第9話 旦那様

 屋敷への帰り道は鼻歌を歌いたくなるぐらい気分が良かった。

 契約の好待遇にアリスはかなり慌てていたし、ケインも何度も私の顔と契約書を見比べていた。あの驚き方は、ちょっとした悪戯が成功したような気分で、楽しい。

「さて、次は市場調査と広告宣伝を考えて、って、あら?」

 上機嫌なままで屋敷へ戻ると、見慣れない馬車が一台停まっていた。

 耐久性を重視しただろうその馬車は装飾こそないけれども素材は一級品だらけ。こんな馬車に乗る人物はさぞ用心深い人間だろう。

「何でこんな馬車がうちに?」

 場違いのようにも思える馬車をついつい観察してしまう。御者も不在ということは、ルイスが馬車止めへ案内しているのだろうか。

「あ、ローズマリー嬢。戻られましたか」

「ルイス、この馬車はどなたの?」

 丁度良くルイスが戻ってきたのを見て、問いかける。疑問は早目に解消したい。

「旦那様が」

「おかえりになられたのね」

 なるほど。確かに旦那様なら豪華絢爛な物は嫌いでしょうし、時期宰相候補という能力の高さで用心するに越したことはない。

「では、私もご挨拶へ伺うわ」

 身支度はエリーに手伝って貰わないと。荷物は、ほんの少しだから、そのまま持っていきましょうか。

 嫁いでからほとんどお会いしていなかった旦那様に会えるとあって、気持ちが浮ついてしまうわ。



 クロウス・レセンバーグは、身分こそ伯爵であるが、王国内でも有名な方だった。

 武将として世界に名を馳せた祖父、魔道士として五本の指に入るとされる父を持ちながら、戦闘方面はからっきし。けれど、彼には類稀なる頭脳があったわ。皇子からの覚えも目出度い彼ならば、叙爵されるのも時間の問題だ、と言うのが世間の噂。

 婚姻前に何度かお会いした彼は、そんな噂で想像できる切れ者とは少し違っていて。

「やあ、ローズマリー。中々顔を出せず申し訳ないね」

「とんでもございませんわ、旦那様。突然の来訪に驚きましたけれど」

 にこやかに笑う目尻に僅かな皺が浮かぶ。また苦労されているのね、旦那様は。

「皇子閣下のお手伝いは、いかがですか?」

「うん、それなんだけど」

 エリーが出してくれたお茶を一口飲むと、旦那様は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「次の仕事はここ、レセンバーグで監視領土を見守ること、になったね」

「は」

 監視領土の監視を領主自ら行うなんて、そんなことはあり得ないはず。私の反応がお気に召したのか、旦那様はクツクツと笑いながら続けてくれる。

「だって、皇子直下で動ける人間は皆出払っていてね。監視領土はそこに長期滞在しなければ意味ないから、皇子自らは不可能。で、苦肉の策として僕が駆り出されたんだよ」

「旦那様、やりましたね」

 きっと側近全員が出払っているのもこの男が策を巡らせたのだろう。それぐらい、この男ならやる。

「結婚前と新婚の間ぐらい、愛しい新妻と過ごしたいと思うのは男として普通だと思うけど」

 にっこり微笑まれ、言葉に詰まる。真っ直ぐな好意は慣れない。王国にいた頃は怖がられることが多かったし。

 柔和な表情も物腰も、普段は計算でやっていると打ち明けられたのは輿入れの直前。怜悧なデキる宰相が重宝されるなんて言うのは物語の中だけの話で。

 そんな男が、私のことを大切だと同じ口で伝えてくれた。

 始めは打算からの結婚だったけれど、私は何だかんだこの男を気に入っているのだ。

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