第11話 エストーレ王国
エストーレ王国第十五代国王のファニール・エストーレは悔やんでいた。龍神教が政変を起こしてもうすぐ一か月が経つ。あの日、ファニールは完全に油断していた。
ゾール紙の開発と生産が順調であったため、自分の身辺に気を使うことを失念していた。油断した隙に王城は乗っ取られてしまった。今は幽閉されている身だが、いつか龍神教から国を取り戻さなければならない。
子供たちは無事なのだろうか。長男のカラッドと娘のエマは捕まってしまったと聞く。まだ無事だといいが。妻は政変の際に私をかばって死んでしまった。エクレルは無事に国外に逃げることができただろうか。
我ら王族への対応が無慈悲であれば、龍神教と言えど民意を失うだろうから、命まで奪うことはあるまい。自分はともかくとして、子供たちが生きてさえいれば、まだ望みはある。このまま、エストーレ王国を龍神教のやつらの好きにさせるわけにはいかない。
エストーレ王国は英雄王と称えられる初代フォンド・エストーレが建国した国である。ドラゴンの脅威から逃れて、山間の森の中に隠れ住んでいた集落の人間たちをまとめあげ、百五十年前に建国した。彼は勇敢かつ賢明な王であった。
人間がドラゴンから隠れ住むようになってから、一度もドラゴンに見つかることがなかった。見つかることがないだけでなく、ドラゴンを見かけることもいつの間にかなくなっていた。
かつては、年に一度は空を飛び去って行く姿が目撃されていたのだが、記録に残っているだけでも、約五十年間はドラゴンを見かけたという目撃情報はない。
フォンドは、ドラゴンは同種族同士の争いで数を減らし、今はこの地を荒らすことなく辺境の地で暮らしているのではないかと考えた。もちろん、そんな机上の空論に対しては、異を唱える住民がほとんどだった。だが、フォンドはこのままドラゴンに怯え、コソコソと隠れ住む生活に嫌気がさしていた。
賛同してくれない者は付いてこなくていい、自分だけでも外の世界で自由に生きてみせる、と住民らに豪語した。フォンドに付いてきたのは数人だった。フォンドはそれでも挫けることなく、その数人たちと外の世界で暮らし始めた。当初は鳥が羽ばたく音や木の軋む音にも怯えたりもしたが、徐々にその生活にも慣れ始めた。
一年後、フォンドは再び集落へ戻り、繰り返し住民たちを説得した。日の光を浴びて生活することの素晴らしさを彼らに説いた。そうしたら、また数人だけ付いてきた。そしてまた再度訪問して、皆を説得することを続け、五年後には二百人が生活する集落にまで膨れ上がっていた。
彼はこの集落をエストーレと名付けた。エストーレとは古代の言葉で『勇敢な者』という意味があった。自らもエストーレと名乗るようになり、ここに、エストーレ王国初代国王フォンド・エストーレが誕生したのであった。
「と言うのが、エストーレ王国ができた歴史ね」
サーシャがみんなのいる前でエストーレ王国の歴史について語ってくれた。ミサリアが戻ってきて、アラマンによる戦闘の報告が終わったころ、ヨナのお腹が盛大に鳴った。朝ごはんを食べてなかったことが原因だったのだが、ブッシュにもらったカグラ芋の効力も尽きていたみたいだ。気が付いたら既に太陽は登り切っていた。
ミサリアの提案でお昼ご飯を取ることとなり、みんなで準備を始めた。準備が整ってみんなで食べ始めたとき、おもむろにサーシャが語り始めたのだった。
「長いわね。やっと建国ってことはこの後いつまで話をするつもり?」
「失礼ね、ウィステリア。ここから先は今の王国の話だよ。といってもこの話は全部エクレルから聞いた話だからね。分からないことはエクレルに聞いてよね」
「そうね、詳しいことは彼が起きてから聞くことにするわ。にしても胡散臭い建国史ね。話が出来過ぎじゃない?」
「そうかもねー。 まあ、でも、これがエストーレ王国に伝わる正史みたいだよ」
ヨナは思った。サーシャから聞いた話だと、このエストーレ王国の初代国王のフォンドさんは相当勇敢な人だ。自分はまだ外に出るのが怖いのを克服できていないのに、この人はもう百五十年も前に外に一歩踏み出したのだ。自分にはできないことを成し遂げたのだ。ヨナは初めて聞くフォンドという人物に憧憬の念を抱いた。
「でね、こないだ今の国王さんが政変で幽閉されちゃったみたいで。その息子のエクレルは何とか国外に逃げてきたってわけ。お兄ちゃんとお姉ちゃんも捕まって幽閉されちゃってるみたいだよ」
話が急に飛んでいきなり政変の話に入ったから、急に訳が分からなくなった。ミサリアがかろうじて話を繋ぐ。
「ちょ……話が急に飛び過ぎなんですけど。――まあ、いいわ。それでエクエル君はあなたを連れてここまで来たということ?」
「さすが、ミサリアさん。そういうこと」
「で? 何が目的でここに来たの? たまたまってことはないでしょ?」
「うん、そうだよ」
「ロクミル草です」
「あっ、エクレル。起きてたんだ」
エクレルが話を繋いでくれた。
「話は最初から聞いていたよ、サーシャ。でも君の説明だと全くだめだよ。全然伝わってないんじゃないか」
「なによ、あんたから聞いた話をちゃんと伝えてるでしょ」
「そうだけど、伝え方が断片的過ぎて何を言ってるか、さっぱり分からないんだよ」
ここにいるみんなが、心の中でうんうんと頷いた瞬間であった。
「エクレル君、もう起きて大丈夫なのか? また傷が開いたら今度はちゃんと治療できる自信はないぞ」
「アラマンさん、ありがとうございます。今回は大丈夫です。このまま寝た状態でお話しすることをお許し下さい」
「あなたが大丈夫だったらいいわ、気にせず続けてちょうだい。どうもサーシャの話は要領を得ないもの」
「えー、ミサリアさんまで……」
サーシャがショックを受けているが、サーシャの話だと全体像も掴めない上、何が大事なのかが分かりにくいので、ヨナもエクレルの話に期待することにした。
サーシャが舌を出してエクレルを威嚇しているが、誰も見ていない。エクレルはそのまま話を続けた。
「僕たちはロクミル草を求めてこちらに来ました」
「ロクミル草ってこれのこと?」
フロワが今食べているスープを指さして訊ねた。
「えっ、そのスープ、ロクミル草が入っているんですか? そんな。貴重なロクミル草を食事に使うなんて」
「えっと、こっちでは、ロクミル草は元々食事で摂るものだよ。ちょっと太りやすいんだけどね……」
ロクミル草を食べるのは『龍の爪痕』では当たり前過ぎて、皆盲点だった。サーシャも驚きを隠せていない。
「も、もしかしてこれがフロワちゃんたちの強さの秘密なの?」
「えっ? 秘密って程のものでは……。昔から食べているみたいだし。太りやすいんだけど……」
「はいはい、ちょっと待って」
ミサリアさんが手を叩きながら会話を止めた。まだエクレルが「ロクミル草」とつぶやいたときから何も話が進んでいない。
「エクレル君、それで何のためにロクミル草を探しているの?」
「あっ、えっと、それはゾール紙の原料だからです」
「ゾール紙って? さっきの戦いでウィステリアが燃やしてしまったやつ?」
「燃やしてしまったのですか? そうです、あの紙の巻物です」
エクレルの言うことを要約すると、こうだ。現国王は軍事力強化のために、兵器ではなく魔法の開発に力を入れていたそうだ。だが、人間ではどうひっくり返っても魔法は使えない。そこで魔法の力を封入した魔法陣を開発することにした。近隣の森に住んでいたダークエルフから得た知識を参考にしたんだとか。
葉っぱや動物の皮にある特殊な魔法陣を書くと、その魔法陣の中に魔法の効力を封じ込めてしまえる。巻物の封に特殊な紐を使えば、それが外れない限りは魔法の発動を抑えることができることも分かった。その魔法陣を書く染料にロクミル草の絞り液を使い、封をする紐にはロクミル草の茎を使うと。
「それが、父、国王の切り札でした。この力を使うことができれば国力強化に繋がるし、それに何と言ってもドラゴンが現れた際の強力な武器となります」
「えっ、ドラゴン……、ドラゴンってもういないんじゃ……、それに、ドラゴンと戦うつもりだったの?」
「はい、そうです。ドラゴンはかれこれ二百年は現れてませんが、いつどこで復活するかも分かりませんから。それまでに人間は力を蓄えて、ドラゴンに太刀打ちできる強力な武器を手にしなければならないんです」
エクレルがそう自分の想いを語ったところで、彼のお腹の虫が盛大に鳴った。彼も空腹だったのだろう。食事ができるということは体が元気だという証拠だ。エクレルがどうやら快復に向かっているみだいでヨナは安心した。
ヨナは思った。エストーレ王国は凄い国だ。ドラゴンの脅威から脱するために、外に出て国を作っただけじゃなく、まだドラゴンがどこかにいるかも知れないと常に考えて行動し、強さを蓄えている。その強さへの欲求がゾール紙の開発へと向かわせたのだろう。
自分はと言うと、ここでの生活は魔法を使いながら楽しく暮らせたらいいや、くらいにしか思っていなかった。外には出てみたかったが、怖くて結局それを言い訳に、出ようともしてこなかった。自分たちが何もしてこなかったのに、エクレルたちは常に進化しようと足掻いている。
今からでも遅くはない。自分も何ができるか分からないけど、強くなるために努力をしよう。フロワにも負けてはいられない。もっともっと強くなって自分から外に出られるようになろう。ヨナはそう心に誓った。
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