第7話 追手
ヨナとフロワ、そしてブッシュはいったん詰所の外で待機することになった。多くの人間がいるとお互いの情報を整理するのに邪魔になるというミサリアの判断である。今は詰所の中でミサリア、ウィステリアとアラマンで少女の話を聞いている。
「あー、中で話を聞きたいよ」
「お兄ちゃん、仕方ないでしょ。ここはミサリアさんとアラマン先生に任せましょ」
「そうだぞ、ヨナ。あの子たちは逃げてどっかいくわけじゃない。後からでもゆっくり話を聞かせてもらえ」
ヨナは、フロワとブッシュに宥められたが、気持ちは正直なところ収まっていなかった。ミサリアの言うことは分かる。まずは上の人たちだけで情報を入手して彼女たちの処遇を決めなければならない。
分かってはいるが落ち着かない。とは言っても今話を聞けるわけではない。何度考えても結論が出ないことを悟り、諦めて待つことにした。
「フロワ、お腹空いてきたね」
「今頃そんなこと言っても私は知らないっ。お兄ちゃんが朝ごはん食べなかったのが悪いんだから」
「ええ、冷たいなー。」
「ヨナ、これを食えよ。ほら」
ブッシュが小さな袋を差し出した。何やらいい匂いがする。
「ブッシュさん、ありがとうございます。いいんですか? やったー、カグラ芋だ」
「嫁さんから持たされたんだけどな、食べ損ねて余ったやつだ」
ブッシュは若いころからまだ幼いヨナの事を見てきたせいか、自分の弟か息子の様に接してしまう。
「もう、ブッシュさんはヨナに甘いんだから」
「フロワの分もあるぜ、いるか?」
「私はいいです。ちゃんと朝ご飯食べてきたので」
「魔法使ってここまで来たんだろ? 食べといたほうがいいぞ」
「そうだけど…‥」
カグラ芋はフロワも大好物だ。
「なんだ、フロワ。腹が出てきたことを気にしてるのか? シュリと比べても仕方ないぞ。あいつは毎日カルロさんにしごかれてるんだから」
「はあ? 違うし! ってかシュリは関係ないでしょ。お兄ちゃん、言ってはいけないことを言ったわね」
「わわっ、ご、ごめん。分かった。謝る。だから、そんなに簡単に風魔法を発動するのはやめてくれ」
「こら、フロワ。魔法をそんなことに使っちゃ駄目だ」
フロワが兄を吹き飛ばさんばかりの風魔法を発動しかけたところで、かろうじてブッシュが止めに入ってくれて事なきを得た。
ブッシュはフロワが簡単に魔法を発動しているのを見て、自分には到底真似できない芸当だと思った。フロワといい、中で話しているウィステリアといい、上には上がいる。自分にはできないことを簡単にできてしまう子供がいることを頼もしく思うと同時に少し畏怖していた。
ヨナに関しても同じだった。魔力量はフロワほどではないが、この爪痕内で考えられたすべての魔法を使いこなせている。フロワが火炎魔法を使えないように、ウィステリアは水魔法が使えない。だが、ヨナにはなぜかすべて使えてしまう。ブッシュたちの世代ではアラマンが突出していたが、近い将来ヨナたちの世代の魔法士がアラマンを追い抜くことが予想される。
「まっ、いろいろ考え過ぎても仕方ないか」
ブッシュはこの場を族長たちに任せて、東口付近の警備を続けるため詰所を離れた。
詰所の小屋の中は、お互い何から始めたらいいか分からず硬直していた。少女は自分が寝ていたところに腰かけ、その向かいの食卓にミサリア、ウィステリアが座り、アラマンはその傍らで腕を組んで立っている。
とりあえず挨拶から始めるかと思ったミサリアが口火を切った。
「改めてこんにちは。私はミサリア。この爪痕内の族長をしている者よ。とりあえず、名前から聞いてもいいかしら?」
「あっ、はい。ミサリアさん。私はサーシャ。さっきはごめんなさい。まさか本当に人間のいる町まで来ることができるとは思わなくて。みんなを見て少し興奮しちゃったみたい」
「気にしなくていいのよ、サーシャ。こっちのちっちゃいのが私の娘でウィステリア、こっちのでかいのがアラマン。2人とも魔法士よ」
「ちっちゃい言うな」
ウィステリアはミサリアの雑な紹介に小さな抵抗を試みる。
「魔法士……」
「そう、魔法士。さっきあなたは『人間なのに魔法を使えるの?』って聞いたけど、答えは『はい』よ。ここの人たちは程度の差こそあれどみんな魔法を使えるわ」
「それ、おかしいよ。人間が魔法を使えるなんて。」
ウィステリアには、サーシャは落ち着いているように見えた。起きたばかりのときは少し興奮していたが、改めて話し始めてからは終始落ち着いている。ウィステリアには聞きたいことが山ほどあったが、しばらく様子を見ることにした。
「そうね。私たちもここに流れて来たときは魔法を使えなかったと聞いているわ。でも今はなぜか使えるようになった」
「ここの地面や岩肌からは魔力を感じる。――もしかしてこの辺り一帯に魔力が満ちているとか?」
「サーシャ、ごめんね。まだあなたたちのことを完全に信用できていないの。ひとまず私たちは魔法を使える、っていうことで受け入れてもらえないかしら。」
「うーん、すっごい気になるけど、そうだよね。まずはこちらのことをちゃんと話ししないと……うーん、でもなあ。」
ウィステリアは正直しゃべり過ぎだと思った。現時点でサーシャを信用するのは早計だ。どうやってここまできたのか。ドラゴンからどうやって身を守ってきたのか。そもそもどこからやってきたのだ。追手は来ないのか。どこかの間者だという可能性もある。聞きたいことは山ほどあった。
ウィステリアのそんな気持ちとは裏腹にミサリアが話を進めていく。
「そうね。まず、あなたたちはどこから来たの?」
「うーん、あっ、えーっと、私たちは東の国から来たの。そこで寝ているエクレルはその国の王子」
「東の国? それは人間の国かしら?」
「うん、そう。正確には『ヒト族』の国、かな」
初めて聞く情報に皆一同に驚いていた。
「というと、その国では人間ではなくエルフや獣人も共生しているということかしら?」
「うん、統治しているのは人間なんだけど、そこでたくさんのヒト族が一緒に生活をしているよ」
そこで興奮したウィステリアが立ち上がった。
「な、なんでそんなたくさんの人がいる国が作れるの? その国はドラゴンに見つかったりしてないの? ドラゴンに見つからない工夫が何かあるの?」
ウィステリアはついまくし立ててしまった。こんなにあっさりと外に国があったという事実。こんなにもあっさりと自分たちの考えを飛び越えてくることに、心が追い付いていかなかった。これまで自分たちが守ってきたものが、ぐらぐらと揺れて今にも倒れてしまいそうな感覚を感じた。
「ドラゴン? ドラゴンはもういないよ。たぶん、だけど」
「なっ!」
「ば、馬鹿な!」
ウィステリアとアラマンは驚きのあまり食卓を叩いた。
詰所の中からアラマンとウィステリアの叫び声が聞こえてヨナは思わず詰所を振り返った。アラマンが大きな声を出すことはめったにないため、フロワも同時にびっくりしていた。
「中で何を話しているんだろうね」
「そうだな、何か新たな大発見でもあったのかな」
とそこへ慌てた顔のブッシュが戻ってきた。
「ブッシュさん、どうしたんですか?」
「まずいぞ、族長はまだ中だな」
「はい、まだ話をしています」
「そうか、ありがとう」
と言うと、そのまま詰所の前まで行き、ノックもせずに扉を開けて中に入っていった。
ブッシュが詰所の中に入ったとき、アラマンとウィステリアがテーブルを叩いたままの姿勢で固まっていた。血相を変えたブッシュを見て異変を察したのはミサリアだった。
「どうしたの、ブッシュ?」
「族長、大変です。東門の外の方から人の声が聞こえました」
「ほんとっ?」
「今はもう聞こえなくなりましたが、数人はいたと思われます」
ミサリアは自分の悪い予感が的中したと思った。思ったより早い追手の到着に焦りも感じていた。
ブッシュの話を聞いてアラマンが立ち上がった。
「族長、時間がないので私が様子を見てきます」
「ちょっと待って」
サーシャがアラマンを制止する。
「なぜだ、恐らくお前たちの追手ではないのか? そうだとしたら追い返さないといけないだろう?」
「うん、追手だろうね。だとしたら相手は『黒の騎士団』ね。彼らは暗殺者集団なの。何の考えもなしで出て行っても殺されてしまう。私に作戦があるの。ここには私も含めて魔法を使える人が何人もいるんだし、何とかなると思う。」
「サーシャ、どういうことかちゃんと説明してちょうだい」
サーシャの意図が読めず、ミサリアが説明を求めた。
「すみません、ミサリアさん。――私、私たちの命を狙ったやつらがここまで来ちゃったみたい。彼らはこれまでの戦闘の経緯からして数人程度だと思う。もちろん全員人間。だから魔法の心配はないと思うの。武器は持っていると思うけど、飛び道具は少ないはず。ここの入り口は狭いでしょ? だから入口付近で侵入してきた敵に対する罠をはり、それでも突破してきたやつから魔法で狙い撃ちをする。それで相手が全滅するか退却するまで続ければこちらの勝ちっていう作戦ってわけ。」
サーシャの話を聞き、話が勝手に進んでいくのことに、ウィステリアは少し焦った。
「ちょっと、勝手にずかずか進めないでよ。追手って何者なのよ。それとそいつらの情報はそれで合ってるわけ?」
「ごめん、何者かは説明している時間はないの。今言えるのは東の国の暗殺者の兵士たちってことだけ。あと、人数は推測でしかないけど、そこまでの人数は来ないと思う。ほとんど私たちで倒してきたから」
「倒したって、もとは何人いたの?」
「うーん、正確には覚えてないけど20人くらいかな」
ウィステリアの想像をはるかに超えていた。サーシャとエクレルが知っている世界、いや住んでいる世界は、こちらとは全然違うのだということを思い知らされた。
遠くの国で何かあって、追われている国の王子と謎の少女。訳ありなのは察することができるが、サーシャが言うように詳しく話を聞いている時間はなさそうだ。だがこのままこの二人の味方をしていいのだろうか。でも目の前の敵を追い払わないと先に進めないのも確かだ。ウィステリアはあれこれ考えるのを諦めて、とりあえこの場はサーシャに協力することにした。『っていうか私たちにはそれ以外選択肢がないじゃないの』と悪態をつきたかったが、話を進めるのが先決だと思い、喉まで出かかった言葉を気合で飲み込んだ。
「ごめんなさい。正直、こんなに早く攻めてくるとは思ってなかった。相手も本気なんだね。それに、あなたたちの魔法がないとこの作戦は意味がないの」
「どうしてよ、あんだだって魔法は使えるんでしょ?」
「使えるけど、魔力がもうほとんど残っていない。支援魔法が精いっぱいかな。でも私の魔力より、あなたたちの魔力の方が桁違いに多いの。これ結構驚きの情報なんだけど。多分あなたたちの魔力があれば敵は退けられるよ。」
魔力が多い。ウィステリアたちはそんなことを言われたのは初めてだった。
「何でそんなこと分かるのよ」
「私は相手の魔力量を『診る』ことができる魔法を使えるの」
「そんな魔法があるの。……分かったわ。とりあえず今来ている敵を魔法で退けたらいいのね? 協力するわ。族長、いいですよね? と言ってもこれ以外の選択肢はなさそうだけど」
ミサリアもウィステリアと同感だった。
「そうするしかなさそうね。サーシャたちに協力しましょう。その代わり、敵を退けたあとはゆっくり話を聞かせて貰うからね」
「うん、ありがとう。」
ウィステリアはサーシャのホッとした表情を見逃さなかった。もしかして魔力が残っていないというのは本当だったのかも知れない。だとしたらサーシャには戦う力はほとんど残っていないということになる。
ウィステリアは、ここにきて初めての実戦が始まろうとしていることに身震いをした。敵の力も分からない上に、自分たちの力が通用するかも分からない状況で上手く戦わなければならない。もし自分の魔法で人が傷ついてしまったら、もし自分の魔法で人が命を落としてしまったら、と考えると全身が震えて怖くなる。でも自分には族長の娘としてこの爪痕を守る義務がある。ここで逃げたら駄目だ。ウィステリアは覚悟を決めた。
すぐさまミサリアの指示が飛ぶ。
「アラマン、ここは任せていいわね。私はみんなを避難させてくる。あと何人か剣士を呼んでくるわ。魔法士の追加は必要そう?」
「魔法士はここにいる者だけで十分です。族長は皆の避難と剣士の応援をお願いいたします。前衛がいた方がいいと思うので。それとブッシュを連れて行ってください。彼の足も必要でしょうから」
「分かったわ。ここは頼んだわよ」
ミサリアは詰所を後にした。ブッシュは首の後ろをミサリアにつかまれたまま連れていかれてしまった。アラマンは外にいるヨナとフロワを詰所に呼んだ。
「先生、どうしたんですか?」
アラマンに呼ばれてヨナとフロワは詰所に入った。中に入ると明らかに緊張した空気を感じて、ヨナの背筋がピンと伸びた。ブッシュの言っていたことが関係していることは間違いない。ウィステリアの顔も自然とこわばった。
「ヨナ、フロワ。いきなりですまないが時間がないので、簡単に状況を説明させてもらう」
二人は落ち着いて考える猶予も与えられず、アラマンから状況の説明を受けた。
「敵って? この二人の命を狙ってるって? どういうことですか?」
「先生、魔法で人を攻撃するんですか? そんなことしたら下手したら死んでしまいますよ」
ヨナもフロワもいきなり敵が攻めてきた、と聞いて驚きを隠せない。
「二人とも落ち着いてくれ。気持ちは分かる。みんな今とても混乱している。だが、事実敵がこちらに攻めてくるみたいなのだ。彼らと戦わないと我々の命も危ういだろう。我々は彼らと協力して敵を退けることにした。これは族長の判断でもある。幸いにも、ここにはこの爪痕内の実力のある魔法士が揃っている。爪痕のみんなはこのことを知ったらかなり混乱するはずだ。説明は後にすることにして、とりあえず族長の命で避難してもらうことにした。あとは我々で対応するだけだ。敵の人数から考えると、恐らく最善の対処方法だ」
それでも人間同士で戦うことが初めてであることは変わりがない。フロワは不安な気持ちが拭い切れない。
「わたし魔法で人を攻撃したことなんてない。どうしたらいいの? ねぇ、ウィステリア、あなたも一緒でしょ?」
「フロワ、私も一緒よ。……でも仕方ないじゃない。覚悟を決めるしかないのよ」
「そんな……」
ヨナはフロワが不安そうな表情を浮かべているのを見ながら思った。魔法で人を攻撃するなんて考えたこともないし、訓練もしてこなかった。ヨナ自身もそんなことができるという自信はない。火炎魔法が直撃したら人は一瞬で丸焦げになってしまう。風魔法は岩を切り裂くことができるのだから、人間なんて簡単に切れてしまう。自分の魔法で人を傷つけるのが怖い。人の命を奪ってしまうことが怖い。このままサーシャが、爪痕が危機にさらされることになるのも怖い。
そのとき、不安そうに俯くフロワをサーシャがそっと優しく抱きしめた。
「フロワちゃん、だっけ。君はやさしいね。フロワちゃんの言う通り、本来魔法ってお互いを傷つけあうためのものじゃないんだよ。ごめんね、こんなことに巻き込んで。怖かったら無理して攻撃しなくても大丈夫。でもあなたの魔法はきっとここのみんなを救ってくれるわ。」
優しく抱きしめるサーシャの手は震えていた。フロワがそれに気づいて、その手を強く握り返した。フロワの気持ちは決まったのだ。サーシャも怯えている。ここを守るために戦わなければならない。
「先生、分かりました。私この爪痕を守りたい。頑張ります」
「フロワ、ありがとう。君がいてくれるととても心強いよ」
ヨナも決心した。小さい頃から魔法は人を傷つけるものではなく、いざという時にこの爪痕を守るためのものだと教わっていた。自分の魔法でこの爪痕を守りたい。
「僕も頑張ります!」
「今さら何言ってるよの。ヨナは当然でしょ。あんたが一番いろんな魔法を使えるんだから」
サーシャがウィステリアの言葉に反応した。
「えっ、そうなの?」
「そうよ。あんた、人の魔力量は分かるようだけど、素質までは分かってないようね。くやしいけど、ヨナに使えない魔法はないのよ。声が小さいから詠唱してるときブツブツ言ってて、ちょっと気持ち悪いんだけどね」
「ふーん。そうなんだ。ヨナ、初めまして。よろしくね」
サーシャがヨナに手を差し出す。
「は、はい! 初めまして。よろしくお願いします」
「ヨナ、鼻の下伸びてるわよ。」
握手くらいで鼻の下を伸ばすヨナを見て、ウィステリアはサーシャのことも警戒しなければと思った。
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