刑されてしまった。
ところが、政変において最後の囚人となった元フランコフ領主は別だった。彼は重要人物として、独房に迎え入れられた。
元フランコフ領主であったジエコフは、その独房の中で倒れたまま、今にも途切れてしまいそうな自分の意識をぎりぎりのところで保っていた。連日の拷問で身も心も満身創痍であった。
ジエコフは今にも消えそうな意識の中、娘のことだけを心配していた。騎士団の連中のあの様子だと、娘の行方はまだ掴めていないためまずは一安心だった。ジエコフのの役割は娘を逃がし、エクレル殿下と合流させることだった。娘がエクレルと無事に合流できたかまでは知ることができないが、逃げるための時間を十分に稼ぐことはできたはずだと思っていた。
無事にエクレル殿下に合流できたなら、エクレル殿下の保護下に入ことができる。殿下に守ってもらいながら、魔法で殿下をお助けできる。ジエコフは娘が魔法を使っているのを見たあの日から、ずっと娘を守ることだけを考えてきた。絶対に龍神教の手の者に見つかる訳にはいかなかった。だが、ジエコフはそろそろ自分の役目を終ええる予感がしていた。あの気に入らない顔をした騎士がくれた傷が致命傷になっているようだ。
娘の顔が浮かぶ。娘は、早くに妻を亡くしたジエコフにとっては唯一の宝であった。大切に育ててきた。娘と過ごした思い出が頭の中を走馬灯のように駆け巡る。娘の笑顔が頭から離れない。自分はもうすぐ死ぬ。だが後悔はない。ジエコフは心の底から願った。どうか無事であって欲しい。そしてどこかで笑っていて欲しい。あの愛おしい笑顔のままで。
ジエコフはそのまま動かなくなっていた。その表情は、最後に思い浮かべた娘の顔のように、優しく微笑んでいた。
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