第24話 あいざわさん




 モヤモヤとした心のままリトルホテルへ行くと、ピィピィがピィピィ鳴きながら飛んできた。耳の先をツンツンと動かす。こっちに来い、と言っているみたいだ。

 今日も今日とて仕えなければならないのに。

 僕のこれまでの努力が泡と消えたらどうしてくれる。

 不満いっぱいの心を、表情に滲ませて進む。


 耳さされた扉を開けたら、そこに相沢さんがいた。

「え?」

 そういえば、最近会ってなかった。仕えるのに夢中だった。

「お元気でしたか? お友だちなら大丈夫です。こちらが手配したリラクゼーションルームでくつろがれていますから」

 どうぞ、と手で示された椅子に、ペコリと小さく礼をして腰掛ける。

「調子はいかがですか?」

「えっと?」

「没入眠から覚醒させるために、ジュースに細工でもしているのでしょう?」

「あぁ。まぁ」

 相沢さんは、微笑みながらティーカップを出してくれた。

 赤茶色の透けた液体が揺れている。

 相沢さんの顔を見れば見るほど、これまでの僕を覗き見られたような、くすぐったい気持ちになった。

「もうすこし、みたいですね」

「……わかるの?」

「ええ。経験者ですから。経験は未経験の何倍もの情報を持ってます。私には、何となくわかります」

「そっか」

 出された紅茶を口に含んだ。砂糖もミルクも入っていないそれは、僕にとっては苦かった。

 顰めた顔を見て察したらしい。相沢さんは僕のティーカップに角砂糖をぽとりと落とした。

 角をなくしながら、じんわりと溶けていく。

「あれから、薬売りには会いましたか?」


「え? あぁ。いつだったかな。うん。会った」

「いいなぁ」

 カップを見つめながら、相沢さんが呟いた。

「相沢さんは、あの人に会えないの?」

「はい。あの方から、面会許可が下りませんから」

「え、相沢さんって、責任者だよね? 偉い人だよね?」

「まぁ、そうなのですが……夢野くんには、お話ししましょう。あの薬売りのことを」


 僕は紅茶を一口含んで、口の中を湿らせた。そうでもしないと、カピカピになってしまいそうなくらい、一瞬にして極度な緊張に襲われたのだ。


「薬売りは、このホテルにずっといます。彼女がここの創設者かどうかまでは知りませんが、ずっといることは確かです。彼女は、チェックアウト要件を満たすことができませんからね」

「それは、おばさんが調合した薬を飲んでいるからでしょう?」

 自信満々にそう言ったら、相沢さんはクスクス笑った。

「薬を摂取しているかもしれませんが、必ずしも薬の効果ではありません。彼女自身が、彼女の本体が、植物人間だからです。これはかつて彼女から聞いた話なのですが、ある日、彼女は家を飛び出したお子さんを追いかけて、夜道を走っていたそうです。やっと捕まえた、というタイミングで、走りくる車に轢かれて、こうなったと。ここに拘束されてしまったと。目を覚ますことができる体を持っていないから、ここから出ることができない。そして、彼女はずっとここにいるものだから、彼女はお子さんの生死を知りません。名前とか教えてくれたら調べるって言ったことはあるんですけど、拒否されちゃったんですよね。もしかしたら死んでいるという事実を知る可能性を排除したいのかな、なんて思ったりします。そして、囚われたこの場所で、ただひたすらに、いじめに苦しみもがいていたお子さんのことを想い続けて、家を飛び出したり、時に命を絶とうとしたり……そんな子たちに安楽の地を与えたいという理想を膨らませている」

「ねぇ……じゃあ、おばさんはここで体が死ぬのを待っているだけってこと?」

「どうでしょうか。彼女本人と会ったことがなければ、医師でも看護師でもありませんから分かりません。目を覚ます可能性も、あるかもしれないし」

「ないかもしれない」

 相沢さんは、僕の呟きに応えるように、こくんと頷いた。

「彼女がここで薬を撒いているのは、現実からの逃げ場を作るためです。同時に、自分がひとり、寂しい思いをすることなく、そして――我が子のような児童たちと、共に過ごす時間を欲しているからです。反対する意見を全く聞かないわけではありません。けれど、人間誰でも、否定されるより肯定されたい」

 分かる気がする。

 お前はダメだなぁ、って言われるより、お前のこんなところいいよな、って言われたい。

 自分がやっていることが正しいと信じたいし、自分がやっていることが正しくないって言われたとしたら、それを受け入れるのには力がいる。

 頭をフル回転させながら、よく考えた。

 眉間に力が入って痛い。

 そんな僕の力み具合に気づいてか否か、相沢さんは声のトーンを少し明るくして続けた。

「ここから抜け出したときに何もできないなんてことがないようにと、あえて高いお金を払わせて薬を売っていますが、じゃあその働く者たちの面倒を誰が見るのか、という点においては、彼女の身ひとつではどうにもできません。私は、もう薬を買うことはないと彼女に宣言をした時に、志願したんです。『これからもここに来る。あなたに賛同する。私にみんなの監督をさせてほしい』と。都合のいい人材ですからね、すぐに責任者にしてもらえましたよ。初めの頃は数度、面会して話す機会がありました。でも、『もうやめた方がいいんじゃないか』と進言した頃から、拒絶されてしまいました。一度拒絶されたら、おしまいですよ。あれから結構経つんですけど、いまも会ってもらえません。やり取りは全部端末越しです」

 拒絶された、という時、普通は悲しそうにするものだと思うけれど、相沢さんはにっこり笑っていた。

「それで、責任者? 監督? をするようになって、こう、なんていうんだろう……」

「隠密行動をとっているか? とか、そんな疑問ですか?」

「そうそう! 影で何かをしているのかな? って」

 照れたような赤い頬。頭を掻きながら、恥じらいを隠さず、「夢野くんのような器用なことができず、ただ上司ごっこをするばかりでした」と目を伏せた。

「どうして、話をしてくれたの?」

「それは……未来のために、あなたには伝えておくべきだと思ったからです」



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