第2話 始まりの予感

「いってきまーす」

「もう、お兄ちゃん。ちゃんと朝ご飯を食べないと駄目でしょ」


 早朝。太陽が地表から顔を出し始めたころ。ヨナはいつものようにロクミル草の採取に出かけて行った。妹のフロワは、兄が今日も朝ごはんを食べていかないのが不服だった。残った分はもったいないからという理由で、自分が食べる羽目になるからだ。朝ご飯にはロクミル草が入っているから、ちゃんと食べておかないといけないのに。


 ロクミル草のスープはなぜか少し太りやすいのだ。ロクミル草は、ここで生きる者にとって必須の食料である。とても栄養があり、魔力の強化もできる。だが、年頃のフロワにとって、太りやすいことだけは納得がいってなかった。


「お兄ちゃんは全然太らないのに、何で私だけこんなに太るのを気にしないといけないんだろう」


 フロワはぶつぶつと独り言を言いながら、おなか周りを気にしながらロクミル草の入ったスープをすすった。


「ヨナは相変わらずねぇ」

「朝ごはん食べないと体が強くならないっていつも言ってるのになぁ」

「お父さんからもっとガツンと言ってやってよ」

「まあまあ、フロワ。そうは言っても本人がその気がないんじゃ仕方ないじゃないか」

「もう、私がお兄ちゃんの分まで食べないといけないんだからね」

「その位食べられるでしょ。成長期なんだからいっぱい食べて大きくなりなさい」

「……もう横にしか大きくならないんですけど」


 フロワの両親であるマロクとミローシャは、ヨナに朝ご飯を食べさせることをほぼ諦めていた。何度注意しても聞かないので注意するのにも疲れてきたようだ。『ヨナももう15歳だ。親からいろいろ言われなくても、自分で自分のことはなんとかできる年じゃないか』と二人で話しているのを何度も聞いた。両親がこんな様子だから、フロワにはどうすることもできなかった。





「おっ、今日も魔力を感じる。気持ちいいな。みんなも元気かな」


 ヨナは早朝のロクミル草の採取が好きだった。ロクミル草の生息地は、魔力に満たされているような気がして気持ちがよかった。事実、ロクミル草には魔力が含まれている。その成分が空気中に染み出しているのかどうかは分からないが、生息地一帯が魔力に満ちているような心地がするのだ。


 この『龍の爪痕』は、オットー山脈の麓から発生した大きな岩山の裂け目の中なので、日光がほとんど入ってこない。裂け目の中は、ここの住人たちが自ら切り開いてきたため、かなり広くなっている。裂け目の中は広いが、裂け目の入り口は移り住んできたときのまま残してある。ドラゴンに見つからないようにするためだ。


 そのため、日照時間が短く、いつもうす暗い。そんな爪痕の中でも、天気がいい日には、一日に少しの間だけ太陽の光が綺麗に差し込む場所がある。そこでのんびり昼寝すると最高に気持ちいい。だが、日の光が入ってくるということはドラゴンから発見されやすくなることを意味する。


 万が一ドラゴンに発見されてしまえば、この爪痕に住むみんなが食べられてしまうため、昼寝をしているところを見られると、大人たちから大目玉を喰らってしまう。だから迂闊には近づくことはできくなっている。


 ある時、ヨナはその場所で寝ころんでみたことがある。そこからは、狭い空から外の広い世界を少し垣間見ることができた。遠くて狭い空を鳥が羽ばたいていた。その僅かな隙間から外の世界の存在を知ったとき、ヨナはもっと知りたいと思った。この狭くて暗い場所から抜け出して、外の世界を知りたい。心の底からそう思った。


 だが、外の世界にはドラゴンがいる。ドラゴンがいる限り人間は外に出ることができない。物心がついてから15歳で成人するまで、両親から何度も教えられてきた。『ドラゴンに見つかってはいけない』。呪文のように聞かされてきた言葉。覚えているというよりも、心に刻まれている言葉だ。


 ヨナはドラゴンを知らないし見たこともないが、ドラゴンは怖い。ドラゴンに襲われるのは嫌だ。家族やここで暮らす人たちが、ドラゴンに襲われてしまうのは悲しい。外の世界には憧れるが、命を懸けてまで行きたいとは思わない。だがそれは、外の世界を知りたいという憧れを、現実的には無理だろうという諦観で抑え込んでいただけのものだった。


 ヨナはそんなことを考えいたら、あっという間にロクミル草の群生地まで辿りついた。


 この爪痕内には、多くのロクミル草が生息している。特に魔力の濃い場所には、いいロクミル草が生えている。これは爪痕内の貴重な魔力源だ。魔力を持つ人間は、魔法を使うことができる。魔法を使うと風や水を操ることができ、また、熟練すると人の傷を治すこともできる。この爪痕での生活には欠かせない技術だ。


 ヨナは小さいころから魔法の才を見出された、爪痕内では屈指の魔法士の一人である。先生であるアマランの足元には及ばないが、いつかはアラマンを超える魔法士になりたいと思っている。


 ロクミル草の採取を始めたころ、ふと誰かの声が聞こえた気がした。


「……っ」


 爪痕の東門の方から声が聞こえてくる。当たり前だが門には近づいてはいけない。門と言っても人工的な門ではなく、爪痕と外の世界の境界付近をそう呼んでいるだけだ。そして門を出るとそこは外の世界だ。ドラゴンに見つかってしまう恐れがあるため、門は危険との隣り合わせの場所である。


 門には門番がいて、普段は近づこうとすると追い返されてしまう。ヨナは今日の門番は、小さいころから可愛がってもらっているブッシュだったと思い出した。幸いここの群生地から東門はそう離れていない。ブッシュなら叱られることはないかと、恐る恐る東門の方へ行ってみた。


 岩陰から門の近くを覗いてみると、そこには腰を抜かして倒れているブッシュがいた。


「ブッシュさん。どうしたんですか? 何か声が聞こえたような気がしたのですが」

「よ、ヨナか。こ、これ」


 ヨナはブッシュの視線の先にあるものを見て衝撃を受けた。男が倒れている。男は見たこともない服を着ている。年は自分とそう変わらないくらいだろうか。そして、その背には少女が背負われている。この少女にも見覚えがなかった。フロワと同じくらいか、もっと幼くも見える。


 この爪痕には百人程度しか暮らしていないため、全員の顔と名前は当然の頭に入っている。見たことのない男と、男に背負われた少女。もしかしたら、二人は門の外から来た人間ではないだろうか。ヨナの頭に微かな期待が過った。


 ブッシュが腰を抜かしたのも無理はない。ここに移り住んで二百五十年。爪痕で暮らす者には、外からの来訪者は一度もなかったと伝えられている。それもそのはずだ。外の世界にはドラゴンがいる。ドラゴンに見つかると、まず間違いなく命はない。


 この二人は、ドラゴンの脅威から逃れながら外の世界から来たのだろうか。……でもどうやって? ヨナの頭が混乱していた。こんなことがあり得るのだろうか。この地に自分たち以外の人間がいたことに。しかも、どうやってドラゴンの脅威から逃れてきたのか。そして、何のためにここに来たのか。自分の考えがまとまらず、立ち尽くしたまま何もできなかった。


 すると、倒れていた男が最後の力を絞り出すように声を発した。


「お、お願いします。どうか、助けてください。私は外から来た者です。こ、この子も」


 ヨナは確かに聞いた。『外から来た』と。この言葉は、何もできず立ち尽くしていたヨナを駆り立てるのに十分だった。何とかしなければならない。この男を助けなければならない、と。


「……わ、分かりました。先生を呼んできます。魔法で治療できるかもしれません」

「ま、魔法……、そ、そうですか、お願いし……ます」


 そう言って、男はまた動かなくなった。


「ブッシュさん、この人たちを安全な場所までお願いします。僕は、族長とアラマン先生のところへ走ります」

「よ、よし分かった。一旦、そこの詰所に運ぶ。俺にも、アラマン程じゃないが治療魔法は使える。時間稼ぎくらいはできるはずだ」

「よろしくお願いします!」


 そう言いながら、ヨナは駆け出していた。まずは、アラマンのところに行かなければならない。彼らの命が優先だ。ブッシュは一人だが大丈夫だ。立派な魔法士の一人なのだから、最悪の事態にはならないはずだ。そしてアラマンなら、ちゃんとした治療ができるかもしれない。もしちゃんと治療ができれば、男から話を聞くことができる。外の世界から来たという男から。


 ヨナの気持ちは昂っていた。外からの来訪者。外の世界を知る者。自分の知らない世界を知る者。どうせ無理だろうという諦観と一緒に、心の奥に抑え込んだ憧れがヨナを動かしていた。急げ。走れ。何かに急かされるように、一心不乱にアラマンの元へと急いだ。

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