滝乃淵
「ここが滝乃淵か……」
そう呟いた俺の前に聳え立つのは老舗旅館の入り口。
ここに来るまで誰ともすれ違わなかったのだが、他の客は居るのだろうか。
「案内ありがとうな……」
「別に……ここ私の家だし……」
「え、そうなの……?」
「そうじゃなかったら案内なんてしてないし……」
「なるほど……」
俺は東と共に彼女の自宅の入り口を潜る。
中は美しい和風の内装が施されており、非常に長い廊下が奥へと続いていた。
「お母さーん……」
「聞こえるのかそれ……」
「うるさい……」
「すいません……」
何もそんな冷たく言わなくてもいいのではないだろうか。
俺は玄関の隅に寄って、東の奮闘の様子を静かに眺める。
「はいはーい……!」
「アレ……お客さん……」
廊下の角から大急ぎでこちらの方へ駆けてきた女性。
東は俺に指を差しながら、その女性に話し掛けている。
女性は金色の長髪を後ろで結び、狐のような細い目をしている。
深紫色の和服に身を包んだ女性は東の母親だとは思えないほどに若々しい。
「どうもぉ……女将の
「綾瀬透です……宿泊したいんですけど……」
「はいはい……ご案内しますぅ……」
俺は見たこともない装飾品に視線を送りながら北子さんの後ろを付いて行く。
北子さんは海外の人なのだろうか。日本人だとは思えないほどに美しい。
「透さんはどこから来てくださったんですか……?」
「あぁ……俺は街から……」
「わざわざそんな遠くから……車でも1時間くらい掛かるんじゃないですか……?」
「原付なんで2時間くらいですね……」
「あらぁ……ありがとうございますぅ……」
「いえいえ……」
和やかな笑みを浮かべる北子さんの表情に俺はペコリと頭を下げる。
そんなやり取りをしている内に北子さんが足を止めた。
「こちらが狐の間になりますぅ……」
「ほぉ……」
襖を抜けた先に広がる畳張りの大部屋。
壁に掛けられている水墨画や窓から見える美しい夕陽の景色に俺は声を漏らした。
「凄いな……」
「お夕食はいつお持ちしましょうか……?」
「あー……19時頃にお願いします……」
「かしこまりました……失礼致しますね……」
「はい……ありがとうございます……」
一体どのような夕飯が出てくるのだろう。
俺はそんな期待に胸を高鳴らせながら床へ寝転がり、バッグの中から携帯ゲーム機を取り出した。
「明日は散歩でもしてみるか……」
そんなことを呟きながら次々に襲ってくる敵を吹き飛ばしていく。
夢中でゲームを続けていると、突如として背後の襖がすーっと音を立てながら開いた。
「あ、東か……」
「こんな所まで来てゲームしてるのね……」
「明日は出掛けるよ……」
東は小言を漏らしながら、料理が盛られている皿を机の上に並べ始めている。
口の悪さはどうであれ、ちゃんと北子さんの手伝いをしている所は偉いと思う。
机に並べられた色鮮やかな料理達。
東は今夜の献立をゆっくりと話し始める。
「鮎の塩焼き……旬の山菜の天ぷら……味噌汁……胡瓜の漬物……松茸入りの炊き込みご飯……」
「おぉ……!」
「早く食べて……」
「あぁ……いただきます……!」
口に広がる優しい温もりと味。
実家で夕飯を食べているかのような安心感に体が包まれる。
旨い。本当に旨い。
コンビニ飯なんて比べ物にならない。
「うめえぇ……」
「そう……」
「来て良かったわぁ……」
「ふーん……」
東は机の隅に追いやられているゲーム機を弄りながら素っ気ない返事を返してくる。
データを消さなければ何をしてもいいのだが、せめて了承を得て欲しかった。
「これ……どうやって攻撃するの……」
「AかBだよ……」
「どれ……?」
「右と下かな……」
「ふぅん……」
ゲーム機に夢中で喰らい付く東の姿に俺は少しだけ可愛いと思ってしまった。
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