第23話 うそつき




 氷作戦を始めてしばらくした頃、タイチのお母さんが訪ねてきた。数日前にも会ったはずだけれど、より一層やつれているように見える。

 日曜日だったこともあって、お父さんもお母さんもいた。リビングに案内して、温かい紅茶と、ちょこっとおやつを出した。

 お母さんは、「カフェインレスだから」なんて囁いていた。あれ、カフェインって、毒なんだろうか。

 カフェインも、とりすぎはダメってことかなぁ。

 タイチのお母さんは、普段そんなにカフェインをとっているんだろうか。

 キッチンに行って、紅茶の缶をまじまじ見てみる。

 でも、紅茶の缶にはカフェインは毒とか、体に悪いとは書いてなかった。

「どうした?」

 お母さん同士の会話の邪魔だと気を遣ったのか、お父さんがやってきた。

「ねぇ、カフェインって、毒なの?」

「ん? なんで?」

「いや、『カフェインレスだから』って言いながら、紅茶出したから」


「あぁ、それはね……。タイチくんのママ、タイチくんのことが心配で、ご飯を食べられなかったり、よく眠れなかったりしてるんだ。カフェインには、目を覚ます効果があってね。ただでさえ眠れないのに、カフェインをとったらもっと休めなくなっちゃうでしょ? だから」

「じゃあ、なんでこれがうちにあるの? お父さんとお母さんも、カフェインとったら眠れなくなるの?」

「お母さん、タイチくんやタイチくんのママ、あと……コウジのことを心配してね、ちょっと、寝不足みたいでさ。控えているんだ」

「へぇ……」


 お母さん同士が、真面目な顔して、小声で話をしてる。

 邪魔しないように、僕は部屋に戻っていようと思った。

 カルピスを作って、じゃがりこを持って、お父さんに「部屋にいるね」と伝えて去る。

 僕がいなくなった大人だけの空間からは、僕が近寄ることをもう許さないような、そんな冷たさを感じた。


 部屋に入って、扉を閉めた。じゃがりこをボリボリ齧りながら、僕は考えた。

 子どもは眠れなくなる薬を飲んで眠り続けて、大人はそんな子どもを心配して眠れなくなる。

 ――あの薬は、やっぱり良くない。

 早く、タイチの薬を抜かないと。

 でも、焦ったらダメだ。

 僕が薬を薄める役目を、担い続けなくちゃいけない。疑われたらゲームオーバーだ。


 説明書の中に詳しい記述を見つけることができなかったから、チェックインの表示が板に出てから、また板を引き抜いたらチェックアウトするのか、ユズキに頼んで実験してもらった。結果は、寝なければチェックインの表示のまま。

 今日はもうチェックインの文字を見た後だけれど、また板を引き抜いてみる。

 やっぱり、どうして文字が浮き出るのか、仕掛けがちっともわからなかった。

 板をそーっと封筒に戻す。

 今まで全然気にしてなかったけど、よくよく見ると、じゃがりこの塩気と油気が残った指で触った部分のシミがけっこう色濃く、汚くなっていた。それに、少し破れかけているところもある。さすがに何度も出したり入れたりしているから、しっかりしていた封筒が傷んできたんだ。初めて手にしたあの頃のオーラはもう、ない。

 ちゃんとあっちに行けているんだから、シミや破れのせいでこの招待状が使えなくなることはないと思う。けれど、そろそろ終わりにすべきだよって、その傷みに言われた気がした。


 リビングから僕を呼ぶ声がしたから、部屋を出た。

 さっきよりも穏やかな顔をした大人三人が、そこで僕を待っていた。

「コウジはさ、タイチくんの夢、見たりする?」

 ドキリとした。

 あれは、夢、と言っていいのだろうか。

 なんて言えばいいのか悩んでいたら、タイチのお母さんが口を開いた。

「最近あの子ね、フラフラしてるときに、『コウジ、漫画もってこい』とか、『コウジ、サッカー付き合えよ』とか、ぼそぼそ言うの。夢の中に、コウジくんがいるみたいだなって思ってて」

「コウジもタイチくんの夢を見ていたら面白いね、って話をしていたんだ」

 お母さんたちが、笑った。

「うーん。まったく夢に出てこないってわけじゃない。学校の人たちが出てくる夢とか見たときには、いたりするけど。そんな、使い走りか何かみたいなことはしないし、あくまで友だちとして、かな。漫画もってこいとか、命令されたことなんてないよ」


 嘘、嘘、嘘、嘘――嘘ばっかり。

 針千本飲んだわけじゃないけど、針千本飲んだみたいに、体のあちこちがチクチク痛い。

「どうしてこんなことになっちゃったのか分からないままだから、期待するだけ無駄なのかもしれないけれど、お医者さんから『もしかしたらもうすぐ目を覚ますかもしれませんね』って言われたの。期待しちゃいけないんだろうけどさ。でも、おばさん嬉しかったんだ」

「うん」

「もし、タイチが目を覚ましたら。また仲良くしてくれる、かな?」

「う……うん」

 少しくらい笑えばいいのに、そうしたらきっと、タイチのお母さんは喜んだと思うのに。ピクピクする口の端を、ぎこちなく引き上げることしかできなかった。

 自信がなかったんだ。

 今まで、仕え続けてしまったから。

 僕にとってのタイチは、リトルホテルにいるタイチに入れ替わり始めている。

 昼間にタイチに会うとしても、彼は眠りこけているし。リトルホテルでは、王様と執事みたいな、そんな関係でしかない。

 タイチを取り戻したい、って思ってる。

 それは確かなことなんだけれど、心の奥の方で、黒い何かが広がってきているのもまた、事実だった。

 僕が彼を引き戻そうとするのは、ただ単にそうする自分がヒーローみたいでかっこいいと思うからで、本当は彼のことなんてどうでもいいんじゃないかって。

 もし、彼が目を覚ましたときに、元のタイチだったとしても、僕の心の中では王様みたいなタイチが生き続ける。

 もし、彼が目を覚ましたときに、今のタイチだったとしたら。僕にはもう、仕え続ける気力がない。


 絶対やり遂げる。薬の濃度を薄めて、薄めて。彼のことを取り戻す。その目標を達成した後のことを、僕は必死になりすぎて目の前しか見てこなかったから、これっぽっちも考えることができていなかった。


 タイチのお母さんが帰ってから、僕は部屋に引きこもった。心配をかけるのは嫌だったから、「タイチがもし目を覚ましたときに、ノートを渡せるように勉強するんだ」って言って。



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