第8話 馬鹿

 うす暗い森の中、ロズドは相棒からの報告を待っていた。ロズドは城外の戦いでエクレルを取り逃がしただけでなく、仲間の多くを失わせてしまったことの責任を取らされる形で、エクレルの追跡を上から命じられていた。


 すぐに命令を受けたのだが、多くの仲間を失った後だったため、ケガ人の手当と死体の処理で準備が遅れた。大急ぎで追跡を開始したが、途中から完全にエクレルの消息を見失ってしまった。そんな中、部下の執念でエクレルの血の跡らしきものを発見できたのは僥倖だった。


 ロズドはその血の跡がエクレルのものであることに賭けた。そして、跡を付けること数日、ついにエクレルが逃げ込んだと思われるオットー山脈の麓の森に辿りついた。


 ここから先は深い森になっていて山も険しい。この辺りで休憩してくれていることを期待したが、捜索に出した部下から良い報告が上がってこないため、少しイライラし始めていた。


「くそっ、そもそもあの女は何者だ。なぜエクレルを助けた」


 ロズドは城外の戦いで途中から参戦してきた謎の少女のことを思い出した。栄光あるエストーレ王国の黒の騎士団アマリスの精鋭たちが少女一人に翻弄されてしまった。あの少女だけには痛い目にあってもらわなければ気が済まない。


 と、そこへ最も頼りになる相棒のナーシスが捜索から戻ってきた。


「ナーシス、遅いぞ。どうだった?」

「まだ出てから一刻も経っていない。遅いと言われるのは心外だ、馬鹿」

「おい、いくら旧知の仲でも小隊長に向かって馬鹿とはなんだ」


 ナーシスとロズドは幼いころからアマリスの訓練施設でずっと一緒だった。ロズドとは違い、隠密仕事が得意なすこぶる優秀な女兵士だ。


「二人を見つけたぞ。だが、何者かに保護されたようだ」

「おい、無視するな。えっ、なに? 保護? なんだそれは? 国王派のやつらか?」

「いや、それは考えにくい。国王派にこんなところまで追ってくるような体力のある奴はもうない」

「だとしたら何者だ?」

「分からない。だが、何者かに保護されているのは間違いないと思う」

「そうか。なら話は簡単だ。そいつらに二人をこちらに引き渡すようにお願いすればいいんだな」


 ロズドが不遜な笑みを浮かべながら大胆な発言をした。ナーシスは嫌な予感だけが全身を駆け巡り、何としてもこの馬鹿を止めなければと思った。


「それはまずいだろ。私たちは暗殺者。人に顔を見られてはまずい。ロズドはいつもそうだ。暗殺者としての自覚が足りない。だからいつもアコーニット様に怒られる」

「そんなことはないぜ。要は誰にも見られなければいいんだろ? 俺の顔を見たやつ全員をその場で殺してしまえば問題ないってことだ」

「……大馬鹿」

「ん? 何か言ったか?」

「なんでもない。で、どうする? 本当に真正面からお願いしに行くつもりか?」

「ああ、死にたくなければ渡せってな」

「……ロズド、あんたホントに馬鹿なの? 罠だったらどうするの?」

「そのときは罠ごと蹴散らしてやるよ」

「はい、超大馬鹿確定。なんであんたなんかが小隊の隊長なんかやってるのよ? 前任者の方がよかったなー」

「知らねーよ。アコーニットのおっさんが俺を指名したんだ。諦めて俺の方針に従いな。援護は頼んだぜ」

「はいはい、あんたの尻拭いは任せて」

「尻拭いじゃなく、援護な」


 ナーシスは説得するのを諦めた。ロズドは昔から人の話を聞くタイプではなかったことも思い出した。もうこうなったら腹を括るしかない。だが、同行している部下に何と説明したらいいか。分かって貰えるだろうか。ナーシスはそんなことで頭を悩ませている自分に嫌気が差してきた。





 ヨナたちは東門の詰所でサーシャたちと作戦会議をしていた。基本作戦は、まず入口にヨナの土魔法で落とし穴の罠をはる。それで雑魚を足止め後、小隊長が乗り込んでくる。そのときに備えて他のみんなは魔法の詠唱を済ませておく。小隊長が入ってきたと同時に魔法を放つ、というものだ。


「みんなの魔法を受けたら、間違いなく消し炭になってしまうよ」


 大人しそうなフロワからは似つかわしくない単語が聞こえてきた。


「相手はすばしっこいから直撃する可能性が低いっしょ。相手は暗殺者だから顔見られたりするだけで引いていくと思うよ」


 サーシャから根拠があるのかないのか分からない返答があった。


「おい、サーシャ」


 アラマンが口を挟んできた。


「ん? 何? この作戦に何か問題でも?」

「大ありだ。なんだこの穴だらけの作戦は」

「上手いこと言うね。確かに落とし穴ばかりの作戦だ」

「冗談を言ってる場合か。相手が落とし穴にかからずに数人突破してきたらどうするんだ? 小隊長だけに的を絞って構えてたら対応できなくなるぞ」

「あっ、ほんとだね。……どうしよう」

「お、おい。本当にそれだけの考えだったのか?」

「う、うん」


 アラマンの言うとおりだったった。敵がすべて罠に引っかかるわけではない。何人か突破してくるとしたら、別の対策を考えておかなければならない。ウィステリアも呆れてものが言えない、というような表情をしている。


 とそこへ、詰所の扉が静かに開いた。


「おい、邪魔するぞ」

「カルロさん! 来てくれたんですね」

「おお、ヨナ。相変わらず元気そうだな。フロワも」


 大柄な剣士カルロが入ってきた。そしてその後ろにはカルロの陰に隠れて見えなくなるような小柄な女剣士の姿が見えた。


「ヨナ、私もいるんだけど……」

「シュリも! 来てくれてありがとう」


 カルロは剣士隊の隊長を務めており、最も優秀な剣士の一人だった。そのカルロとカルロから腕を認められている弟子のシュリが来てくれたことで、魔法士の面々はカルロが来てくれたことに大きな安堵感を感じていた。


「アラマン、族長に言われて助っ人に来た。まずは状況を教えてくれ」

「ああ、カルロ。なんかお前が来てくれて心強いよ」


 カルロは、サーシャと軽く挨拶を済ませて話を進めてくれた。族長から事前に聞いているのだろう。サーシャのことに関しては何も聞いてこなかった。カルロとアラマンで話は進められていく。


「……という訳だ。カルロ、お前の意見を聞かせてくれ。お前たち剣士はよくチームで行動しているだろうから、俺たちよりも実用的な作戦を考えられるはずだ」

「……そうだな。相手の力が図れないので何とも言えんが、突破してくる敵については問題ない。俺とシュリで何とか対応する。あと俺たちの援護にヨナが付いてくれれば大丈夫だろう。敵の狙いがそっちの嬢ちゃんなら、嬢ちゃんは前線に出ずにヨナの隣で全体の援護をしてくれるか? 相手のことを知っているのはあんただけだからな。一番後方で援護を頼む。」

「分かった。突破してきたやつはカルロに任せる。入り口付近の攻撃は私で対応すればいいんだな?」

「ああ、フロワとウィステリアにお前が付いていれば何とかなるだろう。どうだ、嬢ちゃんもこれでいいか?」


 サーシャは自分の考えた作戦がカルロに取られたみたいで悔しそうだ。


「‥‥…いいんだけど、何か釈然としないわね。それと私は『嬢ちゃん』ではなくてサーシャよ。ちゃんと名前で呼んでちょうだい」

「じょ、いや、サーシャ。それと、最後に確認しておきたい」


 カルロが一呼吸おいてサーシャに訊ねる。


「本当にドラゴンはいないんだな?」

「うん、いないよ。たぶんだけど。少なくとも私たちは一週間ほど旅してここまで来たけど、ドラゴンには会わなかった」

「そうか、分かった」


 ドラゴンがいない。ヨナはその言葉を聞いて全身に雷が打たれたような衝撃を受けた。ドラゴンがいないなんて信じられない。でもサーシャは外の世界から来た。ドラゴンがいないと考えたら可能なことだ。もしかして自分たちはずっと自由だったのか。という思いがヨナの全身を駆け巡る。


「ヨナ、あんたもしかして『この戦いが終わったら、外を旅してみたい』とか思ってないでしょうね?」

「えっ、ウィステリア? い、いや、何で分かっ、いや、そんなことないよ。ちょっとびっくりしただけだから」

「まだ、本当にいないって決まったわけじゃないのよ。だから先に一人で突っ走らないでよ。ねぇ、フロワからも何か言ってあげて」


 フロワも衝撃を受けてるのか、まだ頭が整理できていないという感じだった。ドラゴンがいないって言われても、物心ついた時からドラゴンの危険性について口酸っぱく言われてきた者とすれば「はいそうですか」と一言で信じられる話ではない。


「その話については、落ち着いてからゆっくりしよう。まずは目の前の敵に備えるのが先決だ。みんな、準備を始めるぞ。敵はいつ攻めてくるか分からないからな。急ごう」


 アラマンの号令で、皆で戦いの準備を始める。


 ヨナはまず落とし穴の準備から始めた。落とし穴は簡単に作ることができる。土魔法の基本中の基本だ。落ちた後に大けがをしないよう底が浅い泥沼を作る。ヨナは早速土魔法を発動させる。


「土の精霊たちよ。水の精霊たちよ。我が魔力を糧に我の願いを叶え給え。大地の理を我が力にて……」


 地面の土が取り除かれて、穴が開いていく。その底が少しずつ湿潤し、脛あたりまでの深さの泥沼が形成されていく。


「その詠唱は相変わらずね。声が小さいからいきなり独り言を言い始めたみたいで怖いんだけど。まあ、私は慣れたけどね」


 ウィステリアが声をかけてきた。


「そうかな? 確かにみんなとはちょっと違うけど、僕にはこの方法が一番しっくりくるんだよ」

「ヨナがそれでいいなら、いいんだけどね。ちょっと気持ち悪いだけ」

「あっ、また気持ち悪いって言った!」


「お兄ちゃん! 遊んでないでちゃんと準備してよね」


 ウィステリアと遊んでいると勘違いしたフロワがヨナを叱る。ヨナは急いで次の落とし穴を作り始めた。


「ねーえ、誰か偵察に行けないかな?」


 作業も終わりに差し掛かったところで、サーシャが提案してきた。だが皆外に出るのが怖いのか、誰も返事をしない。


 ヨナは自分も外に出たいはずなのに、ドラゴンへの恐怖がまだ体に残っていて踏み出せない。初めての実戦前というのもあって、前に踏み出す勇気が湧いてこない。


「ヨナの魔法で気配を最小限まで消すことができるでしょ? その魔法をサーシャにかけてあげたら?」


 ウィステリアから提案があった。


「えっ、なになに? ヨナだっけ? そんな魔法があるの?」

「あっ、うん。まあでも気配を消すって言っても完璧じゃないけどね。小動物程度の気配は残ってしまうから。」

「ふーん、あなたって本当に不思議ね。魔力はそんなに高くないのにそんなことできるんだ」

「な、なに?」


 サーシャが顔を近づけてきて、ヨナの顔をじっと見つめてきた。ヨナは急に恥ずかしくなって反射的に目を逸らした。サーシャみたいな可愛い女の子とそこまで顔を近づけたことのないヨナは顔を真っ赤にしてしまう。


「び、びっくりするじゃないか。急に、やめてよ」

「ふふっ、照れちゃって可愛い。あそこで本気の殺気を私に向けてくる怖いお嬢さん(ウィステリア)がいるからこの辺にしとくよ。じゃあ、その魔法、かけてくれる?」

「わ、分かったよ」


 ヨナはサーシャは不思議な子だと思った。見た目ではフロワと同じか少し下に見えるのに中身はもっと上に思える。見た目だけでは判断できないし、実は結構上なのかも知れない。


「精霊たちよ。我が魔力を糧に我が願いを叶え給え。心の営み、体の営みの発現を抑え給え」


 ヨナはサーシャに魔法をかけた。するとサーシャの体が弱い光に包まれた。ちゃんとかかったようだ。ヨナは、この魔法を爪痕の人間以外にかけるのは初めてだったので、もしかからなかったらどうしよう、と少し不安だった。


「ありがとう。これでちゃんとかかってるのかな?」

「うん、大丈夫だよ。みんなは今サーシャを認識しているから、ちゃんとそこに『いる』って分かるけど、隠れていたらそうは見つからないはず」

「よし、じゃあ私が外の偵察に行ってくるね。敵が近づいて来たら、知らせに戻ってくるから」


 サーシャは風魔法を使いながら東門から外に出て行ってしまった。あんなにもあっさりと外に出ることができるなんて。ヨナも含めてそこにいる者全員が思った。


 爪痕の面々はまだ「ドラゴンがいない」というサーシャの言葉を受け止められずにいた。ドラゴンは本当にいないのだろうか。あんなに簡単に外に出ることができるサーシャが羨ましい。


 ヨナも、あんなに外に出たがっていたのに、いざ外に出ても大丈夫と言われたら、怖くて一歩踏み出せない自分に少し苛立っていた。


 と、そこへ先程出て行ったばかりのサーシャが戻ってきた。


「みんな、もう敵はこっちに向かっているわ。人数は5人よ。恐らく小隊長だと思われるやつが先頭切ってこちらに近づいてくる」


「よし、みんな、配置につくんだ」


 アラマンからの号令がかかり、この場が一気に張り詰めた。初めての実戦だ。相手はどんな奴だろうか。どんな武器を持ってるかも分からない。どこからどのような攻撃がくるかも分からない。自分たちの攻撃がちゃんと通じるかどうかも分からない。緊張がピークに達する。


 皆が持ち場につく。そして爪痕の入口を侵入者を待った。


 永遠とも思える時間が経過していく。


 そして大柄の男が一人で東門から入ってきた。少し長めの剣を持っている。ヨナには目の前のカルロが身構えるのが分かった。カルロが身構える程の腕の持ち主が来たということだ。


 その男は不遜な笑みを浮かべたままこちらに向かってきた。


「こんなところに本当に人間がいやがるとは。おいっ、ここにおんっ……」



 そして、ヨナの作った落とし穴に落ちた。


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