第8話 成立

「毛皮、でしょうか」

「その理由は?」

 アリスの答えに思わず笑みが浮かびそうになるのを堪える。続けた質問にも、彼女は淀みなく答えてくれた。

「他の地域では、冬の寒さで死んでしまう人がいると聞いたことがあります。この土地も寒さは厳しいですが、そんな話は物語の中だけですね。それに、私達でも毛皮は沢山手に入れられます」

「そうね、理由は合格。答えは半分正解、ってとこかしら」

 充分及第点な答えに、クツクツと笑いが抑えきれない。ああ、こんな笑い方をするから怖がられると言うのに。

「この領地は、毛皮だけじゃなくて、牙や目玉、そういった魔物素材がとにかく豊富に手に入るわ。だから傭兵みたいに武装した人間が多いのよ」

 ついでに言えば、そんな人間が多い土地柄か、腕のたつ人間も多い。魔物との戦いに遅れを取ることが少ないのも、実戦経験が多く積めるからだろう。

「魔物を倒せば解体が必要になる。鶏の解体とかするとわかるた思うけど、解体した後はどうしたいかしら?」

「とりあえずサッパリしたい、ですね」

 魔物を倒すのに遠距離から一撃、なんて綺麗にはいかない。砂埃や多少の擦り傷に塗れて仕留めたら、次は血抜きと解体だ。細かい肉片や生臭い血に塗れて汗をかいたら、それを流したいのは不変の心理だろうと思う。

 まあ、私はやったことないけれど。

「そうよね。そんなとき、安価で効果の高い石鹸があればどうかしら」

「そりゃ、売れるはずだろ」

 ケインが口を挟むけれど、まだ疑っているみたい。そりゃそうよね、だって。

「けど、それなら何でケインが売った石鹸は売れなかったんですか?」

 そう、たまーに買っていく物好きはいても、ほとんどの石鹸は売れ残っていた。この前買った石鹸だけが品質が良かったのだとは到底思えない。

「それはね、売り主の信用がなかったからよ」

 信用? と首を傾げるアリスは何だか小動物のようで可愛らしい。わかりやすく伝えるには、そうねー。

「同じ品物で考えてね。凄く立派な姿の騎士が沢山の宝石を売りにきたら、本物だと思うでしょう?

 けど、ボロボロの服を着て、いつお風呂に入ったかわからないような子が、同じように宝石を売っていたら、偽物に思えない?」

「つまり、ケインが売っている石鹸はあまり効果がないと思われてた?」

 アリスの飲み込みが早い。

 言葉を選ばないで言うならば、ケインは決して清潔ではなかった。アリスや小さな子供達は小綺麗にしていたけれど、彼は襤褸の服を着て顔も砂埃まみれ。石鹸を売るのなら、効果があるのならそれを使えばいいと思う人間は意外と多い。

「原料は森の素材でしょう。元手は作るあなた達の費用だけ。そんな安価で、高性能なのに、信用がなければ売れないわ。だから、信用をつけるためにあなた達が商会を立ち上げて宣伝すればいいのよ」

 そうすれば、私は手駒の商会ができて、この孤児院の先行きも明るくなるだろう。誰も損をしない取引だと、そう言えばアリスはこくり、と頷いた。

「おっしゃることはわかりました。そのお話、受けさせて頂きます」

「アリス!」

 アリスの返答に、やはりケインは噛みついた。

「また騙されるかもしれないんだぞ!」

「だって、私達に他にできることはある? 私が石鹸を売りに行ったっていいけど」

「それは駄目!」

 ケインの剣幕にも、アリスは飄々と返している。なんというか、これが日常なのかしら?

「じゃあ売りに行くのはケインでいいけど。そのかわり綺麗にして行ってよ」

「チビや女の子優先なのは当たり前だろ! 俺は少しぐらい我慢できるって、そう言ってるじゃん」

「それで商品が売れないなら意味ないじゃない。せめて見た目だけでも」

「っ、わかったよ。汚れは落として売りに行く」

「服も、だよ。いつも小さい子を優先するから、ケインの服はボロボロじゃない」

 ケインは孤児院の年長者で、男としての誇りがあるんだろう。で、アリスはそんなものじゃ食べていけない、と。どこでもあるような、夫婦の会話にしか聞こえない。

「それに、信用って売り主だけのことじゃないと思うよ。文字の読み書き、取引の重要さ。そういったことを理解していなければ、また騙される。だから、私はお話を受けようと思うの」

 アリスの言葉に、ケインは開きかけた口を閉じた。これはアリスの勝ち、かしら。

「改めて、よろしくお願い致します」

「話がついたなら、ここに契約書を用意しているわ。アリスは文字の読み書きできる?」

 隣でずっと黙っていたエリーが差し出してくれた書類を受け取って問いかけると、アリスははにかみながら頷いた。

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